公式的に発表されていない情報の取り扱いについて、もっと慎重にならなければいけない。
それを今回のことでつくづく実感した。
昨日11月11日に放送されたトニセンのラジオ冒頭において、坂本さんが自身の足の不調について初めて言及した。
坂本「先週もねちょっと話題になりましたが、V6の2年ぶりのライブ、無事に先月終了いたしまして、えー来てくださったみなさんありがとうございました。まああのー終わってからね、SNS等々でコンサートの感想とかね、投稿してくださってるのちょっと見てたんですけども」
井ノ原「ええー」
坂本「ほんとみなさんすごい!細かいとこ見てるし、ちゃんと記憶してるし。」
長野「うん」
井ノ原「本当?」
坂本「うん、素晴らしいと思ってたんですけどその中でちょっとね、僕的に気になるワードがちょっとありまして。あのー……まあちょっと、僕の足のケガということで」
井ノ原「はいはい」
坂本「ちょっとね、気づかれた方はいると思うんですけども。まああの、なぜ気になったかっていうと、あのー、まあ僕、公表してないじゃないですか。」
井ノ原「うんうん」
坂本「うん。でもねあのー、そこになぜ怪我をしたのかってことでなんかいろいろ話し合ってて。あのー、ファン同士の中で実はあの2階にトロッコ行く時にファンの子が僕の手を引っ張った瞬間に、その時に怪我をしたんじゃないか?っていうのでいろいろ話し合われてて。そん中で、まあ、事実じゃないじゃないですか。」
井ノ原「ああ」
長野「うんうん」
坂本「でもないのに、ちょっとあのファン同士で『心無いファンがいるのは悲しいです』」
井ノ原「とかってなっちゃって」
坂本「なっちゃってたから、ちょっとこれは俺、言っとかないとダメだなーと思ったんで」
井ノ原「誰が引っ張ったの?」
坂本「いや違うでしょ」
長野「(笑)」
井ノ原「え?引っ張ったんじゃないの?」
坂本「引っ張ってないよ」
井ノ原「誰も引っ張ってないの?」
長野「いのはら?」
井ノ原「俺引っ張ってないよ」
長野「引っ張ってない?」
坂本「おまえ?」
長野「俺じゃねえ」
坂本・井ノ原「(笑)」
長野「俺じゃねえ」
井ノ原「じゃあやっぱ引っ張ったのかって(笑)」
坂本「V6のファンって礼儀正しいって言われるから、まあそこちゃんとね、訂正っていうか、しておきたいなと思って。」
井ノ原「あーそうだね」
坂本「この場を借りて言わせてもらいますけども、あれは一切そういうことではなく、自分の不注意というか昔の怪我が、」
井ノ原「もともとあった」
坂本「うん、再発してしまってちょっと、ね、足を引きずるシーンも多々あったのか、ということだったので。けしてあのファンのみなさんが引っ張って怪我をしたとかそういうのじゃないので」
井ノ原「蹴っ飛ばしたのかもしれないけどね」
坂本「そうですね見えないとこでね、このヤッロー!って後ろからね」
井ノ原「(笑)」
長野「ローキック、ローキック?(笑)」
井ノ原「引っ張ってはいません。蹴りましたと。」
長野「(笑)」
坂本「シュッ!つってね(笑)」
長野「もっと悪質だ(笑)」
井ノ原「そうだね人のせいじゃないってことですね」
長野「じゃないってことですねはい」
井ノ原「あーよかったよかった、今はもうだいぶよくなったと」
坂本「そうですね!みなさんご心配をおかけしました、すいませんでしたー」
(「V6 Next Generation」/2017年11月11日放送分)
あまり楽しい話題でもないはずなのだがネタも交えて笑いも含めて話すその様子に少し笑ってしまった。
坂本さんがエゴサーチをする人であるというのは以前から知られている話だ。
ケガについてはおそらく「ファン同士でかわされている"信ぴょう性の高そうなウワサ話"」を知らなければ公表されずに終わっていたように思う。
ネット上のウワサ話を除けば、ケガについて触れていたのは某女性週刊誌のコンサートレポートだけだった。それも取ってつけたような一文で「なんというデリカシーのなさ…」と愕然としたのだが。
ウワサ話とその拡散について言いたいことはいろいろとあったがあえて全部まるっと飲み込んでスルーを決め込もうと思っていた今回の件。
予想外に本人の口からこの話題を聞くことになったわけなのだが「公表してくれた」というべきなんだろうか、それとも「公表させてしまった」と捉えるべきなのだろうか。複雑である。
目次
どういうウワサになっていたのか
坂本さんの足の不調については今回のツアーの最初の地である名古屋公演の時からささやかれていた。
しかしそれもちらほら見かける程度。あまり広まらなかった要因としてはツアー序盤でネタバレを回避していた方もまだ多かっただろうこと、触れるべきではないと判断しあえて言及しないようにした方が多かったこと、などが考えられる。
名古屋、福岡、と日程は進み、私が参加した大阪公演では足の不調はまったく感じられなかった。
足を上げるシーンでは高く上げていてその長さに驚愕した。コンサート直後に書き留めたメモには、あまりの長さに「人体とは」という謎の一言を書き残している。
全編通して不調の気配はなく(私の観察力が足りていなかっただけかもしれないが)、最終的に一番の決め手になったのがアンコールで坂本さんが森田さんをおんぶした場面だった。
少なくともメンバー間で大きな話題になるほどの重大な事態には陥っていないのだろう、不安視されているのならまさかおんぶまでするまい。
そんな安心感を抱きながら大阪公演が終わり、 さらにコンサートツアーは仙台、北海道と順調に続いていった。
そして、横浜アリーナでの公演中にそのウワサは一気に広まった。
最初に聞こえてきたのはとにかく坂本さんの足の具合がよろしくないようだ、という話だった。
横浜公演初日には「MUSIC FOR THE PEOPLE」の足上げ(森田さんの頭上をまたぐように通過させる)がなく、足を引きずるようなシーンもあったとのこと。
翌日には一部演出が変更された。
それまでスタンド席に6人とも登場していたメドレーが、スタンド4人・アリーナ2人(坂本さんは固定、もう1名は公演ごとに変更)という演出に。おそらくは階段の上り下りや移動を減らすことによって足の負担を軽減する目的での変更だろう。
これにはさすがに心配も募ったが、最小限とも言える範囲の変更で試行錯誤しながら、万全の状態と遜色ないパフォーマンスをするべく臨んでいると思うと、もう応援する気持ちしかなかった。
こうなってくると残りわずかとなってきた公演数が急に多く思えてくるから不思議だ。
「ああ終わってしまう…」と寂しく思っていた気持ちが「まだまだある…」に途端に変化するのだから、なんとも勝手なものである。
「ツアーが終わって欲しくない」と「とにかく無事に終了して欲しい」が混在する複雑な心境だった。
当然ながら万全の状態でパフォーマンスすることを前提として組まれたコンサート。
もし何かしら不調があって万全でない状態で披露することになったとしたら、一番ツラく、あるいは申し訳なく感じるのは本人なのではないか。
そこに拍車をかけるようなことは好ましくないはずで、そういう一面と裏腹にファンの間で拡散されていく「坂本くんの足の不調」の話題には正直モヤモヤしてしまった。
その結果漏れ出たツイートがこんな感じだった。
いろんな話が回ってくるけど広めたほうがいいこととそうでないことの取捨選択をちょっと考えたりもしつつ。セットリストのネタバレは避けるようにしてるんですが(特に自分の参戦後だと意識甘くなるので一応気をつけてはいる)、知っていてほしくない部分ってたぶんあるんじゃないかなー、と思ったり。
— はま (@ltl_6) 2017年10月6日
勢いで話題に触れたくなったけどやっぱりやめておいて全公演終わってから触れようかと。残り8公演もきっと全力のステージがお届けされちゃって、行かれる方もそれを全力で受け止める場が繰り広げられると思うので!!!全部終わったら完走を祝ったりめっっちゃ労ったりわーわー言いたいと思います!
— はま (@ltl_6) 2017年10月6日
精一杯"本題"には触れない「わかる人にだけわかるようなツイート」を目指したつもりなのだが、果たしてそうできていたのかいまだに客観的に評価するのは難しい。
このツイートに至るまでの気持ちの動きと真意をまとめると、
ケガしていようがしていまいがV6のコンサートが素晴らしいことには変わりないだろう。
それなら、これからコンサートを観に行く人があらかじめ坂本さんの足の具合がよろしくないことを知っている必要は特にないのではないか。
何よりもあんなに最高なコンサートを最初から『大丈夫かな?』の気持ちを先行させて観るのはもったいない。
足の不調に気付かずに『最高だった!』で終わるならそれが最良で、なによりステージに立つ彼や彼らはその線を狙っていくだろう。プロとして。
現地で実際にステージを見て足の不調に気付く人がいたとしてそれは仕方ない。でもあえて広めて共有する必要はない。はず。
よし黙っていよう。
と、こんな感じで私は私の方向性を決めた。
「心配する私がその気持ちを吐露すること」はただの自己満足でしかないように思えたし、その材料として未公表の「坂本くんの足のケガ」を使いたくはない。使うべきでもないだろう。
心配するのも1つのかたちで、それを言葉にすることで表現できる愛もあるかもしれない。
でもあえて何も言わないことで守れるものもあるはずだ。たぶん。
というのが私の結論だった。
結果的に「本題には触れないようにはするけどちょっとだけ言いたくなっちゃった自分」は未熟だなあと思う。
「話題にしていればアツいファン!」というわけでは決してなく、一見何の心配もしていないようにまったくの知らぬ存ぜぬを通し続けた方もいるだろう。
なんでも喋るより黙っていることのほうがよっぽど難しい場合もあるし、そういうやり方を貫ける人はかっこいい。
「ファンに引っ張られてケガをした」?
しかしこの翌日、坂本さんがラジオで言及していたような噂があっという間に広がっていく。
事の発端はとあるブログ記事だった。
ツイッターで回ってきたので私も目を通したのだが、当日かその翌日くらいには非公開となっていた。元記事が見られなくなった後もSNS上でウワサは残り、ニュアンスを保ったまま広がり続けた、という流れだ。
「坂本くんの足のケガはファンのせいだ」と。
ブログの内容はざっくり言うと「坂本くんの足のケガはスタンド席に行った時にファンの子に引っ張られて倒れそうになったことが原因だ」というものだった。
それもブログを書かれた本人が見たのではなく友達が言っていた、という文章だったと記憶している。
それは真に迫ったような文章のようでもあり、あれだけ広まったくらいだ。人の心に訴えかける、惹きつけるものがあったのだと思う。
坂本さん本人がはっきりと否定した今となってはあの話は一体なんだったのかまったくもって不可解だが。
そのブログの意図としては「こんな酷いことがあったと広まることで再発を防止したい」といったところだろう。
それに同調した方が拡散し、あるいはその話に対する怒りを書き連ねる際にその元記事も拡散する。
そうしてウワサはどんどん伝染していく。
その話をみんながみんな100%信じていたかといえばそうでもなかった。
それでも「もし本当だったら、」と前置きした上でそれぞれが自分の思いを書き連ねていく。その前置きを添えておけば万が一情報が間違っていても許されるような、いわば保険をかける言葉。
今回ほどこの言葉が免罪符のように感じられたことはなかった。
一応はどちらとも取れるようなていで、でもほぼ真実のように無責任に広がっていくウワサ話。
正直憤りを感じなかったと言えば嘘になる。
本当かもしれない。でも違うかもしれない。
後者だった時、ここまで広がってしまったウワサの収拾をつけるのは誰なのだろう。
真偽がわからないまま反射的に話題にしてしまう危うさ
足の不調については多くの方がその様子を語っているところを見る限り信ぴょう性は高そうだ。
だがその原因についてはご本人・関係者以外が知るわけもない。
ましてやその不調自体をできるだけ隠しながら公演に臨んでいることは明白で、それを感じさせずに終えている公演もある。そして気付かずにステージを堪能したファンもいる。
実際ファン同士が情報を共有してあらかじめ「知っている」ことで跳ね上がる感動も時にはある。
「情報を知っている」ことがステータスのように捉えられる場合もある。
心配してしまう、むしろ「心配したい」のはファンの性なのかもしれない。
一見それはファンとして正しい姿のようにも思えるけれど、ステージに立つプロとしてしっかりパフォーマンスを仕上げ「見ごたえのある1公演」をその都度届ける、それを受け止める目線として「心配」ばかりが先行してしまうのは、果たして正しいのだろうか。
「足をケガしながら頑張っている」、そんなシチュエーションをあえて付け加えなくたってかっこよすぎるくらいにかっこいいし感動するコンサートだ。
たとえ足の調子が悪かったとしてもあえて言わない、言い訳にしない、それでやりきる、やりきろうとする、そんな姿がべらぼうにかっこいいのではないか。
黙ってやりきろうとするならその意思を尊重すべきだと思ったし、裏ではこちら側からは想像もつかない努力をしているかもしれない。
そういうものを、いとも簡単に手折ってしまうような今回の情報拡散には辟易した。
かといって他人をコントロールすることなどできるわけもなく私が制御できるのは自分自身くらいのものだ。
だからこそ自分に言い聞かせるような気持ちと今後の自らの指針のためにも、一呼吸置いてからやっぱり本題には触れないように140字以内にまとめた。
とりあえず私が今思うのは、
— はま (@ltl_6) 2017年10月8日
・公式アナウンスが無いことは憶測の範疇を出ない
・本気で作り上げるステージを本人たちが望んでいないフィルターをかけて見るのは制作側の趣旨に反する
・本人がどう見られたいかを大事にしたい
・あえて何も言わない、触れない意味を想像して尊重したい
です。
冷静に言う時ほど、実は内心相当プリプリした結果なんとか絞り出した言葉だったりもする。
このツイートに対する引用リツイートで「ファンのせいでケガしたなんて言えるわけないじゃん」というようなものがあった。
それに関しては「ああそう受け取られてしまったのか、力不足だったなあ…」と思うし今後語彙力を磨きたい。
が、140字で伝えることには限界があるし、1万字書いても伝わらないものは伝わらないだろう。悩みどころだ。
原因が何にしても、足のケガを公表しない理由の一つとして「ファンを心配させない」ことも含まれているような気もした。
だが足の不調を公表していないということは、もし「ファンのせいでケガをした」がデマだったとしても否定することさえできないということだ。
原因について話すのであれば現状を公表するしかないのだから。
足の不調だけであったならおそらくスルーされていたであろう今回の件、ファンが不穏にざわついているのを見た結果、収拾をつけるべく動いてくれたのはほかの誰でもなく坂本さんご本人だった。
「公表した」なのか、「公表させてしまった」なのか。
「もし本当だったら、」で始まる一連のファンの言葉や「心無いファンがいるのは悲しいです」という言葉、そういうものが本人のもとに届いていたのかと思うと何とも言えない気持ちになる。
反射的に感想や思いを言葉にして残せるのがツイッターの良いところでもあるが、それで踏みにじってしまう"何か"も時にはあるのだろう。
最近起きた凄惨な事件のこともあって世間的にも改めて問われていることでもあるが、ネット上に出回るいろいろな情報の真偽を「自分なりに判断する」、その一手間をしっかり取ることの重要性を感じた。
また広まるべき情報とそうでない情報の取捨選択、その取り扱い方、そして広めようと思っていなくても間接的に情報拡散に加担してしまっている場合もあるという事実。
果たして自分のネットマナーはいかがなものか、今一度しっかり考えなければならない。自分の価値観が正しいと思い込むのではなくて状況に応じてその都度判断していかなければ、と強く思った。
正しければ何を言ってもいいわけではない、ということ
最後に、以下は冒頭の文字起こしの続きである。
坂本「今回さ、ほら代々木じゃなかったじゃないですか」
長野「はい」
井ノ原「うん」
坂本「横浜アリーナだったんで、まあ2階通路も一切なく。すべてね、2階トロッコで」
長野「でもほんとマナーいいですよね。あの片側は僕ら歩いて、構造上歩かなくちゃいけないとこ上の通路、でも全然ほんとに引っ張ったりとか絶対しないし」
井ノ原「しないよねえ」
長野「ほんとに、触れるくらいだったりとかね」
坂本「昔はあったじゃん、」
長野「あったー」
坂本「わーってあったけど今ちょっとなんか優しいよねみんなね」
長野「そう!」
井ノ原「そうだね」
坂本「気い使ってくれてんのか」
井ノ原「なんか、押したら倒れちゃうんじゃないかと思われてんのか」
坂本・長野「(笑)」
長野「優しくしなきゃって?(笑)」
井ノ原「優しくしなきゃ(笑)」
坂本「(笑)」
井ノ原「ねー、だからそのようなことはないということでございますね」
長野「そうですね」
坂本「みなさん礼儀正しいですからねー」
井ノ原「うん」
長野「はい」
井ノ原「ありがとうございます」
坂本「ありがとうございます」
井ノ原「そうねー、ファンの人たち…でもさ、『礼儀正しくやってます!』っていう人たちもいるし、あのー、『まだはじめて来たからルールとかよくわかんないです』みたいな人いるじゃない?」
坂本・長野「うん」
井ノ原「なんか『私はちゃんとやってるからお前もやれ!』っていう感じじゃないからいいよね」
坂本・長野「うんうん」
井ノ原「ね」
長野「なんか、自分たちを見てて『みんなもそういう感じなのかな?』ってわかってくれてる雰囲気もあるじゃないですか。」
坂本・井ノ原「うんうん」
長野「それもなんかいいですよね」
井ノ原「そうだねー」
ウワサの発端を責めるのではなく、かといって正しい行いをしている人が他者を貶し意見を押し付けることも良しとはしない、そういう話の流れ。
この言葉もしっかりと覚えておかなければいけない。
正しさの剣を振りかざせば何でもぶった切っていいというわけでもなく、
正しさの盾があればそれを理由にどんな意見も退けられるというわけでもない。
正しさに固執するあまり閉鎖的なその考えに囚われてしまってもいけない。
今回の件で坂本さんがケアしようとしたのは「しなくてもいい心配をさせてしまっているファン」だろうし、「良い風評を断ち切ってしまうようなデマを一掃する」ためのことだろう。何より「起こってもいないことでファン同士が気を揉む」様子が気になったのだろう。
決してここからファン同士の論争を勃発させようとしたわけではなく、むしろそうさせないための穏やかな一手。
この公表の意味や意図するもの、その先に望んでいるものを想像しながら、出来る限りその思いに沿うように楽しくおしゃべりを繰り広げていきたいものである。
それを踏まえて未来の私へ。
「万が一の坂本くんのエゴサーチに備えて、万全の注意を払いながら臨むように。」