おかげさまで先日、ブログへのアクセスが累計30万ページビュー(記事が表示された回数、以下PV)を超えた。
読者さんの数も気付けばこの2ヶ月でまた100人ほど増え、現時点で240人を超えている。
本当にありがとうございます。
特にこれといって何のおかまいができるわけでもなく、だらだらと書き連ねるばかりのブログではありますが、せめて数ミリ程度でも楽しんでいただければ幸い。
以前にもPVが増えて感じたことを書いたので、しばらくは言及するようなこともないかなと思っていた。
しかしながらこの15万PVから30万PVの間、2ヶ月の間にまた新しい経験をしたので、今回はそのことについて。
体験談を踏まえて考えた事として残しておこうと思う。
目次
SMAP報道を受けて
「3ヶ月で15万PV」の記事を書いた後、今日までの2ヶ月間で一番アクセスされた数が多かったのがこの記事だ。
これを書いたのは、まだSMAP本人の口からは何も発言がなかった頃。
騒動が起こった直後、私は「また噂の類か…」と思っていた。
だがどうやらこれはただの噂話ではないぞ…といよいよ事態の深刻さを感じ始めた。
そこで書いたのがこの記事だった。
長々と書いたものの、結局やりたかったことは「私の頭の中を整理すること」だ。
何が起こっているのか。
なぜモヤモヤするのか。
一連の事象についてどう感じているのか。
それをふまえて、私は一体どうしたいのか。
グチャグチャにこんがらがった考えを、丁寧に解いていくような作業。
そう考えるとなかなか独りよがりな文章でもあると思う。
この記事の根本にあるものを端的に言えば、
「私はSMAPについてどう思ってるわけ?世間は?それで結局私はCD買うの?買わないの?」という自問自答だ。
そこで出た私の答えは記事で言及しているのでここでは省く。
とにかく、まったく想像していなかった数多くの反響をいただいた。
アクセス数に驚き、とりあえずツイッターで「書きたいことを好き勝手に、思うことを思ったままに書いたSMAPの記事に1日だけで相当なアクセスをいただいて驚いた」ということを呟いた。
ここではあえてその「相当なアクセス」数について触れておく。
記事を掲載した後の2日間で27,134PV。
訪れた人の数だけでもおよそ25,000人。
私の中ではこの数字は驚異的だ。
私がアクセス解析を見ていた瞬間で、一番アクセス数が膨れあがっていたのは315人。
この瞬間、このブログに同時に315人もの方がアクセスしていた。
「100人乗っても大丈夫」というフレーズがあるが、私のブログはどうやら315人乗っても大丈夫なようだ。
クールにそんなことを思えていればかっこいいのだが、その瞬間を目撃した私はといえば
「さ?さん?!さんびゃく…!?!?」
と震え上がっていた。
スタイリッシュなブロガーにはなれそうもない。
「書きたいことを好き勝手に、思うことを思ったままに」。
本当にこの言葉で表現した通りで、たくさんお礼の言葉をいただいたのもなんだか申し訳なく思ってしまうほど。
しかしながら1つ1つ丁寧に書いていくことで共感してくださる方がいることもわかった。
そして今回の件でいえば、多くの人がやっぱりSMAPに関していろんな思い出があることを目の当たりにした。
記事を引用した上で自らの思い出について呟かれていたりもして、それを読ませていただいてほっこりしたり笑わせていただいたり。
書いたものに対して反応していただけると本当に励みになる。
ブログなんてものは基本的にはその持ち主が好き勝手に文章を書き連ねる場所だ。
でも、どこかで誰かが何かを思ったり考えたりするきっかけになっているのだとしたら、そこで初めて「ブログ」をやっている意味を見いだせる気がする。
とにもかくにもSMAPの記事に関しては、普段外野にいる私がああだこうだと内に入り込んだ文章を書くのは非常におこがましい話だと感じていた。
むしろ「なんだコイツ…!」と思われるのではないかと危惧していたくらいだ。
たどり着いて読んでくださった方、またお礼を言ってくださった方。
おそらくブログのジャンルが違っているので、ぶっちゃけあまりこの文章は届かないとは思う。
それでもひとまずは「こちらこそ読んでいただいてありがとうございました」と言いたい。
そもそもお礼を言っていただくなんて本当に恐れ多く、なんというか「ありがとうございます」と返すことさえも気が引けてしまって、スタイリッシュなブロガーでない私はおろおろするばかりである。
SMAP記事にアクセスが増えて考えた「アクセス数と検索順位」
SMAPの解散報道の後、ファンの方々が「信ぴょう性のない記事はクリックしないようにしよう」ということを拡散しているのを目にした。
おそらく、その対処は正しい。
そのことを自らのブログ記事の順位を通して体感したので、見解を少し書いておく。
アクセス数が伸び始めて、「SMAP」で検索して訪れる方が増えた。
数日経ってそれが急激に増えたので何事かと思い調べてみると、驚くことに検索サイトの2ページ目に私のブログ記事が表示されていた。
「SMAP」で検索して2ページ目に表示される、それがどれだけすごいのか。
以下の画像はYahoo検索で「SMAP」と検索した際に一時期表示されていたものだ。
こういう事態が生まれるのだ。
ほんのひと時の事だったとはいえ、あの「SMAP×SMAP」や木村さんのラジオ番組の公式サイトとお隣。番組の公式サイトに並ぶというのは恐れ多いを通り越して大丈夫か不安になる。
また、次の画像はグーグル検索した際にトピックとして検索結果のトップに表示されていたもの。
ミッツ・マングローブさんのブログ記事はとても素晴らしく、その隣に並ばせていただくなんて本当に光栄の極みである。
思わずミーハー根性丸出しで画像を保存してしまった。
気分的には「芸能人と記念撮影をした」くらいの気持ちである。
検索順位についてはこの後少し調べてみたのだが、いろいろな要因から総合して判断されるようだ。
内容やその質、アクセス数、滞在時間などさまざまな要素から機械的に判断され、有益だと判断されれば上位に表示される、らしい。
検索結果が求めていた情報と違えばその検索サイトの信ぴょう性は落ちる。
それを避けるため、定期的に検索結果は更新される。
私のブログはおそらくあの時一時的にアクセス数が増えていたことが大きな要因となり、奇跡的に2ページ目に表示されることになった。
アクセス数が増えれば確実に検索順位は上がる。
ついでにいえば、アクセス数が減れば検索順位はおのずと下がる。
アクセス数の減少に伴い私の記事の順位も徐々に下がっていったので、それも実際に体感した。
SMAP解散の話題が出始めてから、各スポーツ紙やインターネットサイトでは情報元がどこなのかよくわからない信ぴょう性のない記事が本当に増えた。
注目されればされるほど、その記事を出している業者は得をする。
だからこそそういった記事は減ることはない。
それは検索サイトの結果にも反映されている。
ファンからすれば「はあ?」と思うような嘘くさい記事であっても、アクセスが集中しているものなら上位に表示されていたりするのが現実だ。
「私1人がクリックしたところで…」とは思ってしまいがちなのだが、塵も積もれば山となる。
アクセス数が増える→検索順位が上がる→多くの人の目に触れる、それを防ぐためにも拡散したくない記事はクリックしないこと。
私はこの騒動以降、これを心がけるようになった。
それと同時に…これはもう本当に、私が妄想するただの夢物語でしかなくきっと不可能に近いのだが、あえて書いておく。
本当に熱いファンが本当に熱い文章を書き、それが多くの人に認められるような事態が数多く起これば、もしかすると検索サイトの上位を独占できるのではないか?
もちろんその記事は世間一般から認められるようなクオリティのものでなければいけない。そのハードルがいかに高いかなんて想像もつかない。
でももしそんなことが可能なら、とつい想像してしまう。
もしそんな方法でインターネット上の悪意を封じることができるのならば素敵ではないか。
思わぬところでシェアされることになった「音漏れ参戦」記事
この記事を書いたのは昨年12月のこと。
V6の20周年コンサートでの「音漏れ参戦」について一度きちんと考えてみようと思い長々と書いた。この時もやりたかったことは「私の頭の中の整理」だ。
その時にもV6ファンの方にたくさんシェアしていただくことになり、「どこかに需要があるのなら本当に書いてよかったなあ…」と思った。
それから2ヶ月が経ち、またこの記事がシェアされる事態が起こった。
それも主にBUMP OF CHICKENファンの方々に、だ。
2月11日、幕張メッセで行われたBUMP OF CHICKENの結成20周年のアニバーサリーライブ。
その場で、V6のアニバーサリーコンサート最終日ととてもよく似た出来事があった。
会場の外に集まった、音漏れを聴きに来たチケットを持たないファンを会場内に入れたのだ。
集まった方々はロビーで、扉一枚を介して音漏れを聴かせていただいたらしい。
「会場内まで入れる」という、ある意味でV6以上の対応をしたこの話はファンの間で大きな波紋を呼んだ。
記事をシェアしたいただいたのをきっかけにファンの方々の反応も覗かせていただいたのだが、やはりV6の20周年の時と同じような状態になっていた。
音漏れ参戦の賛否と、今後のライブに対する不安。それがツイッター上には溢れていた。
私の感想としては、まずジャンルが全く違うファンの方々に記事をシェアしていただいたことが初めてだったのでとても驚いた。
ましてや、それも、「BUMP OF CHICKEN」さんだ。
「アーティスト」を愛する方には「アイドル」を嫌う方もいる。
もしかしたら私の記事を読んで、というか冒頭の文章を見ただけで「なんだよアイドルの話かよ!勘弁してくれよぉ!」と思われた方も居たかもしれない。
いや、居たはずだ。
そんな中で私の記事がシェアされたのは驚きでしかなく、なんというか、「V6」の話にもかかわらず「BUMP OF CHICKEN」のファンの方に読んでいただけたということに単純に感動してしまった。
そこには境遇がとてもよく似ていたという背景がある。
でも「ファン」という目線で考えた時、その対象が違っていてもこんなに感情を共有できる。
書きたかったことが、しっかり伝わっている。
その様子を目撃できたのはとても幸運だったと思う。
また、ちょうどこの記事がシェアされたタイミングでBUMPさんがNHK「SONGS」に出演されることを知った。
これも何かの縁だなあ、なんて思いながら番組を見るべくテレビの前にスタンバイしていたのだが、始まってすぐ映し出されたのはなんと昨年の紅白でBUMP OF CHICKENを紹介する井ノ原さんの姿だった。
私がうろたえたのは言うまでもない。
本当に不思議なご縁だったなあと思わざるをえない。
自分の中でもああでもないこうでもないと悩みながら、どうにか書き上げた記事が「これこれ!」「こういうこと!」とシェアされていく様は、スタイリッシュでないブロガーな私にとっては毎回「あああ…!」と泣きたい気持ちでいっぱいになる。
ブログを始めて5ヶ月経ったとはいえ、わりと画面の前で動揺している。まだまだ慣れない。
余談にはなるが、ツイッター上で記事をシェアしていただいた時。それがリツイートされていくか否かは正直「そこに添えられる感想」の力がとても大きいと私は思う。
シェアされる時に添えられる文章は、本で言うなら「帯」だ。
その「帯」の持つちからは、たぶん思っている以上に大きい。
それは時として、その記事の名前であり顔とも言える「タイトル」よりもずっと大きなちからを持つ。
一言だろうがなんだろうが「実際に読んだ人の書き添える感想」は、その記事にとって一番の装飾になる。
そういえばこの記事、検索順位はどうなってるんだろう?と思い調べてみれば「V6 音漏れ」だと1ページ目に表示されるようになっていた。
以前に見た時はこんなに上位にはいなかった。おそらくこれもアクセス数が増えた効果かな、と思っている。
5ヶ月経って考える「どんな文章を書きたいのか」
ブログを始めて5ヶ月。
まだまだ短い5ヶ月の期間の中でもたくさん感動することがあった。
文章を書くことは楽しい。
でもインターネット上に載せるのであればできれば第三者にも思っていることのニュアンスが伝わればいいなと思う。
「どうやったら伝わるんだろう?」と悩みながら書いている身として、度々いただく「わかりやすい」という感想にはほっとしてしまう。
そして、ここまで来るともう「これは私のブログの特徴です」と言いたくなってしまう「長ったらしい文章」。
これについては長所でもあり短所でもあるとつくづく思っている。
とにかくまあああ、長い!!!
記事に何かしらの反応や感想をいただいた時、私の感想は「よくもまあ、こんなに長い文章に付き合ってくださるなあ…!」というところから始まる。それくらい長い。
自分でも読み返してみて「長いわ!!!」とつっこみたくなる。
試しにこの前回記事を「HELLO」を聴きながら読み返してみたら、途中で1曲終わった。軽く2周した。どういうことだよ、どんだけ長いんだよ。
体感的に長いと感じられた方もいるかと思うのだが、実際あの記事は1万字を超えている。
そりゃあ長いわ。読み終えられた方に「お疲れさまでした」と茶の1杯や2杯さし出さにゃいけんと思ってしまう。1万字書ききるのも結構な労力だが、読み切るのだってなかなかの労力が必要だ。
短く簡潔にかっこよい文章を書ければ、それこそ「スタイリッシュなブロガー」に一歩近づけるのかもしれない。
でもそれをやってしまうと私が書きたい雰囲気からはきっとかけ離れていく。
「素敵な文章は書けなくていいから、思ったことを素直に。そうすればそこから何か良い考えが浮かぶかもしれない。」
これは前回記事でも引用した、私が昔「感情をメモする用」に作っていたノートの冒頭のページに書かれた文章だ。
書き添えられた日付は2006.11.20。
結局9年以上の時間が経とうが、綴る場所がノートからブログになろうが、書きたいものはあまり変わっていないらしい。
書いてみたいことはたくさんある。
言及してみたいあれこれもたくさんあるし、本当に真面目な話からしょうもない話までいろんなことを書いてみたい。
かっこいい文章や賢そうな文章よりも、実直で素直な文章を、丁寧に。
当面はそんな感じでブログを続けていこうと思っているので、相変わらず長ったらしくクドイ文章になることが予想されるのだがお付き合いくだされば幸いである。
さすがに1万字は超えないようにします。