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V6は29歳の時何をしていたのか?(3)井ノ原快彦編


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V6メンバーの29歳をまとめてみる第3回、井ノ原くん編。
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V6デビュー10周年、コンサート+握手会の開催

井ノ原さんが29歳の頃、V6はデビュー10周年を迎える。
ということでお仕事はアニバーサリー絡みのものがぎゅっと詰まっている。

10周年を迎える当日にイベントを行い*1、翌日からツアーがスタート。アニバーサリーツアーではあったもののニューアルバムを引っ提げてのツアーだったので、積み重ねてきた10年間に思いを馳せるような空気でもなかったように思う。

それと平行し6大都市にて握手会が行われた。
アルバムを購入し参加券を持参すれば誰でも参加できるということで、膨大な人数との握手は体力的に相当きつかったと思う。

私も大阪にて参加したが握手会が開始されたのは14時、私が握手できたのは確か20時前後だったように思う。
休憩を挟みながらとはいえこの時点で6時間も握手し続けていたのだからそりゃあ疲れる。坂本くんの表情に明らかに疲れが滲んでいたのをよく覚えているんだが無理もない。
22時前に握手したという方のレポも拝見した。つまり少なくとも8時間は握手し続けたということで、本当に頭が下がる。
個別ではなく6人全員と握手できるという形を取ってくれたことにとても感動したし、本当に嬉しかった。

コンサートツアーは11月2日〜12月28日まで22日間28公演。この過密日程の中握手会まで開催してくれるなんてもうファンとしては感謝しか無い。
そう考えると、こちら側の「おめでとう」よりもメンバーからの「ありがとう」の比重のほうが大きかったアニバーサリーだったのかもしれない。
一瞬だろうがなんだろうがこの機会がどれだけ貴重だったかを今更ながら思い知る。


V6主演映画「ホールドアップダウン」

10周年を迎える11月周辺にはいろいろなことが行われているが、主に映画絡みのイベントだ。6人が主演した「ホールドアップダウン」である。

2003年の「ハードラックヒーロー」に続き再びSABU監督とタッグを組んだのだが、その時と大きく違ったことは劇場公開されたという点
前作はイベント上映、及び映画祭での特別招待作品として上映されたのみだった。
それが今作は全国にて公開されたのだ。
正直アニバーサリーイヤーのすごさと、事務所の本気ぶりを感じた。
私の住んでいるような地方の映画館でも公開されたのだから、きっと相当数の映画館で上映されていたのではないだろうか。関連グッズも発売されていた。

映画の印象を述べるとするなら、ぶっ飛んでるなあと思った印象しかない。
ぶっ飛びすぎてDVD購入を保留にしたくらいである。そして未だに手元にない。
実は12月にWOWOWにて放送されることが決定しているため、密かに楽しみにしているのだ。
当時の私にははまらなかったが、今の私はどう思うのだろう?

WOWOWにて今年の20周年コンサートと共に放送される「ハードラックヒーロー」「ホールドアップダウン」、ぜひ合わせてご覧いただきたい。


しかしながらVの炎*2といい、big大作戦*3といい、ハードラックヒーローといい…6人揃って演技するとぶっ飛んだものばかり生まれる法則。これいかに。

話を戻すがこの映画の公開に伴い多数のイベントが開催されたわけだがその量たるや。どうにもこうにも表にまとめきれなかったため、一部は省かせて頂いた。

韓国でも映画の舞台挨拶を行い12月にはファンミーティングを行った。そして「日韓友情記念コンサート」にも出演している。
前回の長野くん編でも触れたが、やはりアジアでの活動もきちんと組み込まれていた。

渋谷タワレコでの展示会やクリスマスコラボレーションなる企画も開催されていて、このあたりはファンだけでなく外部へのアピールも含まれていたのではないだろうか。

当時のV6を象徴するような「UTAO-UTAO」

井ノ原さんが29歳の間にはシングル2枚とアルバム1枚が発売された。
「UTAO-UTAO」は10周年第一弾シングルとして発売された。

想像通りのこのステージ
騒々しい仲間が居て
例えるなら トムとジェリーの現代バージョン

この歌詞がとても好きだ。当時とてもしっくりきていてぐっときた。
というのもこの歌詞、井ノ原さんと親交のある御徒町凪氏の作詞。
資料が手元にないため情報がふわっとしたものになってしまうのだが、御徒町凪氏から見たV6の印象が織り込まれている、というような発言をしていたような気がする。
井ノ原さんもこの曲に対するコメントで「今、一番V6が歌うべき歌だと思います」と言っているように、この時代のV6ってこの曲のイメージそのものだなあと思う。
しかしその一方で「岡田の反抗期」という裏事情も存在していたのだがこの当時はそこまで表面化していなかったのでひとまず置いておく。

触れておかずにはいられない恋愛事情

井ノ原さんが29歳になる直前、4月のこと。
「日経エンタテインメント!」にて連載されていたエッセー「アイドル武者修行」が、一冊の本として出版された。
出版記念イベントが行われたのだが、その際にフライデーで報道された瀬戸朝香さんとの交際報道を認めた。
経緯をまとめると、1998年頃交際していたが破局、2004年クリスマスに再会し復縁。(その後2007年結婚)
「いいお付き合いをさせていただいております。」と宣言し、以下のように報道されている。

「幸せです。それをファンの方に一番に知らせたかった。僕は誠実に生きているつもり。ウソ偽りなくラブソングを歌うので、ウソをつくと説得力がなくなってくる。」何よりもファンを大事にしての熱愛宣言だ。
(スポーツ報知/2005年4月6日)

記事のまとめ方はおそらく粗いので言葉そのままには取らないでいただきたいなとは思うが、要するに29歳の井ノ原さんは現在の奥様とすでに堂々交際中、絶好調だったということだ。
今29歳になった私から改めて「リア充め、この野郎…!」という言葉を贈りたい。

ところで、スクラップしてあったアイドル誌たちの合間にこの新聞記事が入っていたことには我ながら驚いた。
というかはっきり言って吹いた。

この記事を、キラッキラなアイドル誌でひしめき合う中に場違いにも挟み込む私のセンスとは……
10年の時を越えて笑わせてもらった。

アイドル誌でもこのイベントに関しては触れられているが当然交際宣言については一切書かれていない。

それはもう、まるでなかったことのように。
でも「アイドル」ってそういう世界なのだ。

井ノ原さんの結婚への道はそういう世界観をぶち壊すようなものだったに違いなかったが、そもそも「ジャニーズらしくないジャニーズ(主にお顔が)」というのを度々ネタにしていたからこそできたのかもしれない。

"ウソをつかない真っ直ぐさ"で、お茶の間的には"爽やか好青年"というイメージはついただろうが、ファンにとってはふるいに掛けられるような試練でもあった。
(といっても真の正念場は結婚のタイミングだったが)

しかし結果的にその"爽やかさ"を武器にして今のようなポジションを確立していくのだから、井ノ原さんにとって29歳周辺はある意味ターニングポイントだったのかもしれない。

2001年(当時25歳)からポンキッキーズに出演していたので、ママさん層にはそれなりの爽やかイメージは与えていたとは思う。
だがそれ以上に「ジャニーズの交際宣言」が世間へ与えたインパクトは大きかったのではないだろうか。

ここに、今のアサイチでの井ノ原さんの活躍に繋がるものを感じずにはいられない。

そう考えるとちょうど29歳時にポンキッキーズのレギュラー出演が終了したのもなんだか偶然ではない気がしてくる。

「井ノ原さんの結婚」についてはしっかりまとめたいのでここではこの程度でとどめておくことにする。


トニセン3人分まとめ終わっての感想。

デビューから5年、とにかくグループとして超絶忙しい状態だった坂本くん。
デビューから6年、アジアにも進出しつつ個人でも着実に趣味を仕事を繋げていた長野くん。
デビューから10年、アニバーサリーイベントを盛大に行いながら「アイドル」から変化しつつあったイノッチ。

デビューからの年数が活動に影響してくる部分も大きいため、一概には比べられない。
デビュー5・6年と比べれば、デビュー10年の井ノ原さんは立ち位置もまた違ってくるわけで、年数が経っているほうが格段に「選べることの幅」は広がると思う。
まあ交際宣言については「井ノ原さんだから」こそ選べた選択肢でもあるような気がするのだが。

そう考えると純粋に井ノ原快彦すごいなと思った。
坂本くんが背負っていた責任感とはまた別の責任感であり、覚悟。(それが「アイドル」としての正解かどうかはまた別のお話になる)

どんな気持ちだったんだろう、彼女がいることを公言した上でファンの前に立つっていうのは。
皮肉とかではなくて率直にそう思うので、いつか本人の言葉として聞いてみたい。

だがこの類いの下世話な話はきっと本人から語られることはないだろう。少なくとも今のところは。
そういうぶっちゃけ話が解禁される時がくるなら、それこそ井ノ原さんが「アイドル」でなくなる瞬間なのかもしれない。

だったら、しばらくは聞けなくていいかな。


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*1:学校へ行こう!MAX内で一部生中継された

*2:デビュー時に放送されたドラマだがずば抜けてぶっ飛んでいる

*3:2000年放送、マッハブイロクの特別版ドラマであり私がファンになった大きなきっかけ