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V6は29歳の時何をしていたのか?(4)森田剛編


 V6メンバーの29歳をまとめてみる、第4回剛くん編。

いよいよカミセン編突入です。

 

 

 

 

 

20151025005713

 

 

2008年、V6デビュー13周年の頃のお話。

29歳の誕生日前日まで「IZO」の舞台を行っていた。

IZOは森田さんにとって2作目の主演舞台。この作品から舞台の魅力を感じ始めた、と語っているので森田さんにとってもやはり少し気持ちに動きがあったあたりなのかも。

初主演は2005年の「荒神」なのだが、その際にはメンバーもファンも驚いたものだ。俺は舞台はやらないと本人が度々言っていたからである。

その舞台が終わって、29歳になりしばらくはレギュラー以外のスケジュールは控え目。夏からはV6としてツアー、そして秋にはソロコンサート。

 

 

11年続いた「学校へ行こう!」が終了

森田さんが29歳の年、学校へ行こう!が放送終了した。

11年続いたV6の代表作とも言える伝説的番組。現アラサー世代からすると、小学校高学年〜中学校くらいの時期は大半の人が見ていたのではないでしょうか。

20周年を機に特別番組として復帰することも決まり、嬉しい限り。

 

今年のツアーのパンフレットでは、森田さんはこう語っています。

ーV6として長くレギュラーを務めた「学校へ行こう!」には、どんな思い出が

ありますか?

すごくたくさんのものをもらったし、たくさんのものを失った…というか(笑)。コメント力や、例える力は『学校へ行こう!』のスタッフの人に教えられたし、視聴率もすごくよかったし、この番組で世間の人にV6ってグループを覚えてもらえたし。森田剛も知ってもらえたと思います。あらためて「ありがたいなぁ」と思います。え、失ったものは何かって?(笑)失ったものはイメージですかね。芝居の仕事をしているときは、バラエティーでのイメージが邪魔になることがあるんです。役を演じているときは、その役で見てもらえるのが一番いいじゃないですか?そこにバラエティーでのイメージを重ねられたくないというか…。だから「バラエティーでなんらかのイメージがついてしまうのは邪魔だな」と思うことはありました。 

 

森田さんはコーナー中でもなかなか濃いキャラクター性を要求されていたように思う。それが役をやる上で邪魔になってくるのはまあ…あるだろうな…。

ただ、あのうひゃひゃ・うひょひょ笑いはこの番組で最も発揮されていたのでとても重要だったと思う。

過去の雑誌を読み返してみると各メンバーがちょくちょく「最近の剛がとてもおもしろい、良い」という旨の発言をしているのが見受けられる。三宅氏からは「バラエティやって変わったね。殻をぶち破って、すごくいいことだと思うよ。」というお褒めの言葉もあった。ある意味剛担代表とも言える三宅氏が言うのだから間違いない。学校へ行こう!は、いい意味で森田さんを変えた番組だったのだ。

自分の名前のついた「GO森田シリーズ」というコーナーも持っていたからには、少なからず気合も入っただろうし感じるであろう責任もあったはずで。

 

残念ながら番組は終わってしまったけれど、確かにこの頃になると番組内容も迷走していたように思う。V6がみんなでロケに出ていたりもしたけど、なんだか番組の方向性はどんどんブレていった。ファン的には美味しかったかもしれないが、一般層から見てもおもしろかったのだろうかと考えると疑問もある。

 

2005年から改称され「学校へ行こう!MAX」になったのだが、Wikipediaにはこう記載されている。

前身番組の学校へ行こう!』をリニューアルしたものであり、前番組では番組のテーマにそぐわないコーナーで視聴者から苦情が来た事から一時「子供に見せたくない番組」に選ばれた事が影響してか、内容も初期に立ち返り「日本の学生」を中心としたものへ改編された。(Wikipedia)

出たよ。

こういう改変で崩れていった番組がどれだけあったんだろう。結果、今のテレビ番組で放送できることの幅はどんどん狭くなっていってるじゃないか。

学校へ行こうに限ったことじゃないけど、昔の番組はもっとやらせ臭いものも多かった。やらせ臭さを感じようとも、その胡散臭さとかグレーな感じがよかったんだけどなあ…と、アラサーでありくだらないもの好きの私は思う。

 

この時のV6の状況を整理すると、TBS全国ネットゴールデンタイムのレギュラー番組が終了し次のクールからは深夜枠ではあるが同じくTBSで「新知識階級 クマグス」が始まる。

これ以降今日に至るまで、内容を変えてはいるがこの枠でのレギュラー番組は続いている。

私はこの事実をあまり良く知らなかった。今回この記事を書くに当たり、番組名を順に書き出してみて初めて知ったくらいだ。

なぜかと言うと、関西ではこの枠の番組が一切放送されていない。つまり、現在テレビでV6のレギュラー番組を見る機会がないということになる。

この状況が2010年3月にVVV6が終わってから続いているのだ。つまりもう5年以上になる。なんてことだ。

ネクジェネの放送もいつのまにかなくなっているし、私が離れていた間に関西はV6を追う者にとって生きづらい土地に成り果てていたようだ。

 

深夜枠とは言え、レギュラーが1本あるかどうかでかなり違う。

TBSがいまだなおV6のレギュラー番組を続けてくれているという事実にちょっと感動した。ありがとうTBS。

 

「11年も続いていた番組の終わり」に、森田さんは何を見たんだろう?

見えた景色を知る術はないが、

個人の仕事が増え始め、グループとしての仕事が減り始めた時に、何がなんでも続けるという考えもあるし、一人一人やりたいことがどんどん増えて、そこで勝負したいと思うのなら、グループとしては"引く"という考え方もありなんじゃないかって。もしかしたらそっちの感覚のほうが健全なんじゃないかと思ったりもしましたし。俺も舞台をやっているときに「芝居だけに集中したい」と思ったことが、正直、何度かありましたからね。でも、そういう自分たちの気持ちより、単純に"必要とされているか"、"必要とされていないか"のほうが大事だと気付きました。

(2015年ツアーパンフ)

 この言葉から読み取れるのは、やはり「引く」ということを一度は想像しているということ。メンバーがそこで自分の考えに基いて「引く」選択肢を選んでいたら、20周年を迎えることはなかった。「必要とされている」と感じて、応えてくれたからこそ、だ。

 

モリコレ焼失事件

この年に行われたV6ツアー「VIBES」では、森田さんが初めて衣装デザインを担当した。

ところが移動途中にトラックが自然発火で炎上。しかもよりにもよって衣装を積んだトラックが一番燃えたそうな。しかもその燃えたタイミングというのは、大阪から広島への移動中。つまり、

大 阪 8月1日〜3日

(衣装焼失)------------------

広 島 8月8日

名古屋 8月11日・12日

福 岡 8月14日

北海道 8月17日

新 潟 8月20日・21日

仙 台 8月24日

(衣装完全復活)------------------

東 京 8月28日〜31日 

 

無事だった物や直しが終わったものは順次復活していったのだが、完全なモリコレが披露されたのは大阪・東京のみだった。

それ以外、地方の8公演では急遽かき集めた衣装の中から森田さんがスタイリングしたものを着用。中にはKAT-TUNの衣装もあったらしい。ある意味レアだ。

しかし、初めて衣装デザインを担当したタイミングでこんな大事件が起きるとは。

あってはならないことではあるが、ほんと一筋縄ではいかない人だなあ…。ドラマ化したら絶対使われるエピソードだ。 

このコンサートは森田さんが衣装をデザインをしたことに加え、岡田さんが構成・演出を担当。岡田の反抗期はこの頃には終わっていたのだろうか…話はズレるが、「岡田の反抗期」はとても追求したいテーマのひとつである。

 

 ソロコンサート「PAINT IT BLACK」

デビューから13年、29歳にして初めてのソロコンサート。 V6でソロコンサートを開催したのは森田さんだけです。メンバーみんな観に来たらしい。愛されてるなあ森田剛…とほっこりする。

三宅さんに関しては一度ならず二度までも訪れている。さすが。

 

コンサートをやるにあたり、「踊りをちゃんとしっかり見せたい」「自分と強い意志と、自分の弱い部分を表現したい」という意志があったとのこと。

男性・女性ダンサーを従えながらガンガン踊る。カッコいいものから、女性ダンサーさんとのちょっとエロティックな世界観のダンスあり、可愛らしい曲あり、曲中にお客さんとの会話を挟んでみたり。かなり盛りだくさんな内容だった模様。

風船が降ってくる演出で、その中に当たりが混ざっていて当たった方を舞台上へ上げて目の前で歌ったり。

本人が 「29歳だからこういうコンサートができたんだと思う」と語っているのも頷ける。20代前半とか、この時より若い時にやっていたらきっともっと突き放したというか、尖った内容になっていたのではないだろうか。

幼い頃は全てを持っていたのに 
何故今この手に  何も無いのだろう 
道をさえぎる物が  痛みや嘘だとしても 
力や怒りでは  夢を運ぶことが出来ない 
揺るぎない心が欲しければ  目を閉じろ 
何にも覆われない真実の黒を信じろ 
聴こえるか 怯えなくていい 
ドアを叩く音じゃない  心臓の音だ 
叫んでやれ  生きている事を 
消えないように 
黒く 黒く 黒く

 コンサート冒頭の映像ではこのような言葉が並べられた。

尖っている。とても尖っている。めっちゃ尖っとるがな。

むしろここから始まってお客さんとの絡みがあったことのほうが驚きだ。

世界観重視にしようと思えばいくらでもできた中でそうしなかった森田さん(29)。着実に丸くなったというか、大人になった。ある意味、大人になってしまった、とも言えるが。

 

前回までにトニセンの3人の29歳をまとめ、3者3様それぞれに思うところがあった。

でも29歳の坂本くん、29歳の長野くん、29歳のイノッチを横に並べることを想像してみてもそんなに違和感がない。やっぱりグループ内の上3人、まとめる立場だった方々の29歳って似てる気がする。

 

ところがどっこい、ここに森田剛29歳を並べてみてほしい。

うわあああ…!ってなるのは私だけだろうか。言いようもない動揺というかときめきというか。なんだろうこの感覚。

引っ張られていた側の29歳は、やっぱりまとめる側の29歳とは少し違うように感じる。

 

とはいえやはり着実に年を重ねているわけで、カミセンが29歳に差し掛かった頃にはグループの状態はかなり変わってきていた。

井ノ原さん29歳(2005年頃)までは"グループとしての選択肢"の中に「引く(=解散)」はまだ全く無いように思う。アニバーサリーでしたし。

でも、森田さんが29歳に差し掛かった頃にはそういう考えも選択肢の一つとして十分あり得た。選択肢の項目の一つとして「終わらせる」があることの恐ろしさよ…。

そこを選ばずにいてくれたことに、心から感謝したい今日この頃だ。