突然だが、私はもともとイラストを描く人間だ。
いや、もう「描いていた」と過去形で言うほうが正しいかもしれない。
というのも近年はほとんど絵を描くこともなく、極稀に気が向いた時に落書きする程度。就職と共に描く時間が減ってすっかり遠のいてしまった。描きたい気持ちに駆られることは今でも少しあるのだが。
そのアクセル全開状態でイラストを描いていた頃に、いわゆるジャニーズ誌にイラストを投稿していた。もう10年以上も前のことだ。
ジャニオタの方にはそういう類が苦手な方もいると思う。なのでブログでこの話題を書くのはどうなんだろうと、迷っていた。
でもやはり当時を思い返すと我ながら痛くておもしろい。はっきり言ってちょっと、いや結構ヘンである。なぜあんなに情熱的に取り組んでいたのか、今考えると不思議なくらいのものすごい熱量で投稿に励んでいた。
そんな少しヘンだった私の昔話を綴ってみようと思う。
目次
「読者投稿ページに載ってやる!」という謎の情熱
もともとイラストを描くのが好きだった私は、V6にはまると同時期に「彼らを描く」ということも始めた。イラストを描く人間に「なぜそれを描き始めたの?」と聞くのは野暮である。無性に「描きたい!」と思ってしまうあの衝動は、なんとも説明しがたい。
やがて私は、ジャニーズ誌の中に読者投稿ページがあることを知る。
昔から漫画雑誌の読者投稿ページに興味があった。「りぼん」だったり「なかよし」だったり、載ってみたい!なんて思い投稿してみたこともあったが、いずれも結果は惨敗だった。
そんな私だったので「いつかジャニーズ誌の読者ページに載ってやる…!」と野望を抱きはじめるのに時間はかからなかった。
かくして「ジャニーズ誌の読者投稿ページに載る」というのは私の密かな夢になる。どうにかしてあの誌面に掲載されてみようじゃないか、という謎の情熱を持って画策し始めた。
初掲載への道
野望を抱きはじめてからイラストが掲載されるまで1年かかった。
投稿しよう!と決めたものの、そこから10ヶ月ほどはひたすら練習と研究の日々である。
「日頃から描いてるんだから、それをそのままハガキに描いて送ればいいじゃないか」、とも思われるだろう。というかなぜそうしなかったのか今となっては謎だ。ああいうものは普通、当たって砕けろ精神でとりあえず送ってみるものだと思う。
私はまず、「あの紙面に載せてもらえるレベルまで力を付けねば…!」と謎の熱意を持って励みだす。その結果イラストのタッチは1年ほどの間にかなり変わった。そうしてようやくいざ送ろう!と動き出す。
…が、そこで素直に憧れの「王道ジャニーズ誌」宛に投稿する私ではない。まずは少しマイナーな雑誌から徐々に攻めてみようではないか。
そこで狙ったのが「Kindai」である。
「Kindai」はジャニーズだけではなく他の男性・女性アイドルやお笑い芸人などにもわりとページを割いているような雑誌だった。残念ながら現在は休刊となっているということを今調べて初めて知り、寂しい限りである。
その「Kindai」に初めて送ったのは岡田さんのイラストだった。
今も掲載された雑誌はすべて手元にあるのだが、今見るとだいぶイタイ。とてもではないがお見せできない。ヤバさに胸がぎゅーっとなる。
初投稿までにおよそ1年をかけたのがよかったのか、なんと初投稿にして初採用。本屋で雑誌を開き、自分のイラストが載っているのを発見した時の嬉しさといったら。心臓の高鳴りとあの高揚感は、なかなか他に類を見ないものだったように思う。
今思うとこのKindaiはかなり難易度が低かったのではないか。私のようなヤツでも初掲載以降2年間、ほぼ毎月のように載せていただいた。
初掲載で手応えを感じた私はいよいよ憧れの雑誌にも投稿を始める。
「POTATO」と「Wink up」である。
さてこの2誌。やはりといっていいのか、Kindaiに比べるとはるかに掲載されるのが難しかった。
Wink upに載るまでは初掲載されてから1年かかった。つまり「いつか載ってやる!」と思い始めてから2年後。さすがに誌面で自分のイラストを見つけた時は震えた。
POTATOに載るまでは意外と早かった。だがこの雑誌、当時は1番小さいサイズだと親指の爪程度の大きさでの掲載だった。どれだけ頑張って描いても所詮親指の爪。いや、載るだけで嬉しいけども。
しかしながらPOTATOに掲載されるととても美味しい特典があった。
それは「どんなサイズでも掲載されると1000円分の図書券がもらえる」ということで、これは非常に美味しい。
私は最大で1度に4枚イラストが掲載されたことがある。つまり月4000円稼いだということ。中学生が4000円いただけるのはかなりデカイ。
そのお金を何に使ったか?ということは今でもしっかり覚えている。
英語と数学の問題集だ。
真面目かよ!と思われたかもしれないが、そうとも言えない。
私が投稿を始めたのは中3の夏、高校の受験勉強時期の真っ最中だった。はっきり言って不真面目極まりない。
結果的に志望校に合格できたのはPOTATOさんがくれた図書券のおかげで買った問題集が一役買っている、かもしれない。
読者ページを研究した結果、見えた傾向
私はこの頃「ジャニーズ誌読者投稿ページ研究家」を名乗れるくらいには紙面を研究していた。
ハガキの向きはどちらがいいか、誰を描いたら掲載される率が高いか、どんな方のどんなタッチのものが多く掲載されているか、色合いはどんなものがいいか、送る時期はいつごろがいいか、etc。
常連さんについてはイラストと名前を記憶していたため「この人また載ってる!」というのも大体把握していた。
大好きな常連さんも何人かいて、その後ホームページを持っていることを知り、掲示板にメッセージを書き込んだりしていた。返信をもらった時は感動した。(ホームページ文化がわかる方には共感いただけると思うが、キリ番を踏んでイラストリクエストに答えてもらったのも最高に嬉しかった。)
あれだけ熱心に研究していたしせっかくなので、「こんな思いや目論見を持って投稿していましたよ」というのをまとめてみようと思う。
POTATOへの投稿に関しては自分の中でルールがあった。
それは「絶対にハガキを縦に使う」こと。
当時のPOTATOは縦長のイラストの掲載率が比較的高かったのだ。
また、ハガキを送る時期についてもこだわった。
自分がハガキをポストに投函した日はすべてメモし、投函してから何日後に掲載されたかを一覧にしてまとめていた。
私のデータだと、掲載までは平均して大体約1ヶ月はかかる。2ヶ月まではまだ望みがあり、3ヶ月経つとほぼボツと思ってよいと思う。
投函してから掲載されるまで1番時間がかかったものはKindaiで299日後。7月に送って、翌年5月に掲載された。忘れた頃にも程がある。
逆に299日間もの間、私のハガキは一体どう扱われていたのだろう。気になって仕方ない。
誕生日など季節ネタになるとかなり早めに送ったほうが無難で、私は大体2ヶ月前には送っていた。
井ノ原さんの誕生日(5月17日)のイラストだと、3月3日に送って5月の発売号に掲載されたことがある。
3月3日に送るとなると、2月中には動き出していないと間に合わない。誕生日は5月なのに2月からもう動く。どんだけやる気満々なのかとつっこみたくなるほど早めで丁度いい。
そして、投函する日周辺の天気予報もチェックしていた。これは投函する日はもちろん編集部に届くまでの期間分も考慮する。せっかく描いても届くまでの間に雨で濡れてしまっては残念過ぎる。
天気以外にもハガキが汚れてしまう罠は潜んでいて「掲載されたものを見たら消印が濃すぎてイラスト面まで汚れてしまっている」…という事態もたまにある。もしかするとイラスト投稿あるあるかもしれない。
ハガキに関しては私は最終的に官製はがきに描かなくなった。
失敗などのリスクを考えるとハガキサイズの用紙にイラストを描き、上手く描けた場合のみ切手を貼って投函したほうが効率的だし安心できる。
あとは裏に必ずコメントを書いて送っていた。採用してもらった後は必ずお礼を書いていたし、最後は毎回「よろしくお願いします」でしめる。
「◯◯くんをこんなコンセプトで描きました!」的な、イラストに対するプレゼンも入れていた気がする。恥ずかしい。
私は天才タイプではないのでこういう小細工を駆使していた。はっきり言って私より絵がうまい人なんていくらでもいて、今改めて掲載された誌面を見ても「そんなにうまかねえなあ…」というのが自分のイラストへの率直な感想だ。
結局採用されるのに何が大事かというとたくさん送ることに尽きる。
当時の私はイラスト投稿に対し「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる!」の意気で臨んでいた。
最終的に42枚採用されたが実際は140枚ほど投稿した。ボツのほうがはるかに多いので、やはり質も大事だが量はもっと大事だと思う。
ラジオでトニセンにイラストへのコメントをもらう
イラストを投稿していた頃、トニセンのラジオ「ネクジェネ」内でとあるコーナーがあった。
その名も「今更番組知名度アップ大作戦」。
「番組が始まってからかなり経っているにも関わらず、番組の知名度をアップさせよう!」という趣旨のコーナーだった。
そう、私は「雑誌に『ネクジェネ』の番組名入りのイラストを投稿し、もし採用されたらその件をネクジェネに投稿しよう」と企んだのである。
今思えば相当やらかしている。
そしてそれを今こうしてブログに綴っている時点でやらかしを重ねている気がする。
だがその痛さもおもしろいのではないか、と思い直しこうして綴っている。すいません反省しています、石を投げないでください。
雑誌に投稿してそれが掲載される、ということ。やはり描く側の人間の脳裏には多少、「もしかしたら本人の目に届くかもしれない…」という考えがよぎる。
それはよっぽどのことが無い限りは「かもしれない」の範疇を出ずに終わる。
私もそうなるはずだった。
だが、私が企んだこの画期的かつイタイ作戦は、なんと成功してしまうのである。
長野「『私はイラストを描くのが大好きで、よくV6のイラストを描いて雑誌に投稿しています。そこで、この前イラストに「V6ネクストジェネレーション JFN系 土曜夜9時」と書いて送りました。すると、見事採用!どのくらいの人に見てもらえたかわからないけど多分宣伝になったと思います』ということでですねー、その載ったやつのコピーがきております。」
坂本「あーほんとだ!」
長野「コレ!」
井ノ原「あー」
坂「書いてあります」
長「3人のイラストで」
井「へえー」
長「コメントももらってます」
井「雑誌コレ?」
長「雑誌ですねえー」
井「あー本当だー、本当だ本当だー、絵もうまいですねー」
坂「こういう似顔絵のコーナーに自分が載ってると嬉しいよね」
長「嬉しいよねー」
井「あー、でもすごく美化されてると悲しいよね」
坂・長「(笑)」
井「こんなかっこよくねーよって」
坂「さみしいな!(笑)」
井「これも美化してくれてます。ありがとうございます」
長「目が大っきくね、嬉しいですね。ありがとうございます」
坂「ありがとうございまーす」
以上、当時書いたラジオレポ(またしても手書き)より。自分でも久々に見たが、いや、もう、なんか……怖いもの知らずな当時の自分がおそろしい…。
こんな貴重な経験ができることはそうそうない。
そりゃあもう嬉しかった。まさか自分が描いたイラストに対してご本人からコメントをいただける日がくるなんて。描いてて、投稿しててよかった…!としみじみ思ったものだ。
しかし今改めて思い返してみると「あああ…」と頭を抱えたくもなる。
その送ったイラストというのも見返してみたが美化に美化していてもう「あああ…」と唸るしかない。
坂本くん、長野くん、イノッチ、こんなん送りつけてすまんかった…と謝りたくなる。気を使ったコメントまでしてもらって、申し訳ないかたじけない。
全部ひっくるめてもはや「あああ…」という感想しか出ない。
いつか載ってやる!と野望を抱いてから3年後の私は、それ以上のとんでもないところまで到達していた。
ある意味「超えたいようで超えてはいけないライン」を超えてしまっているような所業だった気もする。成し遂げたというべきかやらかしたというべきか。今考えるとゾッとする。
情熱と狂気は近いところに存在するのかもしれない。
すごい経験をした。嬉しかった。でもイタイ。めっちゃイタイ。恥ずかしい。穴があったら入りたい。
むしろ穴が無くても自ら掘って埋まりたい。
本人的には、ネタとして大いに笑ってやることでしかこの恥ずかしさを昇華させる方法がない。
もう10年以上前の、遠い昔話。どうか時効として扱っていただき、オカシイ奴がいたもんだと笑っていただければ幸いである。