激動すぎて、デビューの実感なんてものもなかったし、デビューの重みすらわかってなかった。この世界のこと何も知らなかったし、何にもできなかった。毎日、怒られてばっかりいたなあ。
(「MYOJO」2001年12月号)
15歳の誕生日を目前に控えた1995年11月1日、岡田さんはV6としてデビューした。
下積みもほとんどない状態。デビューするべく努力してきたジャニーズJr.もたくさんいる中で、少年だった岡田さんはV6のメンバーとなった。
本人も語っている通り当時は何もできなかったのだろう。当たり前だ。
ほぼ経験値ゼロの状態からのスタートだったのだから。
歌が上手いわけでも、ダンスが上手いわけでもない。演技もできない。おもしろいことが言えるわけでもない。
下積みも長く経験豊富なトニセンの3人、Jr.の中でもツートップといえるほどの人気だった剛健、その5人と共にデビューする。
デビューの実感もなければ重みもわかっていない、そんな状態でいきなり他の5人と同じようなレベルを要求される日々。
目の前のものをこなしていくだけで精一杯。デビューから数年はそういう状態だったのだろう。
家族が応募したもので、僕は何がなんだかわからずポカーンとしたまま大阪から東京の学校に転校して、V6になった。それはあまりにめまぐるしい変化だったので、この世界に入ってから二、三年くらいまでの記憶があまりない。
(マガジンハウス「オカダのはなし」P10)
「オカダのはなし」では32歳の彼がこう語っている。
だが「デビューから2、3年の記憶がない」という発言は6周年の頃の雑誌でも発言されていた。つまり年齢を重ねるとともに忘れたわけではなく、本当に激動すぎて記憶に残っていないということだ。
岡田さんは、自分のことを"せっかち"だと言う。
思うに”せっかち”なのは一種の職業病。東京に来て、この仕事を始めてからそうなったと思う(言い訳?)。仕事の場で求められているものは何か、素早く理解しようとしてきた。
(「オカダのはなし」P19)
一番年下で周りは全員先輩だから、自分の意見を聞いてもらうにはとにかく観察するしかなかった。(「オカダのはなし」P142)
幼い岡田少年は、何もできなかった。
何もできない少年がみんなに追いつくには努力するしかなかったが、中でも岡田さんが磨いた武器は「観察する」ことだったように思う。
goo辞書によると「観察」の意味は「物事の状態や変化を客観的に注意深く見ること」。
注意深く観て、察する。
急激に成長しなければいけなかった岡田少年は、最短ルートで追いつく方法を探す。その結果、観察することによって状況をしっかりと把握し自分がどう動けばいいかを考えるようになった。
"せっかち"になるに至った要因はここにあるのではないかと思う。
下積みのない岡田さんがデビューすることで、モチベーションが下がったJr.ももちろんいたようで、
みんなデビューしたいと思って、ずっと頑張ってきたんですよね。なのに、グループに入れなかった上に、そのバックで踊ることになったら、やっぱり「やりたくない」って言い出す人もいて。そんなとき坂本くんが「なんでそんなにやる気がないんだ。僕たちにはおまえが必要なんだ!」って言っていたんです。
ー坂本さん、熱いですね。
Jr.のコたちに対して、気持ちを下げないために坂本くんも頑張ってくれていたんだと思います。
(2015年ツアーパンフ)
坂本さんがカミセンの3人に説教とも言える教育をしていたのは有名な話だが、この話は私は初見だった。
下積みも実力もない、地方から出てきたばかりの中学生がいきなりデビューすることに対してやっかみも多くあっただろう。
幼い岡田少年には当然何もできなかっただろうが、最年長の坂本リーダーはしっかりと場を把握し、まとめた。
よくメンバーを家族に例えると?という問いに「坂本くんはお父さん」という答えが見られるが納得だ。
きちんと若いメンバーを守り教育し生活面でもしつけをしてきた姿は、やっぱりお父さんと評されるにふさわしいと思う。
高校を卒業する時には、坂本さんから岡田さんへ手紙も渡されたらしい。
「学校へ行け」とよく怒っていた坂本さんからの手紙。もはやメンバーの関係を超えているような、不思議な関係性だ。
トニセンからは社会人としての礼儀を教わり、剛健はどんなに夜遅くなってもしっかり、きっちりとダンスを教えた。
「メンバーはみんな優しい」とよく言っているが、本当にそうだと思う。
優しくて、真面目。結果的にその仕事をまっとうする姿勢が岡田少年を守り、成長させた。
岡田さんは自ら芸能界に入ることを望んだわけではなく、家族が応募したことによってアイドルになった。
期待に応え、自分にできることをひたすらやってきた。
26歳になった頃のエッセイではこう語っている。
25歳までは理解することがテーマ。自分の仕事の意味や流れを理解しようと努力し、結果「これはこうだからしょうがない」と、無意識のうちに上手に流している自分がいた。でも、10年仕事をし、25歳になり、"わかってしまう"ことはやめようと思った。疑問に思ったら流さずきちんと立ち止まり、咀嚼しようとー。
(「オカダのはなし」P64/2006年12月・当時26歳)
この頃V6はデビュー12年目に入っていた。
理由を持って芸能界に入ってこなかった分、「求められることに応える」ということが仕事をする理由になっていったのかもしれない。
「応える」ということが仕事をする理由になっていった結果が、おそらくあの20代半ば頃の「哲学的なオカダ」を生み出したように思う。
「世間から求められる自分」と「本当の自分」。
その狭間で悩み、葛藤する中で大人になっていった。
岡田は、最近、メンバーの話の輪に入ってこなくなった。マイワールドを持ってる感じがする。それもいいけど、オレとしては少しさみしいよ。岡田、もっと語り合おうよー。(長野)
最近さっぱり話してくれなくて、さみしい。たまにはワーッと騒ごうよ。頼むよ、ぶっさん!(三宅)
岡田はね、しゃべらないんだ。学校へ行こう!のスタジオ収録でも、ここでしゃべっとけって言うのに「何しゃべればいいの?」ときたもんだ。ふだんは映画の話とかするんだけどねえ。(井ノ原)
(「Duet」2002年4月号)
この当時岡田さんは21歳だ。
周りの大人を「観察して」育った少年は、妙に大人びたところがあるクールな青年に成長した。メンバーと仲が悪いわけでもないがあえてはしゃぐというわけでもない。
人としゃべりたくない、笑ってと言われても笑えない、そんな"こだわりの10代20代"を経て、(略)
(「オカダのはなし」P124)
エッセイでこう語られている通り「アイドル」としての自分の立ち位置が納得しきれていない部分があったのだろう。
求められていることにどうにか応えてやってきた10年間。
25歳を過ぎ、岡田さんはどんどん"個"を伸ばすほうへ力を入れていく。
10周年まではアイドルとしてキレイでいるということをまっとうし、「求められる自分」を貫いた。これがいわゆる"美人期"の頃だ。
自分の意味を、芝居に見出したい。認められたい。
芸能人としての始まりがあやふやだった岡田さんにとっては、初めての野望であり志だったのかもしれない。
そこに夢中になってしまうのは当然の流れともいえる。
役者として芝居を追求していく中で「アイドル」がうまくできなかった27歳頃、「アイドルとして誇りを持ってくれ」と三宅さんに言われた。
反抗期というか、"その先"を見たくてしょうがない時期があって。そのときに健くんに言われて…メンバーに言わせる言葉ではないなって。そこまで言わせたってことを反省しました。
(「Wink up」/2015年10月号)
この発言について考察してみた。
岡田さんは無自覚だったかもしれないが、「アイドル」としての仕事をしっかりこなしていない姿はある意味「アイドルを否定している」とも捉えられる。
アイドルを否定すること。
それはつまりメンバーをも否定することであり、仲間の生き方さえも否定することだ。
「自分がアイドルを否定することはメンバーを否定するということで、V6を否定することになる」
メンバーに言わせる言葉ではないと反省した背景には、こんな考えに行き着いたということがあるのではないかと私は考察する。
それからの岡田さんは反抗期も無事に終了し、最終的に辿り着いたのが今現在の過剰なまでにメンバーにスキンシップを取るデレデレした姿だ。
まさかこんな未来が来ようとは。誰も想像し得なかったであろう未来が今まさに訪れている。
私はいまだに、「これは夢なのではないか?」と思う時がある。
そして今、岡田さんはこう思っている。
もし、僕が入り口だとしても、メンバーのことを好きになってもらうように努力したいと思うし、その役割をしたいと思うんです。V6にはこんなにすごいメンバーがいるんだって知ってほしい。自分のことを映画の仕事を通して知ってくれた人たちが、メンバーのことも知ってくれて好きになってくれたらいいなと思っています。
(2015年ツアーパンフ)
外で仕事をしてきた結果をグループにも還元したい。
それは今の岡田さんの一つの目標だったり野望なのかもしれない。
グループの末っ子としてみんなについていくことしかできなかった少年は、いまやグループを率先して背負い、引っ張っていくほどの頼もしい存在になった。
デビューから20年が経ち、役者として独り立ちしようと必死だった青年はもう一人前の役者だ。
だが同時に、メンバーのことが大好きでそれを平気で表に出すようなデレデレしたおじさんになった。
ただただかっこいい岡田准一を求めている方はとまどいを感じるかもしれない。
実際私も見ていてちょっとヘンな人だな、とか、大丈夫か…?とか、そういうふうに思ってしまうこともある。
役者としてのイメージが崩れてしまうのでは…!と心配になったりもする。
それでもやっぱり私は、どの時代の岡田さんよりも今の岡田さんが大好きだ!と思ってしまうのだ。