V6のリーダーと言えば、坂本昌行さんである。
グループ内の年齢差は最年長・坂本さんから最年少・岡田さんまで9歳。
最年長ということもありV6のリーダーは坂本さんがつとめることになった。
この「V6のリーダー」というポジションでの役割について、坂本さんはしょっちゅう「何もしていない」と言う。
でも決してそうではないのは周知の事実であり、デビューからこれまでを振り返るとそこにはリーダーとして奮闘する坂本さんの姿がある。
おおかたのエピソードは今となっては全体的に笑い話だ。
テレビやラジオで話す時にはまるで悩みやツラさなんてなかったかのようで、「ちょっとしたこと」でしかないようにすら感じる。
そこにはお涙ちょうだい要素なんて無く、デビューから20年ほど経って語られるデビュー当時のエピソードはもはや鉄板ネタと化している。
おもしろおかしく楽しそうに、笑いながらネタとして話す様子に私も思わず毎回笑ってしまう。
今現在の彼らが語る言葉の中に、V6の歴史はぎゅっと凝縮されている。
むしろ今語られるそれこそがすべてであってそこに補足なんて必要ない。その内容だけで十分すぎるほど魅力的なのだから。
しかしながらデビューから20年あまりの時間の中で「その時々の彼ら」が話していたことをさかのぼって見ていると、「なーんだ」と思う瞬間が多々ある。
「ここからちゃんと地続きで、延長線上にあるのが"今"なんだな」、と強く思わされてしまうのだ。
いいこともそうではないことも、いろんなことがあった。
でも全部がつながって今があって、「ああ、あの時のあれはここにつながっているのかもしれない」なんて勝手にわかったような気持ちになってしまう。
そんな「つながる瞬間」の発見が多すぎて私は何度も感情を持て余して頭を抱える。
何かと背負いこんでしまっていっぱいいっぱいだった坂本さんのエピソードと、その姿を見てきたメンバーのコメントなどをたどっていると、毎回胸がぎゅーっとなる。
これだからV6が好きなんだ、と思うし、これだから坂本くん大好きなんだよなー!!!と思う。
そして昂ぶった自分の感情に対して「でもそれってメンバー間ではもう笑い話の類だし勝手に過去ばっかり考えてむやみやたらと一方的にテンション上げてしまうのってどうなのよ?」とたびたび冷静な自分Aが顔を出す。
「でもやっぱり不器用なりにリーダーをやってきた坂本くんだからこそこんなに大好きなんですよ…!」と自分Bも負けじと主張する。
最終的に奴らは「まあ坂本くんが幸せそうに笑ってる今があるんだからいいじゃない」とがっちり握手して円満解決にいたる。
そもそも「リーダー」ってどういうポジションなのだろう。
言葉通りに取るならば「先頭となる人」のことであり、「代表者」「指導者」「統率者」なんて表現される。
リーダーは苦労する。
アイドルグループにもそれぞれ「リーダー」と呼ばれる位置のメンバーがいて、そのポジションはメンバーが多いほど、価値観の違う人間が集まっているほど苦労しがちだ。
人をまとめる立場はやりがいと引き換えに気苦労も絶えない。
相手のことを考えなければいけないポジションは真面目に考える人間にほどしんどく、頑張れば頑張るほどしんどくなってしまいそうなその立ち位置で奮闘する・してきた人というのは非常に私の心を揺さぶる。
そんなポジションでV6を引っ張ってきた坂本さんというのは、中学生時分から私の中では「すごい人」だった。
そしていまだに、今日45歳になった坂本さんに対して「すごいなあ坂本くんは!」と思っている。
また1つ歳を重ねてもなお素敵な坂本さんに敬意を表しながら、今回はリーダーについて書く。
目次
デビューした頃のはなし
ご本人が何度も「リーダーに向いていない」と言ってきたように坂本さんの性格はそもそも「俺がリーダーやります!!」というタイプではない。
また坂本さんのことをメンバーが話す時、特に登場しがちなワードが「三男坊」。
坂本さんは三兄弟の末っ子で、メンバーが可愛らしい側面を話す時には決めゼリフとして「三男坊だから!」がよく使われる。
井ノ原
坂本くん、いきなりリーダーを任されてしまって大変だったと思いますよ。もともと、 彼って無口なんですよ。の~んびりした人だから、「おまえこうして、ああして」って、周りに指示するようなタイプじゃなくて。みんなが思うような”リーダーのイメージ像”とは、性格的にまったく離れている人だったんです。
(2015ツアーパンフ)
あまりにリーダーをやりたくなかった坂本さんは、一旦は「井ノ原、(リーダー)やってくれない?」と頼んだほどだった。
井ノ原さんも「別にいいよ」と返事をしたのだが、結局事務所の意向もあってやっぱり坂本さんがやることになった。
デビューして4周年を迎えた頃、坂本さんはデビュー当時をこんな風に振り返っている。
ホントに当時は心配ばっかりしてた。まるで親みたい。そういう義務感にかられてたって感じ。だから、楽しいとかつらいなんて感じてる暇がなかった。自分の肩に重いものがのってるなって。
(ポポロ/2000年1月号)
坂本さんはカミセンに礼儀だったり基本を教える。
その姿は本当に親のようで、「早く寝ろ!」といった生活態度の部分まで及ぶ。
メンバー同士の関係を家族で例える時によく「お父さん」という位置付けに納まるが、それはこういった「昔ながらの親父」のような振る舞いをしていたことも理由のひとつだ。
デビュー時に6人揃って出演したドラマ「Vの炎」の頃には6人とも合宿所で生活をしており、メンバーを集めて台本の読み合わせなんかもしていた。
この「Vの炎」というのが曲者で、それまで演技経験のなかった岡田さんは特に、まあ大方の予想はつくがなかなかの演技力。もちろん良くないほうの意味で。
放送から5年ほど経ってからこのドラマをはじめて見た私は「何これ!?」と爆笑した。
とにかく設定から内容からストーリー展開まで全部おかしい。
大真面目にシュールなコントをしている感じだ。これはドラマなのか?コントなのか?
メンバーを集めて台本の読み合わせをしていたというエピソードを知った時、正直なところ「あのドラマの!?」と思った。
全体的にぶっとんだ設定、見るものすべてを笑いの渦に引きずり込むような抱腹絶倒間違いなしの怪作。これを一体どんな感じで読み合わせしたんだ…?、とどうしても思ってしまう。
裏側を考えるとこの当時すごく大変だったことがわかる。
でも映像作品として残る「それ」は抱腹絶倒もの。
相反するその世界観に私の頭は大混乱だ。
井ノ原「リーダーがいてさぁ。リーダーが仕切ってたわけですよ、合宿所でも。」
三宅「まあでも坂本くんはねぇ…」
坂本「仕切ってたっけ?(笑)」
井ノ原「仕切ってたよ!」
三宅「まぁ、なんか親分みたいな感じで振舞ってたからね。」
長野「振舞ってた(笑)」
三宅「まぁでもやっぱ今思えば24歳っていう年齢でもう僕たち15、6のクソガキ共の面倒見なきゃいけないって、こんな煩わしいことないよね。」
井ノ原「そりゃあ荒れるよ…荒れてたもん!坂本くん、ねえ!」
長野「酒飲んでたねぇ(笑)」
井ノ原「酒量が増えてたもん(笑)」
坂本「酒量…(笑)」
井ノ原「デビューしたてのアイドルが(笑)」
長野「ビールの缶いっぱい転がってたもんなぁ。」
坂本「まずコンビニ探したもん、夜ねー。」
井ノ原「ねー、いっつもだから帰り道…6人で移動してたじゃん?車な。ワゴンボックスで」
三宅「だから坂本くんがこうなんか、厳しくカミセンのこととかをしつけするっていうかさ、礼儀のことだったりいろんなことを言って、まぁある意味悪役を買って出てくれるところがあって。やっぱこう...なんだろう、陰で『坂本くんちょっとムカつかない?』なんていうようなことを言うことによって、ここ(カミセン)が仲良くなるっていう…」
坂本「なんだなんだ?いい話に行くのかなぁと思ったらただの陰で悪口を言うだけだったっていう報告じゃねーかよ!(笑)」
(「V6 Next Generation」/2015年5月30日放送)
ストレスをお酒で発散するリーダー(24)とは。
あえて悪役を買ってでも正しい道を説いてくれる人存在は尊い。大抵それに気づくのは、その時を通り過ぎたあとだ。
その「あえて悪役になる」人が見ているのは、相手の「今」ではなくて「未来」。
嫌われるのは誰だってイヤだ。
だからこそ嫌われないように振る舞うし、思ったことがあってもはっきりとは言わない。「なんとなく『今』をこなしてやり過ごせればそれでいい」という流れは誰の近くにもある。
でも本当は、厳しくしてくれる人ほど一生懸命その人のことを考えてくれていたりする。
V6はグループが結成された直後にはもうデビューしていた。
年齢もバラバラ、キャリアもバラバラ。
当然性格もバラバラで、考えられる範囲だってバラバラだ。
たとえば、24歳が考えに考えてたどり着く答えと14歳がいっしょうけんめい考えてたどり着ける答えには差が出るだろう。
そんな状況でリーダーをやるとなればとりあえずやらなくてはいけないのは「メンバーをまとめる」こと。
ぎゅっと団結し、進むべき方向を指し示し、先頭を歩くこと。
三宅
今、思えば、デビュー当時は本当に大変だったと思う。言うことを聞かない子どもたち(カミセン)の面倒を見させられて。前半は、ライブを作るにも、坂本くんが中心となってやってくれていたし。坂本くんがちゃんと説明してくれてるのに、聞きもしないで、人の話を聞いてんだか、聞いてないんだかわからないような人たちをまとめなきゃいけないわけだったから。本当に大変だったと思います。
(2015ツアーパンフ)
先に引用した内容にあった、坂本さんの言うところの「自分の肩にのっていた重いもの」。
それはリーダーとしての責任であり、グループを引っ張っていかなければいけない、失敗すればグループ自体がダメになってしまうという危機感。
「なんとかしなきゃ!」と思っていましたね。ですが、今振り返ってみると、何をしようとしていたのか、何がしたかったのか…、当時の自分にはこうしたいという形が全然見えてなかったから、「あなたがリーダーですよ」と言われて、漠然と「ちゃんとしなきゃ!」と焦っていて、あたふたするばかりで何もできていなかったんだろうなと思います。あいさつや”遅刻しない”などの時間厳守、インタビューの受け答え、与えられたセリフはしっかり覚える…というような当たり前のことをメンバーに対して言っていただけで、それが押し付けになってしまったこともありました。反発も相当あった気がしますが、こっちも必死だったので、細かいことは覚えていません。たまに昔の振り返り映像とかを見ると、当時のカミセンは、その”当たり前のこと”が100%できていませんでしたけどね(笑)。
(2015ツアーパンフ)
「"当たり前のこと"が100%できていない」…というのはどういう状態なのだろう?と漠然と感じていたのだが、 「当時のカミセンは本当に自由奔放でね。眠かったら寝る、腹減ったら食うっていう感じだったの(笑)。(ポポロ/2000年1月号)」という言葉を発見し、ああなるほど、と理解した。
三宅さんの話でいうと「ちゃんと説明してくれてるのに、聞きもしないで、人の話を聞いてんだか、聞いてないんだかわからないような人たち」。
そのあたりを要約すると「眠い時に寝て、お腹が減ったら食べ、人の話を聞いてんだか聞いてないんだかわからない」のが結成当時のComing Centuryである。
21世紀が不安になる。
教えたことと教えられたこと
そんなヤングチームComing Centuryの3人と、デビュー当時はただアダルトチームと称されていて後に20th Centuryと名付けられることになった3人は順調に活動を続けていく。
そして4年目を迎えた1999年、坂本さんはカミセンに向けてこんな手紙を書いている。
Coming Centuryへ
V6がデビューして4年目。それまでいろんな事があったと思います。
初めてカミセンに会った時の印象は「こいつら、ちっちぇー」でした。
当時は挨拶もしない、朝は遅刻、ドラマの台詞は覚えてこない。
その度に3人を呼んでいろいろ話したりもした。多分3人は「口うるさい奴だな。」と感じていたと思います。
でも、ある日岡田と健からの相談の電話があった時、ものすごく嬉しかった。
こんなに頼りない俺をリーダーとして認めてくれた事が。
(「おしゃれカンケイ」/1999年6月27日)
途中なのだがここで一旦区切る。
この際に坂本さんが触れた「相談」について、おそらく同じ内容のことが三宅さん側からの目線だとこういったふうに語られている。
三宅
僕は基本的に悩みとか人に相談しないんだけど、前にすごく悩んだときに、坂本君に電話して相談したことがある。それが坂本君と僕のいちばんの思い出。仕事では、コンサートのことにしてもなんでも坂本君がいちばん主になってやってるんだよね。何事もいちばん考えてくれてる人。昔から、メンバーの中でいちばん V6のことを考えてくれてるのが坂本君だよね。だから、僕たちもそういう部分にもっともっと参加して坂本君をラクにしてあげたいなって思う。
(ポポロ/2000年1月号)
これはデビュー4周年・活動5年目にさしかかった頃の言葉だ。
いまでこそV6の活動の方向性について重要な部分を担っているのは三宅さんなのでは、と思ってしまう瞬間は多い。
でもデビューした頃、がむしゃらにグループをどうにかしようとしていたのは坂本さんだった。最年長だから、リーダーだからといろんなものを必要以上に背負いこんで。
デビューから数年は基本的な礼儀の部分にはじまって仕事への姿勢、メンバーが集まる場では仕切り、コンサートの構成を作るにも率先していて、当初は公演中のMCに関しても回し役は坂本さんだった。
私は2000年からV6ファンになったが、坂本さんといえばやっぱり「リーダー」で「仕切り役」というイメージが強い。きっと番組やラジオで何かと進行する位置にいた姿を見た結果だろう。
岡田さんは1997年12月に上演された舞台「MASK」 で坂本さん・井ノ原さんと共演したのだが、こんなエピソードがある。
岡田
(リーダーから怒られたエピソードから)
舞台『MASK』を坂本くん、イノッチと3人で一緒に出たときも、僕が熱を出してしまって舞台上で元気に振る舞えなかったことがあって…。そのとき、言われたんです。「熱があるとか具合が悪いとかは、関係ない」って。ジャニーズの教えというか、「たとえば骨折していても、してるように見せてしまうのはダメだ」って。お客さんには関係ないことを見せちゃいけない。自分の代わりはいないんだから、何がなんでもやらなくちゃいけない、みたいなことは言われていました。
(2015ツアーパンフ)
坂本
岡田が発熱してMCで一言もしゃべらなかった日、終演後オレと井ノ原で厳しく説教したことがあった。お客さんはお前を心配しに来てんじゃない、楽しみに来てるんだ…と。それを見たJr.が、なんで中学生に大人が怒ってるの!?って感じでビビってたっけ。
(20th century 10―Toni‐ten (ぴあMOOK)/2005年7月10日発行)
ひとつツッコませていただくならば97年当時の岡田さんは高校生なのだがそれはさておいて、やっぱり率先して正論を説いて怒るその様はしっかり「リーダー」をしていた。
1998年、「うたばん」の中で森田さんは坂本さんにこんな手紙を綴っている。
坂本くんへ
坂本くんも、忘れてはないと思う。
V6結成一周年のあの日。俺はマネージャーからの連絡を家でまっていて遅刻。寝坊したわけじゃないのに、スタッフに叱られた。
ふてくされて「うるせえな」って言い返したらその途端、坂本くんが俺の髪をわしづかみにして「なんだその態度は!」って怒鳴ったよね。
恥ずかしいけど、そのとき俺はみんなの前で泣いた。
坂本くんまでがわかってくれないのかってそれがくやしかった。
でも今は思う。わかってなかったのは俺だった。人に迷惑をかけた以上、素直に謝るべきだったって。それを坂本くんは言おうとしたんだって。
俺、坂本くんを煙たそうにしてたけど、本当はすごく頼りにしてた。
みんながふざけてるとき坂本くんが部屋の隅で頭をかかえてたのを何度も見た。
坂本くんは誰よりもホントにV6のことを考えていたと思う。
坂本くんはいつも人の長所を見抜いて「あいつはすごい」とか言うけど人を「すごい」って素直に言える坂本くんのほうがすごいよ。
27歳になったとき、坂本くんのようになれたらいいなと思う。俺達にはたくさんやることがあるから、まだ今は「ありがとう」なんて言いたくない。
これからもよろしく頼むよ。 森田剛(「うたばん」/1998年11月3日)
坂本さんからカミセンへの手紙の続きに戻るが、そこでもこの話については触れられている。
でも剛とは上手くコミュニケーションがとれず、デビューして1年半程ほとんど会話もしないまま、ある事があって、剛を怒鳴ってしまった。
その時剛は涙をためて俺を本気で睨んだ。
でも、初めて俺に対して剛が本気になってくれた事が嬉しかった。
それ以来井ノ原、長野がいいパイプ役となって、とてもあったかいグループV6が出来たと思っています。
これからがスタートです。
V6・カミセン・そして個人としてお互い大きくなっていきましょう。
それからドラマ「新・俺たちの旅」頑張って下さい。
V6のルール『楽しもう』。
これを忘れないで頑張って下さい。 坂本昌行
(「おしゃれカンケイ」/1999年6月27日)
そもそも坂本さんの中でかっこいい男性像というのは「不言実行」の男であり、言葉で伝えるのではなく、「自分の姿勢をもって伝えること」にかっこよさを感じているタイプだ。
かっこいい男は背中で語る、ということなのだろう。
まあ端的に言うとその「不言実行」のかっこよさを教えたのは、度々トニセンのラジオでもネタに上がっている坂本さんの父「トモジ」さんだ。
岡田
今でもあの人が文句や弱音を吐かない限り、俺なんかがうだうだ言えないってのはある。
(MYOJO/2001年12月号)
森田
コンサートの時期とかになって、なんとなく悩んだりしてる後ろ姿を見ると、やっぱりV6のこととか、リーダーとしていろいろと考えてくれてるんだなっていうのをすご~くすご~く感じます。
あるとき、俺にできることはないかなあと思って、じっと坂本君を観察してたんだけど、俺にはやっぱりまだまだです。でも、 最近の坂本君は前よりずっとよく笑うようになったと思う。そんな坂本君の笑顔が見られるのは、すごく嬉しいなって思う。
(ポポロ/2000年1月号)
この頃坂本さんはまだ28歳なのだが、すでにメンバーから「デビュー当時より若返った」と言われていた。
カミセンとも対等に喋るようになっていて、坂本さん本人が語る「V6になる前となってからの自分でいちばん変わったと思うところ」を「"笑う"ようになったこと」と答えている。
坂本さんがカミセンに教えたことはいろいろとある。
でもその中で、カミセンから坂本さんが教わったこともある。
坂本
うちらが6人いっしょにいるときは、ほんわかした雰囲気あると思わない?でも、そういう雰囲気を作ってくれたのはカミセンなんだよね。ある意味、俺はそれまで型にはまってたんだと思う。そういう既成概念みたいなものを良い意味で徐々に壊してくれたのがカミセンだった。そのおかげで上下関係もなくなっていったしね。
(ポポロ/2000年1月号)
ラジオの中で「自分を変えたい」という内容のおたよりについてトークをした際にはこんなことを言っていた。
坂本「はじめは、デビューした時は一生懸命まとめようと思ったけど『まとまるわけないんだ』って思ったね。」
長野「うんうん」
井ノ原「あー、そっか。じゃあ『なんでお前たちまとまってくれないんだ』って思ったこともあったけど」
坂本「うん。まとめることがまず無理だと。」
井ノ原「あーなるほどね。」
坂本「まとめるんじゃなくて、聞けばいいんだって。」
井ノ原「例えばどういう」
坂本「いろんな意見を聞くっていうこと」
井ノ原「ああ、『どうしたいの?』とか言って。確かにリーダーいろいろ聞いてくれるもんね。」
坂本「"みんなの100"はできないけど、"V6としての100"は近くなるんじゃないかな、と思って。」
井ノ原「それすごいなあと思うのは、やっぱり6人中一人でもなんでこんなことしなきゃいけないんだろうと思いながらやってるとうまくいかないから、できるだけいろんな人の意見聞いて、まあなんとなく『ここは我慢してね、でもこれはやるから』みたいな感じでまとめとくと、みんななんとなくこう、楽しくできるもんね。」
坂本「はじめコンサートなんてさあ、がっつり作ってたじゃない。だけどほら、みんな意見持ち始めるとやっぱねえ。操縦不能な状態に陥る可能性があるじゃない?」
井ノ原「あー、そうだねえ。」
坂本「だからそれをピックアップして一つにしてあげる、するっていうのが …うん。まあそれは勉強になったんじゃないかな。」
井ノ原「それもだから言っちゃえば自分を変えたわけだよね、リーダーがね。」
坂本「まあ"教えてもらった"だね、それは。」
(「V6 Next Generation」/2014年6月7日放送)
年齢もバラバラ、キャリアもバラバラ、価値観もバラバラの中で、V6はだんだんと今のかたちをつくっていった。
30歳のアイドルは"なし"だと思っていた
メンバーの中でも特に坂本さんは「"30歳"を迎えること」に重きを置いていたように見えた私は、このブログをはじめた頃にこんな記事を書いた。
坂本
“30歳のアイドル”って、僕の中で”ありかなしか”って言ったら、昔は”なし”だったんですね。でも、それを逆手にとって「30のアイドルってことを楽しんじゃったら、面白いかもしれないな」って、ふと思ったんです。自分から「僕、30です!」と笑ってしまったほうが普通に自分も周りも楽しめるんじゃないかな、 と。吹っ切れたというか、まぁ、一種の開き直りですよ(笑)。そうしたら、今まで自分の中で凝り固まっていたものがウソみたいに溶けて、肩の荷が下りたと いうか、気持ちが楽になりました。”アイドルはずっとアイドルらしくしていなきゃいけないんだ”みたいな固定観念を取っ払ったら、無理せず、自分の歩幅で 歩けるようになったんです。
(2015ツアーパンフ)
この頃の坂本さんの「アイドル観」は、当時のアイドル事情とも重なる。
当時V6より先輩で新曲をリリースしながら精力的に活動していた、言ってみれば「歌って踊る」ジャニーズグループはSMAPくらいだ。
坂本さんが体感してきた時代の中で、30歳のアイドルは"なし"だった。
坂本さんがこの"30歳"という微妙な年齢に差し掛かるタイミングで、V6は節目である5周年、さらにはグループ名に「6」がついているため少し特別感のあった6周年を迎える。
「俺、30になっちゃいました!」と、自己紹介中に年齢を堂々とネタにしながら晴れやかな表情をしているところを目の当たりにしたのが、私にとっては初めてV6を生で見たコンサートだった。
中学生の私の目に映る坂本さんの姿は「理想の大人」そのものだった。
アイドルからそれを教わるのもいかがなものなのかと思ってしまうが、とにかくもう「大人」で「かっこいい」。
15歳の私の中ではどうもその「大人でかっこいい」ことを総じて「シブい」という言葉で表現していたようである。
当時の痛々しい日記を読み返すと、坂本さんに関しては何度も何度も「シブい」と言っている。
いろいろと間違った場面でも全体的に感想としてはとりあえず「シブい」と書かれている。
思わず「いやそれはシブいとは言わない…」と顔をしかめたくなる。中学生の私の言葉の知らなさよ。それからすればずいぶんと言葉を覚えたものだ。
「楽しもう」というルール
V6には「楽しもう」というルールがある。
これはデビューイベントの際にリーダーである坂本さんがメンバーを鼓舞するべく言った「お客さんが1人とか2人でも関係ない、楽しもう」という内容の言葉からはじまっている。
が、それももう笑い話になっている。
その時坂本さん自身がすでにいっぱいいっぱいで、震えていた。その様子を見たメンバーは「この人がいちばん楽しめていない」と思った。
この時代の坂本さんは、肩に力が入りまくってガッチガチだった。
坂本
「ファーストコンサートの前なんか、 1週間くらいほとんど寝なかったり。そっか、人間、寝なくても大丈夫なんだって思ったもん。眠れないとかじゃないんだよ。深夜に帰って、コンサートのこと、もっとおもしろくできないかなとか考えてるうちに、気づくと朝になってる。あっ、シャワー浴びて出かけなくちゃ、みたいな。 でも、今、あのコンサート当日のことは、なぜか全然思い出せないの。」
(MYOJO/2001年12月号)
ずっとコンサートのことばかり考えていたからか、少ない睡眠時間の中でも寝言で「ねぇ、次の曲はさあ…」 と言っていたらしい。コンサート直後の雑誌では「満足度は25%くらい」と言っていた。
そんな時代からずっと「楽しもう」と言っていて、それはV6としてのルールになった。
2003年。
坂本さんが30歳を迎えてから2年が経ち、この年の夏のコンサートは、いつもと違った大胆な試みに挑戦した。
東京、いまやV6にとっては「聖地」と称されるほどになった代々木第一体育館。
全国は回らずにこの会場のみを使い、2週間に渡って連日コンサートが開催された。
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Vプログラム・VVプログラムという違ったコンセプトの2種類のコンサートをつくり、チケットも2公演分で1セット。
2パターンのステージを連日繰り広げる、期間中の負担はもちろんだがその準備もかなり大変だったようだ。
最終日には2つのプログラムが組み合わさったVVVプログラムまで実施した。
2004年。
この年も引き続きこの形式が採用された。
「OSAKA DREAM」「TOKYO DREAM」が前夜祭あつかいで行われ、その後に代々木で「SUMMER DREAM」としてVプログラムとVVプログラムが行われた。もうなにがなんだか。
とりあえずめっちゃDREAMって言うやん…と思っていた。
前年のコンサートのテーマは「LOVE」と「LIFE」。使ってくるワードがどれもキラキラしていて眩しすぎる。
2005年。
10周年を迎えたV6は「学校へ行こう!MAX」の企画で北海道を旅した。
ラストではキャンプファイヤーをしながら、それぞれがお互いに向けてスピーチをする。
坂本さんのスピーチには、2003年はじめて2パターンのコンサートを同時に作らなければいけなかった時の話があった。
ちょっとカメラとか関係なくて、ちょっと…言いたい事があります。
10年前のこの時期にV6の話があって、その時に事務所から「坂本がリーダーで、V6をこれから引っ張って頑張っていって下さい」っていう言葉をもらった時に、正直すっごい悩みました。
リーダーをやるかやらないかじゃなくて、リーダーをやるか、リーダーをやめて事務所を辞めるか。
なんでそこまで悩んたか、というと自分がそういう器じゃないのが分かっていて、もし俺がリーダーになってメンバーに迷惑かけると同時に、自分が壊れていくんじゃないかっていうのが、すごく不安に思ってて。
色んなことに関して謝んなきゃいけないこともあります。
まずカミセンにガミガミ言ったこと。
そん時、剛とかよく衝突したけど。
あれで分かった事もあったし、逆にそれをね、フォローしてくれた井ノ原、長野にも本当に感謝しているし。
あと、ちょっと飛んじゃうけど2年前。
2つコンサートを作るっていう時にかなりのプレッシャーがあって……
坂本さんの目には涙が浮かび、ここで少し沈黙してしまう。
ごめん、と短い言葉を挟んでさらにこう続く。
コンサートの演出のタイムリミットが近付いている時に、リーダーという立場だったんで、色々悩んでいる時に、井ノ原が俺んとこに来て
「坂本くん何勝手に背負ってるんだよ」
っていう一言聞いて、俺もかなりテンパってたんでその時に井ノ原に
「お前らこそ何笑って遊んでんだよ!」
っていう…みんなの気持ちを分からず勝手に俺が突っ走ってて、そのイライラを逆に皆にぶつけてしまった事を本当に今、後悔しています。
一番先頭に立って「みんな楽しもうぜ」って言っている俺が、楽しんでいなかったなぁって思うと、メンバーに…申し訳ない気持ちしかなくて。だけどその分、メンバーが責任をもって、色んな壁を乗り越えられる力が生まれてきたんじゃないかな、と思っています。
11年目のスタートと思って、岡田、健、剛、井ノ原、長野。
これからは俺も楽しむんでV6のルール、これからもずっと一緒に楽しみましょう!
これからもよろしくお願いします。
(「学校へ行こう!MAX」/2005年11月1日放送)
感極まって思わず泣いてしまったリーダー。
これもいまやメンバー間ではネタの1つになっている。
が、そこには確かに神妙な面持ちで言葉の1つ1つをしっかりと受け止めるメンバーたちがいた。
大感動のシーンもいまや笑い話。ここがV6のおそろしいところだ。
リーダーらしさって何なんだろう?
結局のところ「リーダーらしさ」とは何なんだろう。
どういった人がリーダーに向いていて、リーダーとはどうあるべきなのだろう。
向いてないんです。テンパって、一人で一生懸命突っ走って、空回りしちゃって、そのうち自分が壊れちゃうのがわかっていました。V6のリーダーも案の定…でしたよね(笑)。自分が一番前を走っていると思ってパッと振り向いたら、後ろにいたはずのメンバーが誰もいない。「あれ?」と思って前を見たら「なんだ、みんな、ずいぶん先行っちゃってるな~」って(笑)。ほかの5人は、それぞれ自分のやりたいことをしっかり見据えて、ちゃんと自分の歩幅でずんずん進んでいました。いつの間にか僕1人だけが取り残されていた。焦りましたね。
(2015ツアーパンフ)
気付いたらみんな自分より前にいた、そんなふうに感じた時の坂本さんを想像するとなんとも寂しい気持ちになる。
ぽつん、と取り残されて本当に1人で立ち尽くしているようなこの表現はあまりにも切ない。
ただ見方を変えればそれは脇目も振らずにただ一生懸命で、まわりが見えないくらいに必死になっていたことのあらわれでもある。
長い長い20年以上の月日をV6として過ごしてきて、坂本さんはこんな風に言う。
ただ、今あらためて「リーダーとして何をしてきましたか?」と問われると、「俺、何をやったんだっけ?」となりますね。結局、本当に何もしていなかったんじゃないかな。
(2015ツアーパンフ)
ほんわかした空気をつくってくれたのはカミセンだ、と言う。
至らないところをフォローしてくれた長野さん、井ノ原さんに感謝している、と言う。
そして、自分はリーダーに向いていない、と言う。
なんでも周りのおかげにしてしまうけれど、いつもそれぞれとしっかり向き合いながら先頭を切って進んできた坂本さんは間違いなく「リーダー」に価する。
リーダーに必要な才能はきっと、道を間違わずに自信満々に人を引っ張っていくという部分ではなくて、いかに人を思いやれるか。
坂本さんを見ていて私はそんなふうに感じるし、はじめからその才能は持っていたんじゃないかな、と思う。
私はそんなリーダーに憧れる。
人を思いやるからこそ信頼される。
結局のところ、「どれだけメンバーから愛されるか」が一番わかりやすいリーダーとしての評価だ。
長野
なんだかんだ言ってもやっぱり6人を引っ張ってる存在。「リーダーっていっても何もやってない」って本人は言うけど、俺たちから見たらぜんぜんそんなことなくて。しめるところはちゃんとしめてるし、やっぱり俺たちのリーダーは坂本君だよ。
(ポポロ/2000年1月号)
井ノ原
でも、あらためて坂本くんがリーダーでいてくれて、本当によかった!って痛感しています。今、こういうV6になったのも、坂本くんがリーダーだったからこそ!
(2015ツアーパンフ)
道の示し方は器用とはいえなかったかもしれない。
でも私は、器用なリーダーではなく不器用なリーダーがつくってきたV6が好きだ。
そういう道のりで来たからこそ今のV6があって、決してスマートとはいえない、ラクはしないでまとまってきたからこそ手作りのあたたかみのようなものを感じる。
それは坂本さんがリーダーだったからこそで、よくよく考えてみると「ああこれって元々は坂本くんがつくった流れだったんだな」というものがいくつもある。
奇妙とも言えるあの頃の関係性は、時間が経ったからこそ後になって見えてくるものもある。
でもそれは結局「大変だったろうなあ」と慮るしかできなくて、その苦労は体感した本人にしかわからない。
けれど、わからないからこそわかりたいと思う。想像する、理解しようとする。
そこにはきっと意味がある。
井ノ原
「僕は一生をかけて坂本くんの気持ちをわからなきゃいけないなぁ」って思うくらいV6で一番苦労している人なので、感謝を込めて、これからは好きなことをやらせてあげたいです。
(2015ツアーパンフ)
V6の歴史において、すべては笑い話になってゆく。
彼らは昔話をどんどん盛ってしまうし、懐古して楽しそうに笑う。
ついでに言うと同じ話を何度もする。そして毎回爆笑する。
言えば言うほどネタとして仕上がっていき、どんどん小噺のようになっていく。
見ているこちらはもうどこまで本気で受け止めていいのやら。
こうなるともう、おそらく30周年を迎える頃には20周年のあれこれも笑い話になっているような気がする。
ところで、私は坂本さんがセンターに陣取っていたり、ソロパートを歌っていてカメラに抜かれるとなんとも言えない嬉しい気持ちになる。
異様にテンションが上がってしまうのだ。簡単に言うとときめく。
それは他のメンバーに抱く感情とはまた少し違ったもので、これは一体どこから来ているものなのだろう?と考える。
思うに、どうやら私は坂本さんに対して「リーダー手当」的なものを乗っけてしまっている、という表現するのがいちばん近いのかもしれない。
重ねてきた苦労に、しかもそれが「だれか」に対して一生懸命なあまりに背負ったものだったことに、どうしても1つ乗せて見てしまうのだ。なんともいえない、やりようのないたまらない感情を。
近頃よく見かけるのは肩に力の入っていない飄々とした表情。
グループの代表としてだれかが話す場面は井ノ原さんが率先することも多くなった。
代表役となるメンバーのそばで、言葉は発さなくても「ん」と口を結んで度々うなずきながら聞く。そんな坂本さんの表情も、私がひそかに好きな表情だ。
4周年の頃にはすでに「V6になる前より"笑う"ようになった」と言っていた。
でも今はその頃よりもっと"笑う"ようになった。
メンバーとももっともっと近い距離感、やわらかい雰囲気をまといながら"笑いあう"ようになった。
2016年、私はそんなV6を見てニヤニヤする。
そこに流れる自然な空気感を見て勝手に嬉しくなっている。
先月発売になった「Beautiful World」は、そんな「たどりついた今」の平和な世界観に満ちてキラキラした楽曲だった。
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デビューから数年経った頃にはすでに仲の良さはあった。
でもきっと、昔のV6にはここまでの平和さは醸し出せなかったような気がする。
2000年の記事で、こんな文章を発見した。
坂本
V6の理想?う~ん、俺たちがそこにいるだけで、ほわ~んとあったかい雰囲気が出てくるようなグループになりたいね。「なんかいいよね、このグループ」って言われるようになりたい。俺らが勝手に騒いだり笑ったりしてるのを見て、視聴者もなんかニヤついちゃうような。そういうのは作ることはできないでしょう。作るのではなくて、そういうものが出せるグループになれればいいよね。
(ポポロ/2000年1月号)
なーんだ、結局リーダーが思っていた理想通りのグループになっているんじゃないか。
作るのではなく、ただそこにいるだけであったかい雰囲気を出せるような、そんなグループ。結局手のひらで踊らされたような気がしてしまうが、ここはもういっそ盛大に踊っておきたい。
だからあえてこう言わせていただく。
「なんかいいよね、このグループ」。
やっぱり、「今」は「過去」の延長線上にある。