2011年3月11日。
東日本大震災が発生したあの日からもう5年になる。もう5年というべきか、まだ5年、というべきか。
はてなブログで記事を書き始めてから初めて迎える3.11に、改めてあの時感じたことを残しておくことにする。
あの時、被害が大きかった東日本ではなく西日本にいて、被災者と言える立場ではない私が伝えたいのは当時のインターネットの話。
特に安否確認のことだ。
LINEの既読表示はなぜ付いているかご存知だろうか。
「(相手が自分のメッセージを読んだ際に付く)あの『既読』表示は、東日本大震災を経験して、安否確認のためにあると便利だということで付けた機能なのです」。
震災時にはまだこの世になかった、というよりも震災がきっかけで生まれたLINEは、2011年6月のサービス開始から3年足らずで国内利用者数は5000万人超、国内人口の約40%をカバーするに至っている。
今でこそ時に疎まれるようになった既読表示は、東日本大震災の経験から安否確認のために付けられた機能だ。
情報が混乱する中で役立ったインターネット
テレビやラジオなどから情報が得られない、回線が混み合って電話やメールもつながらない。
そんな非常時に情報の確認・把握に力を発揮したのがインターネットだった。
当時、テレビが見れないけどインターネットはつながるという状況に多くの人がいて、NHKの放送がUstreamに流されていました。
(最初は広島の中学生が個人でやっていたのをUstreamとNHKが黙認していて、その後にNHKが公式配信)
また、大きく取り上げられることになったのがTwitterの存在。
たった一度のつぶやきが生存確認になる。
さまざまな情報が拡散されていく。
普段何気なく使っているTwitterがあの時はそんな役目を担った。
あの時インターネットで情報を得られた裏側にはさまざまな努力があった。
東日本大震災のときに日米間のインターネット回線が危機だった件を調べてみた。 | 陽のあたらない美術館
そもそも日米間をつなぐインターネット回線(海底ケーブル)がほとんど断線しており、生き残った回線に経路を変更して通信をしのいでいたことは、もっと知られても良いのではと思っています。
「日米間をつなぐ5本の海底ケーブルのうち東日本側の4本が断線したため、西日本経由にネットワーク経路を変更した」、この事実が無ければもっと情報を得るのが遅くなったかもしれない。
また多くの人々がTwitterにアクセスしてもサーバーが落ちなかった理由の1つに企業側の咄嗟の判断があった。
変化するリーダーの資質:あの日、Twitterのくじらが出なかったもう1つの理由 - @IT
2011年3月11日。Twitterは唯一の通信手段と言っても過言ではなかった。いつものくじらの絵が出ても、決しておかしくはない状況だった。しかし、Twitterにアクセスできないときに見られるくじらは現れなかった。なぜか。
(中略)
Twitterのエンジニアは日本で起こった地震のニュースを知り、「もし、土日に大量のアクセスがあり、Twitterにアクセスできなくなったら大変な二次的被害を被る人が出てくるかもしれない」と思ったそうだ。そのとき、段ボールに詰まった未開封のサーバーがコンピュータールームにあることを思い出した。次の週に、これらをセットアップする予定だったのだ。彼は自分自身の判断で、これら全てをラックに入れ、日本向けのサーバー数を3倍に増やした。
インターネット、そして携帯電話の普及。
それがなければ情報収集はもっと時間がかかっていただろう。
そしてインターネットは、被災地の方同士をつなぐのはもちろんのこと、現地と遠く離れた私たちもつないでくれた。
はなれていても出来たこと
被害の大きかった東日本。そこから離れた関西にいる私には何もできることがないのか。
もちろん少額ながら募金もさせてもらった。
でも「今」、何か協力できることはないのだろうか。
あの時インターネット上には同じように感じている方の声がたくさんあった。
被災地で今必要とされている物は何か、できることは何か。
有益と思われる情報はすぐに拡散された。
もちろんその中にはデマもあったが、必要とされている情報が多かったのも確かだ。
いろんな情報に触れ、何ができるか考えた私が当時行ったことがある。
ここからは少し日記要素も含むので目次をつけておく。
興味ねえなあという方は最後の段落まで飛ばしていただければ幸い。
- 情報が混乱する中で役立ったインターネット
- はなれていても出来たこと
- 震災の日のこと
- 日に日にあきらかになっていく被害状況
- あの時わたしが気になったmixiの書き込み
- 安否情報を送信することは本当に正しかったのか?
- 返信をいただいて感じたこと
- インターネットで安否確認をする、その時に知っておいてほしいこと
震災の日のこと
2011年3月11日金曜日。2時46分に揺れが起こった時、私は仕事中だった。
こちらでは震度3の揺れだった。
ゆっくりとした大きな横揺れは一瞬めまいかな?と錯覚するようななんとも嫌な揺れ方で、あまり体感したことのないものだった。
私は小学校低学年の時に阪神・淡路大震災も体験している。
私の住む地域では震度4。激しい縦揺れだった。
その時の恐怖に比べれば3.11の揺れに危機感はなかったのだが、なんとも言えない嫌な揺れ方だな、と思った。
そしていち早くインターネットをチェックした同僚が「最大震度7らしい!」と騒ぎはじめる。
これが私の「東日本大震災」の始まりだった。
日に日にあきらかになっていく被害状況
私が最初に報道で見た死者の数はたった16人だった。
そこから数はどんどん膨れ上がっていった。
当時私が書いていた日記に、被害の情報が少し書かれている。
3月11日の時点で死者685人・行方不明者643人。
3月22日、死者・行方不明者22,985人。
3月26日、死者・行方不明者27,110人。
現在(2016年2月)発表されているデータでは「死者15,894人、行方不明者は2,562人」となっている。
(東日本大震災における死者・行方不明者の推移 - Wikipediaより)
震災直後の報道では「◯◯地域に住む1万人と連絡取れず」といったような信じられないものも多かった。
その情報を目にして、まるで街一つが丸々ぽっかりと消えてしまったような、そんなおそろしさを感じた。
震災が起きた直後、本当にすべてが混乱していた。
テレビはどのチャンネルに合わせても震災の報道ばかり。それでもようやく被災地の様子がわかってきたのは一夜明けてからだったと記憶している。
今でこそ津波の映像は自粛されているが、あの当時はひんぱんに繰り返し放送されていた。
現実のはずなのにとても非現実のようで、本当にありえないような光景の連続だった。
あの時わたしが気になったmixiの書き込み
ふとmixiをチェックしてみると、震災のコミュニティが出来上がっていた。
「コミュニティ」は簡単にいえば情報を共有したい人たちの集まる場所だ。
東日本大震災関連のコミュニティも一気にいろんなものが立ち上がった。
一番大きなものは、現在でも23万人以上が参加している。
そのコミュニティを見ていて私が特に気にかかったのは「安否確認」の書き込みだった。
「震災で連絡が取れなくなった方の安否を知りたい。」
その思いはmixiにも溢れていて、そこには実名や年齢、住所、職業やその住所など非常時でなければ当然公開されないであろう情報が並んでいた。
そんな情報の数々を目にした私はあらためて、今がどれだけ非常事態なのかということを知った。
「◯◯を探しています」。
そんな書き込みを大量に見た後で、私は「Google Person Finder」の存在を知った。
パーソンファインダーとは、Googleが災害発生時に提供を行う、人の安否確認サービスである。
パーソンファインダーでは、人の安否を知りたいユーザーが相手を特定できる情報を登録しておき、その人の消息を知る人が現在の状況を投稿することで、消息を伝えることができる。
パーソンファインダーとは 「Person Finder, Google Person Finder」: - IT用語辞典バイナリ
パーソンファインダーには安否情報が登録されていて、名前を打ち込み検索すればその情報が瞬時に把握できる。
震災発生直後にこのサービスが開始され、さらに「情報ボランティア」というものが生まれた。
避難所にある名簿などを、被災地にいる方が撮影する。
それをインターネットを介して閲覧した人がひたすら文字入力をしていく。
パーソンファインダーの情報の一部は、そんな地道なボランティアによって入力されたものだ。
「mixiで人探しの書き込みをしている方たちは、このサービスを知っているのだろうか?」
ふとそう思った私は、試しにmixiに書き込まれていたお名前の1つをパーソンファインダーで打ち込み検索してみた。
するといきなり情報が表示された。
あとから考えても出来過ぎだったと思う。
だがこの最初の検索で得た安否情報は、私が触れた中で最も信ぴょう性が高い類のものだった。
ご家族3人で、とある避難所にいる。
その名前はmixiに書き込まれていた情報とも一致した。どうやら同姓同名の別人というわけでもない。
情報元となっている画像へのリンクも貼ってあった。
避難所の伝言板に貼られているメモ、そして避難所名簿の写メだった。
私はすぐにその情報を書き込まれた方に送り、すぐに返信をいただいた。
メッセージありがとうございます。
先程情報を頂き、確認し、 両親に連絡を入れました。
まだ名簿での確認のみですが、家族全員の名前がありましたので、間違いないと思います…見つけた時は手が震えました…
この返信をいただいて、「今できることはこれなのかもしれない」と思った。
今、情報を求めている人がいる。
パーソンファインダーの存在を知らない人がいる。
情報があふれかえる一方で、必要としている情報にたどり着けていない人も多い。
もしかしたら需要がないかもしれないけどやってみる価値はあるのでは、と思った。
電話やメールがつながらない一方で、インターネットを介したmixi上でのやりとりならば回線をふさぐ心配はない。
今だからできること、今しかできないこと。
あの時だからできたこと、あの時だから必要とされていたこと。
「安否情報を求める声を拾い、調べて得た情報を届ける」。
震災発生から数日後、私はそんなことを始めた。
安否情報を送信することは本当に正しかったのか?
メッセージを送信する時に気をつけたのは失礼のないようにするのは当然だが、相手のことをできるだけ、最大限に気遣うという点だった。
遠く離れたところにいてその気持ちを体感していない私には想像することしかできない。そしておそらく実際はそれをはるかに超えるような、想像を絶する不安があったに違いない。
そもそもメッセージを送ること自体が失礼にあたるのかもしれない。
もっと言えば怒られても仕方ないというか、「部外者が興味本位で関わってきやがって!」くらいに言われても仕方ないと思っていた。
私だったらそう思うかもしれない。
何気なく暮らしていてその中で気まぐれにこういったことをする人間を軽蔑するかもしれない。
偽善ぶりやがって!と思うかもしれない。
でも、それでもやらない偽善よりやる偽善だと思った。
どこかで誰かに意味があることなのだとしたら、指をくわえて待っているマシで、きっとやるべきなのだ。
今でもあれがあの時できる最善の行為だったのかどうかはわからないが、じっとしているよりも行動してみたことで見えたものは多かったと感じている。
返信をいただいて感じたこと
パーソンファインダーで情報を検索して得た情報をひたすら送る。
たくさんのネット上の書き込みを見ていた私は、次第に津波による被害が大きかった場所の地名を覚えていった。
最終的には避難所となっている施設名、さらには遺体安置所の場所まで、聞き覚えがあるといった程度には把握していった。
その中で、宮城県のセキスイハイムスーパーアリーナが遺体安置所となっていたのはいまだに忘れられない記憶のひとつだ。
ライブやコンサートを愛してやまない私にとって、足を運んだことはなくとも頻繁に目にしていたその会場名が遺体安置所として記載されていたのは衝撃的だった。
何百通とメッセージを送ったがほとんどの方から何かしらの返信をいただいた。
その返信を読んだ上で私はこの活動をしばらく続けることに決めた。
本来ならばこちらが被災された方やその関係者の方を勇気付けなければならないのに、逆に勇気付けられてしまうことのほうが多かった。
生存が確認できた方からも、そうでなかった方からも、本当にいろいろな言葉をいただいた。その中の一部を以下に載せておく。
どの言葉からも伝わってくるものは大きかった。
今回は、沢山の方から情報を頂き、励ましも頂き、本当に感謝です。ありがとう。
ここ数日、震えと涙が止まらなかったのですが…今日少し安心する事が出来ました。
これからが大変ですが、がんばります、がんばれます!!
温かいメッセージ本当にありがとうございました。
まだ他の親戚は見つかりませんが生存を信じて、そして出来る限りの情報をチェックしていこうと思っています。
メッセージを見て涙が止まりません。
コミュから調べて私の為に時間を使って力になってくださって、本当に嬉しくて嬉しくて…… 言葉で表せない程、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
本人みたいです!! 本当にありがとうございます!
目はとおしていましたがこのメッセージで情報が入ったことに気が付きました 。膨大な書き込みの中書き込みを見つけ検索していただいたことほんとに嬉しく思います 。
まだ会えていませんし不安な状態は続いていますがみんなで力を合わせ希望を捨てず頑張っていこうと思います。
返事遅れてすいません!
本当にありがとうございます! 自分のおばあちゃんでした!
本当に安心しました。 本当に感謝してます。
あの日からなにも連絡が取れず、どうしてよいかわからなかったので。
手掛かりをくださって感謝します。本当にありがとうございます。
すでに無事を確認済みです
こうやって情報提供してくれる人達がいるから早急に知る事ができました。本当に感謝です、ありがとうございますm(_ _)m
昨日、本人より連絡がありました。
ただ避難所付近はまだまだ連絡が着きにくい状況のようです。
被災者のみなさんの為にも私達が出来ることをしていきたいですね。
ご連絡ありがとうございます! 良かった!ご家族全員が無事とのこと。
奥様、息子さんのお名前にも間違いないのでご本人です。神に感謝です。
ご連絡に対して重ねて感謝いたします!
私自身どうすればいいのか分からず空回りばかりで、mixiに書き込んだ所で何か分かる保障もなかったです。 でも自分が思いつく全てのことやろうと思って書き込みました。
絆を感じました。
1人でも多くの方が、安否不明の方と連絡がとれますように・・・本当にありがとうございました!!!
最初の頃、送信していた情報は「生存が確認できた方」のものが多かった。
だが日が経つにつれ、被害状況が明らかになるにつれ、訃報のほうが多くなっていった。
「送る情報は生存情報だけでいいのではないか?」とも思った。
それこそ不謹慎なような気がしたし、それに万が一、情報が間違っていたとしたら。
しかし悲惨な状況が明らかになるにつれて現地の方の声も変わってきていた。
「生きているはず」「生きていてほしい」の言葉は、次第に「せめて見つけてあげたい」に変わっていった。
知らせることが正しかったのか、あえて黙っていたほうがよかったのか。
私はあの時それも情報として届けていたが、いまだにそれが本当に正解だったのか悩み続けている。
情報をメッセージで送る際には、生存しているという情報に関しては「ご本人であることを願っています」と書き添えた。
でも死亡の情報だった場合は「ご本人でないことを願っています」と書き添えた。
もしメッセージを受け取る方が「せめて見つけてあげたい」という半ばあきらめの感情に気持ちを切り替えていたとしても、私がそれに寄り添うのも違う気がしたからだ。
情報を送りながら「本人でないことを願う」のは矛盾していておかしい。
それでもやっぱり、間違っていてほしかった。
わざわざありがとうございます
発見された形はどうあれ、見つかったのでよかったです
ご迷惑おかけしました
確認したところ、残念ながら本人でした。
でも、行方不明の方が大勢いる中、見つけてあげられただけでも。。と思っております。
本当にありがとうございました。
メッセ、ありがとうございます
3人のウチ、2人は無事で、家に連れて来る事が出来ましたが、父だけはまだ行方不明です。
津波にのまれました。目撃してた人が何人かいて、今は遺体を捜し歩いてます。
ありがとうございました
そうなんです。残念なことで・・・忙しくコミュに返事を書いてませんでした。
昨日まで被災地に足を運んできましたが・・・皆さんに掛ける言葉も見つからず帰ってきました。
ただ言える事は早く見つかり供養が出来ただけで良かった!見付けてくれた方そして探してくれた方に心から感謝していますの言葉だけです。
先日、遺体安置所にて確認いたしました。気が動転していて書き込みを削除するのを忘れていました。
まだ行方不明の方々が早く見つかるよう願っております。本当に有り難うございました。
私が受け取ったいくつもの返信メッセージにはリアルな感情も込められていた。
もしかしたらこちらを気遣って、無理やり前向きなメッセージを送ってくださった方もいたかもしれない。
こんな見ず知らずの人間が送ってきたメッセージに対して、丁寧に心情を綴った返信をくださった方も少なくなかった。
情報は入手済みでしたが、人違いだと思いたくて、こうして除法を集めています。
本人とも数年会っておらず、連絡すらしていませんでした。結果こういった媒体に頼るしか探す術がありません。
自分が関わったことがある人をこんな形で亡くしたくないというのが正直な気持ちです。
安否確認代行、頑張って下さい。
救われている方が沢山いらっしゃいますよ。
亡くなったこと、確認は出来ていましたが、あちこちに書かせていただいていたため、どこに文章を書いたか把握出来ていませんでした。後から削除させていただきます。
読んでいただき、調べていただき、メッセージを送っていただき、本当にありがとうございました!あたたかさを感じました。
メッセージをくださった方がいたことを友人に伝えたいと思います。沢山の人に助けられてるから生きていけると友人は言っていました。あなた様からのメッセージもきっと友人をあたたかくすると思います。
本当にありがとうございました!
ありがとうございます。
あまりに多くの事が起き自分自身の中で何も整理がつかず、ただ情報を探し御家族に伝えるしか出来ませんでした。
遺体が見つかり、すぐに現地に行き会って来ました。たくさんのみなさんに支えられ、前へ進む事が出来ています。
こうして見知らぬ方に助けられ、人との絆を感じ本当に大切なものを故人に教えられている気がします。
本当にありがとうございました。まだまだ、行方不明の方がいるなか少しでも早く大切な人に会える事を願っています。
こんにちは。
だいぶ日が空いてしまいましたが、安否情報の連絡をありがとうございました。
メールを頂いた時から嬉しくて、何かしらの返事を、でもできれば吉報をお届けしたいと思っていたのですが、電話してもベルは鳴るのに出ないなど本人となかなか連絡がつかず、多分無事であろう、という何とも宙ぶらりんのまま月日だけが流れてしまいました。
でも今日、ようやく本人から直接の連絡をやっとやっと受けたので、見知らぬ親切な方にぜひお知らせしたいと、今更ながらメールをさせて頂きました。
本当にありがとうございました。
見ず知らずの私に、ご丁寧にメールありがとうございます。本当に厳しい現実ですが、時間をかけて受け入れたいと思います。全国の皆さんに、今回の津波の凄まじさを知って頂きたいです。多くの犠牲者の方たちの命の尊さを胸に、私たちは生きていかなければなりません。
正直いまだにテレビなどの震災のニュースは見られないでいますが,いつまでも見ぬふりができる規模でもないことも分かっています。
書き込みをして必死になって探していた時には◯◯さん(私)のような方から返信をもらえている人がうらやましくて仕方なかった。
それなのに死亡が確認されてからの私は一気にそういった情報源から目を背けて。
◯◯さんからメッセージが来たことを妹に伝えた時,そうやって頑張って探してくれてる人がいたんだね,すごいね。と言われました。
本当に妹が言ったその通りで。
貴重なお時間を使って探して頂いたのに,申し訳なかったです。
mixi以外にも書き込みをしたりしていたので,本当にいまだに安否が分からない方の為にもきちんと責任をもって削除なりコメントを残していきたいと思います。
本当に貴重なお時間ありがとうございました。
あたたかい返信の数々にうっかり泣いてしまうことも多かった。
私が泣いている場合ではないのに。
でも、今読み返していてもやっぱりこみ上げてくるものがある。
インターネットで安否確認をする、その時に知っておいてほしいこと
そんな活動をしていて見えたものもある。
たくさんの書き込みをひたすら見続けた数週間で、「もっとこうだったらいいのに」と思うことも多かった。
多くの人ができるだけ早く、正確な情報を得るために。
今回この安否確認のことを記事として残しておきたいと思ったのは主にそれを伝えたかったからだ。
災害が起きてから考えるのでは遅い。それがよくわかった。
例えあらかじめ災害に備えて知っていた情報だったとしても、あの混乱下ではそれさえ役に立たないことだってある。
それでも「あの時こうだったらもっと良かったかもしれない」、そんなことに少し触れておくだけでもしかしたら変わる未来もあるかもしれない。
・「個人情報」の重さを理解しておく
あなたが書き込んだその情報は、身内にしろ友人・知人にしろ重大な個人情報だ。
本来ならネット上にあってはいけない情報だということを理解しておかなければいけない。
パーソンファインダーに集まっていたのは避難所名簿からの情報だけでない。
最終的にはNHK、携帯電話会社の災害用伝言板、新聞社や警察庁、自治体など、あらゆる機関が連携し合い、データはここに集約されていった。
(パーソンファインダー、東日本大震災での進化(3) – 東日本大震災と情報、インターネット、Google)
それらは基本的に一定期間を越えると削除されていくようになっていた。
だから少なくともあの非常時下においては、一定期間中はとにかくあそこに情報を集めるべきだ。
1つデータベースがあれば確認はグッとスムーズになる。
・書き込みの「その後」は?
mixiやTwitter上などにおいて、書き込んだものを放っておくのは実は危険なことでもある。安否が確認できたら本来は消すべきなのだ。
mixiのコミュニティのような「掲示板」のような形の場所だと、書き込みが多くなってくると情報は埋もれていく。
Twitterでのつぶやきは放っておくと拡散され続ける可能性がある。
それはもしかすると他の、安否確認がまだ出来ていない方の書き込みを埋もれさせてしまうかもしれない。
実際に安否を求める書き込みは、代理の方が書き込んでいる場合も多い。
携帯・パソコンを使えないご年配の方の代理であったり、友人から回ってきた情報を代理でどこかに書き込んだり。
そういった場合は特に個人情報の扱いは軽くなりがちで、書き込んで安否が確認できたらそこで完結してしまう。
どこに書き込んだかを覚えておくこと。
そして確認できたら書き込みを消去して、できればパーソンファインダーに情報を提供すること。
そうして地道に情報を整理することは、情報を求めていながらまだ得ることの出来ていない方を間接的に助けることにもつながる。
インターネット上にあふれかえった情報を整理する、あの非常時にそんなところまで気が回る余裕がないのは当たり前だ。
人の生死に関わる状況で、そんなことやっていられるわけがない。
実際に多くの方とやり取りをしていてそれを実感した。
だからこそ今、こうしてじっくり考えられるタイミングで少し知っておいてほしい。
あれから5年が経った。
今はすっかりmixiから遠ざかっているのだが、私はあの頃こんなことを日記に書いていた。
5年という年月は長い。少なくとも、私がこんなことを日記として書いていたことを忘れてしまうくらいには。
昨日から学び、今日を懸命に生き、明日への希望を持て。
大切なことは問うことをやめないことだ。
これはアインシュタインの言葉だ。
「大切なのは問うことをやめないこと」、この言葉に当時の私はハッとした。
何ができるか、考えること。
自分自身に問い続けること。
きっと大切なのは、何ができるか・何をするか以前に「自分自身に問い続けること」。
あの時起こったことを心にとめて、それぞれが考え続けなければいけないのだと思う。
私がここまで書いたことはあくまで「東日本大震災の時に感じたこと」だ。
長々と書いた「知ってほしいこと」はあまり役に立たない可能性もある。
そんなこと起こってほしくはない。しかし、もし万が一同じような未曾有の大災害に出くわすことがあるなら、その時にはきっとまた違った状況になるだろう。
あの時知ったことや感じたことをふまえながら、もっともっと考えて動かなければいけない事態が起こらないとも限らない。
5年経っても、東日本大震災は収束していない。
まだまだ爪痕はいたるところに残っている。
私たちはあの日起こったことを忘れてはいけない。
そして完全に復興した!と胸を張って言える時まで、考え続けなければいけないのだろう。
昨日から学び、今日を懸命に生き、明日への希望を持て。
大切なことは問うことをやめないことだ。