29歳まとめシリーズをやっている最中なのですが、ここで一つ記事を差し込もうと思います。
というのも29歳まとめ三宅さん編を書いていたところ前置きが長くなりすぎてとんでもない量になってしまったため。
いっそのこと別枠で記事にしておくことにしました。
10周年を無事に迎え、少しグループとして微妙な時期に差し掛かった頃について考えてみた。
今年のツアーパンフのネタバレを含みます、ご注意ください。
10周年、漠然とした危機感を感じていた三宅健の話。
三宅さんは10周年の時点でグループとしての危機感を感じていたらしい。漠然としたもの、ではあったようだが。
V6がデビューした1995年は光GENJIが解散した年でもある。
その解散を目の当たりにした時、三宅さんはこう思ったそうだ。
いつかは、どんな物事にも、終わりがくるものなんだって。当たり前のことが、当たり前じゃなくなる日も、来るのかもしれないって。まだ15歳だった僕が、現実を目の当たりにして、いろいろ考えさせられたんです。
それから、デビュー2年後にスタートした『伊東家の食卓』や『学校へ行こう!』も、たくさんの方から支持されていた人気番組だったけど、やっぱり終わりを迎えてしまって。ものすごく寂しいことだけど、これが現実なんだと痛感するようになったんです。
(2015年ツアーパンフ)
当たり前のことが、当たり前じゃなくなること。
V6でいることが、当たり前じゃなくなるかもしれない。いつかは終わるかもしれない。
漠然とした危機感を抱えながら過ごした2005年の10周年。そんな中で三宅さんがやろうと思ったことが「メンバーをポラロイドで撮影する」だったのだから、泣かせる。
10周年を迎えるまでのメンバーとの日々をどうしても写真に残しておきたかったらしい。泣かせるじゃねえか…。
当時のツアーパンフに一部載っているとのことで、確認してみた。
隣に座る、岡田の横顔。
撮影で切られたポラが並ぶ机の上。
ご飯を頬張る長野森田井ノ原。
サングラス姿で目線は見えないが、おそらく怪訝な表情で屋外の階段に座りこちらを見ている森田。
奥のほうに満面の笑みを浮かべている井ノ原がいるが、手前で気付いていない様子の森田。
誰もいない駅のホーム、停車している電車の横でしゃがみこんでいる井ノ原。
屋外、素の表情で何かを見上げている、井ノ原長野。
座っているところを正面やや上から撮られた、伏し目で微妙な表情の坂本。
こんな感じの8枚が掲載されているのだが、上手く表現できなくて申し訳ない。
しかしどの写真も本当に「時間を愛おしんでいる」のが伝わってくるようなものばかりなのだ。
はいチーズ!で撮られた写真ではなくて、過ごしている時間の一瞬一瞬を切り取ったような写真たち。
テクニックがあるわけじゃない。でも、僕が撮りたいのはプロのカメラマンが撮るようなカッコいい作品ではなく、ある意味、プロのカメラマンには取れない写真。被写体への愛情、そう、照れくさいけど、V6への愛情だけで成立するような写真。きっと、メンバー同士だからこそ撮れる写真があるはずだ。
(2005年ツアーパンフ)
V6内で誰が一番V6を愛しているのか?と考えた時、真っ先に浮かぶのが井ノ原三宅コンビで。2人でよくグループについて熱く語り合っている、というのも度々本人たちから発言されている。
ちなみに次点は「この人たちかっこいいなあ」と普通に5人を褒め称えたり、「LOVE LOVE あいしてる」に出演した際に番組でもらったV6メンバーの人形を全員分欲しがりみんなにくれくれ言って回った坂本リーダーではなかろうか。*1
この3人は、わりとV6サイコー!な感じを表に出しているほう。
でも、「ファン」としての目線で考えた時に一番私たちに温度が近いのは三宅さんのような気がする。
握手会を発案したのは三宅さんらしいし、企画する時の目線がとても近いような気がするなあと感じる時が度々ある。あと行動とか…剛くんのソロコンサートに複数回現場に行っちゃうとか、そういうところだ。
ファンの要望がわかっているからこそあの、三宅健らしいあざとさMAXな発言や行動が出たりするのだろう。何度、「くっ…!」となったことか。
悔しい。狙ってやっているのがわかっているのに術中にはまることほど悔しいことはない。悔しいのにいちいち反応してしまうのだから敗北感満載だ。
そのくせ、あざとさの中に天然も混ざってくるのだから曲者だ。そのいびつさが堪らないのだけども。
話を戻して。
10周年を無事に越えて数年が経った頃、グループとして一つの局面を迎えたと語っている。
長くやっていくと、6人以外の個人活動もどんどん増えてきて。その両立や、気持ちの切り替えなど、個々の活動もちゃんと尊重してあげたいという気持ちもメンバーみんなが持っていた。だから、グループを続けていく上では、そこを超えていかないといけなかったんです…。
(2015年ツアーパンフ)
初めて6人でケンカ
10周年が過ぎ、V6はグループとして微妙な時期が続く。
グループとして一度大きなケンカをしたらしいのだが、それが10周年を越えてからだということに驚いた。
「10周年が終わり、しばらくしてから」という発言が井ノ原さんから出ているのだが、果たしてそれはいつだったのだろうか?この辺りに岡田の反抗期終了時期へのヒントがありそうな気がしている。
そのケンカについて井ノ原さんの話を要約すると。
メンバーだけでV6の活動のことで言い合いをした。グループとして今後どうしていくのか。こんな感じでやっていたらV6は終わってしまう、その危機感がメンバーにはあまり無いのではないか?井ノ原さんから見たメンバーはあまり危機感を感じているようには見えなかった。モヤモヤした感情をお互いにぶつけ合わないと駄目だ、と6人で向き合うために井ノ原さんが切り出した。
『僕がバーッと言って、バーッと返ってきて。うっせーこの野郎って(笑)』
誰から、何てバーッと返ってきたんだろう。知りたいような知りたくないような…良いようにも取れるし悪いほうにも取れる。
例えば「このままじゃ終わるって言ってんだよ!お前らV6を愛してないのかよ!」「うっせーこの野郎!愛してるに決まってんだろうが!」かもしれない。一番いいパターン。悪いパターンはあえて想像しないでおく。
岡田の反抗期
ファンのことを「ありがたい存在」と前置きした上で、
でも、世の中には、僕自身のことをまったく知らない人たちもいるんです。その人たちに認められる存在になってこそ、ジャニーズの枠が広がるんだっていう認識に、だんだん変わっていったんです。自分が力不足だからこそ、枠からはみ出せなかった。でも、たくさんの人たちに認めてもらうためには、「もっと外の仕事を知らなきゃいけない」と思ったんです。10周年を過ぎたあたりから、岡田反抗期が始まるわけです(笑)。
(2015年ツアーパンフ)
芝居を極めようと決めた岡田さん。実はそれはSMAP中居くんの影響が大きく、人生を変えてもらったとまで語っている。
ふとした世間話で「俺、MCに命を懸けてるから」と言っていた中居くんを見て、自分も命を懸けてできるものをやらなきゃと思った。それがお芝居だった。
目の前の情熱を求めていたためにそのことだけに気持ちが強くなってしまっていたんだと今ならわかる、と本人も言っているように本当に芝居のほうに気持ちがいっていた。
芝居に関してはメンバーはいつも応援してくれていましたけど、僕はあの頃の自分の言動にはいろいろ反省しているんです。
ー反省?
ライブとかで「どうも〜V6です〜ありがとう〜!!」ってうまく言えない時期があったんです。MCでも、なんかしゃべれなくて…。そんなときでも、メンバーは許してくれたんです。
(2015年ツアーパンフ)
文字通り反抗期。アイドルとしては致命的な事態じゃないか。この状態まで行ったのに、よくまた持ち直したなあと思う。
「アイドルとして誇りを持ってくれ」という言葉
三宅さんが岡田さんに言った言葉「アイドルとして誇りを持ってくれ」っていうのはもはや伝説だと思う。この発言があったのが13年目あたりとのこと。
13年目というと、2007年11月1日〜2008年10月31日だ。
ご本人たちの発言に記憶違いがないということを前提としてまとめると、大体2007年〜2008年の間にこんなことがあったことになる。
・2007年9月、コンサートにて井ノ原が結婚を発表
・2007年11月、岡田主演ドラマ「SP」放送開始
・岡田、格闘技を本格的に始め「いったいどこに向かってんの?」と言われるようになる(言われるようになってしまった(笑)と本人談なので、そこまで深刻に言われた感じではない…?)
・岡田、三宅から「アイドルとしての誇りを持ってくれ」と言われる
・VIBESコンにて岡田が構成・演出、森田が衣装を担当する
・学校へ行こう!が終了する
順番があっているかは不明だが、ざっとこんな感じ。
予想するに、この辺りで井ノ原さんが言う「言い合い」があったのではないか。
もしかすると「アイドルとして誇りを持ってくれ」発言はそれに含まれるのではないか。予想の範疇を出ないが十分有り得そうな気がする。
2008年夏のVIBESコンでは、岡田さんが自ら進んで構成・演出をしたそうだ。
スケジュールの問題もありこれまでコンサートに対してあまり言わない人だったらしいが、このコンサートではやりたいと言い叩き台を考えた。アイデアをたくさん持ってきた。
ということは、そこまで彼を動かす「何か」がその頃あったのではないか。
その「何か」に「アイドルとしての誇りを持ってくれ」発言が含まれているのではないか。
あくまで私個人の考察に過ぎないのだが、そう考えるとぐっとくる。
この言葉がなければ、岡田さんの考え方もまた違っていたかもしれない。
岡田の反抗期はここで一段落したのだろうか。
アイドルとしての誇りを持っていない人からはこんな発言は出ない。三宅さんは本当に「アイドルのプロ」としての自覚があるのだろう。 そして何より、V6が大好きなんだろう。こんな熱い発言なかなかできない。
二次元じゃなく、現実世界でこんな発言をするアイドルがいるという奇跡…三宅健、おそるべし。
文字面でしか見ていないためどんな温度で三宅さんがそう言ったのかはわからない。
でもこの発言があったと知り、私は泣きそうになった。
というかちょっと泣いた。
岡田の反抗期については知った時も「あー、ですよねー。」と納得だった。
思い当たる節がありすぎるからだ。
20周年を迎えて、ようやく本人たちの口から過去にあったこと・思っていたことが語られる機会も多くなった。
特に今年のコンサートのパンフは必見だ。V6に興味がある人はぜひ読んでほしい。
ちなみに、私はこのパンフレットを読んで号泣した。
坂本くんから年齢順で単独インタビューが載っているのだがこの順番がまたミソなのだ。読み始めた時点で、ああこれはやばいな、多分泣く、と予感はあった。
そしてラスト岡田くんパートでは号泣状態だった。
泣いたと言えばアカデミー賞を取った時にも泣いた。
芝居を極めようとしていた人が、本当に日本一の称号を獲ったのだ。それも最優秀主演男優賞&最優秀助演男優賞W受賞という快挙。
私の中ではあり得ないことだった。過去にキムタクがアカデミー賞の候補に上がった際、辞退したということを知っていたからだ。事務所の方針として、賞レースには参加させないものなんだと思っていた。なので、出席してる時点で驚いた。
井ノ原さんから届いたというメール。
「20年間いろいろあったけど、この場所に立てる岡田を俺は誇りに思います」
ほんと、ずるいなあと思った。
井ノ原さんも三宅さんも、本当にV6が大好きですよねコレ。熱すぎる。なんなら演出が過ぎるわ!とつっこみたくなるくらいだ。でもそれをさらっとやってのける人たちだから仕方がない。泣ける。
岡田さんがアカデミー賞を受賞したことで、やっと本当の意味で反抗期を終わらせられるのかなとも思った。
武者修行に出ていた人がようやく修行を終えて帰ってこれるようなそんな感覚。自分探しの旅は、一段落ついたかなと。
もちろん賞を取ったらそれはそれで背負うものも増えるだろう。でも、岡田さんが目指した「自分のことを知らない人たちに認められるような役者」という目標はひとまず達成できたのではないか。
ストイックに自分を追い込み続けた岡田さん、それを認めて尊重したいと思っていたメンバー。そしてそれを支え続けたファンもようやく報われたような気がして、いろいろ考えてたら感極まってしまい、その日なぜかお風呂に入りながら私は号泣だった。
もっさりとヒゲを生やそうがゴリラになろうが、それでも支えた人達に対して「よかったねえええええええ…」と、どこから目線なのかよくわからない感情で泣けた。どこのお節介ババアなのだろうか。
本当に20周年続いてよかった。
いつかはどんなことにも終わりはやってくる。当たり前のことが当たり前じゃなくなる日は来るのかもしれない。
それでも今、当たり前のようにV6が続いてくれていることに感謝したい。
明日からは代々木公演が始まり、いよいよアニバーサリーツアーが終了する。
最終日はデビュー20周年を迎える11月1日。
参戦する方にはぜひとも楽しんでいただきたい!精一杯お祭りを楽しんできてください!
そして万が一ツアーパンフを買おうか迷っている、なんて方は絶対に買ったほうが良いです。
クオリティは私が保証します。
---------------------------------
続き書きました。
たくさんのアクセスをいただいた感想。ありがとうございました。
*1:しかし少なくとも岡田くんは譲っていないため確実に6人分は揃っていない…