V6メンバーの29歳時をまとめてみる、第6回岡田くん編。
ようやく最後の1人までたどりついた!
2009年〜2010年、デビュー14周年を迎えた直後から15周年を迎える辺りまで。
フジテレビの23時枠「VVV6」がついに終了
29歳時のレギュラー番組は「VVV6」と「クマグス(→ミッションV6)」。
「VVV6」の枠は1999年の「V6の素」からずっと続くレギュラー番組だった。
バラエティでの感覚を鍛えてくれたのは「学校へ行こう!」でもあるが、このフジ23時枠が彼らを鍛えた部分も大きいと思う。
罰ゲームでものまねをしたり(岡田さんの江頭2:50のものまねはいまだに忘れられない)、コントをしたり、マグロをさばいたり、創作料理をしたり、変装して屋台でそれを売ってみたり。
そして学校へ行こう以上に、メンバーの素っぽいところが見れる番組であったと思う。
Vシュランのコーナーをやるようになってからはすっかりグルメ番組になってしまい、個人的には微妙に感じていた。
「グルメ・動物・子供」は視聴率が取れるとよく聞くし、時代の流れには沿っていたのかもしれないが、何度か言っているが私はとにかく「くだらないもの好き」なのでくだらない企画をずっと見ていたかったというのが本音。
岡田さん29歳時の2010年にこの枠のレギュラーがなくなり、残すはTBS深夜枠の1本のみ。
そして岡田さん個人では引き続きラジオをやっていて、今のレギュラー体制になったのがちょうどこの頃と言える。
アニバーサリーイヤーに絡みがちなアジアでの活動
岡田さんが29歳になった時がちょうどアジアツアーの最中(2ヶ所4日間5公演)。
過去記事でV6がアジアへ向けた活動をしていたことにも触れたのだが、この当時はしばらくご無沙汰になっていたため7年ぶりのコンサート開催となった。
坂本さん29歳、デビュー5周年に初めてのアジア進出。
長野さん29歳、デビュー6周年(V"6"なので6周年も結構アニバーサリー扱いだった)韓国でCD発売、日本人アーティストのCDが公式発売されたのはV6が史上初だった。
井ノ原さん29歳、デビュー10周年に日韓友情記念コンサート出演、ファンミーティング開催、etc。
で、岡田さん29歳はデビュー15年目なのでまあほぼアニバーサリーイヤー、アジアを含めたコンサートツアー開催。
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ここまで並べてみて、20周年は何もやらんでよかったんかい…とつっこみたくなってしまった。
2015年に関しては、国内において本当に濃ゆい活動をしてきたが、流れ的にはアジアコン入れても不自然ではなかったなあと。
スケジュールもきついし今となっては少し苦しいか…でもなんだかんだでアジアに向けた活動がまったく無くなってしまうのも少し寂しく感じるというジレンマ。
あんなにアジア進出を押していた事務所だったのに、すっかり方針が変わったんだろうか。現在のアジアでのV6認知度ってどんなもんなんだろう。
アジアツアー、からの国内ツアー開催
この年のシングル発売はわずか1枚。(この翌年もシングル1枚のみと少し停滞気味)
だがアルバムの発売があったため、2010年4月から6月にかけ6ヶ所19公演の国内ツアーを開催。
その開催直前に出たのが週刊文春による解散報道だった。
国内ツアーの発表と共に、この説を一蹴するコメントを発表。
私の考察ではこの頃には「岡田の反抗期」も終了していたと見ている。グループの関係性としては落ち着いていたのではないだろうか。(仕事量的にも…)
29歳までの役者仕事はどんなものだったか?
過去記事ではこの当時に解散説が出ることになった理由として「個人活動の充実」を挙げた。
では、岡田さんは29歳までにどんな個人活動をしてきたのか。
2002年1月(21歳)「木更津キャッツアイ」主演。
岡田さんが芝居を続けたいと本気で思った作品であり、ターニングポイントとなった作品。
視聴率的には決して良かったわけではなかった*1が、とにかくマニアかつ熱狂的なファンがついていた印象。一体どこの層なのかいまいちピンとこなかったのだが、とにかくそんな印象だった。
まさか映画化までするとは。それも2度も。
大衆受けしなくとも、熱狂的なファンが盛り上がることで作品を前に進ませることもできるんだなあ…と感動した。
木更津キャッツアイの映画公開が2003年11月(23歳)で、これが個人での映画主演は初。
ちなみにこの年にはカミセンとして「COSMIC RESCUE」、V6として「ハードラックヒーロー」にも主演している。
2005年(24歳)「東京タワー」以降、映画仕事を着実に重ねていく。「フライ,ダディ,フライ」「花よりもなほ」「陰日向に咲く」「おと・な・り」。
そしてその間にはドラマ「SP」があった。
このドラマをきっかけに本格的に格闘技をはじめ、今日のゴリラと呼ばれる状態につながっていくわけだが、29歳時にはカリ、ジークンドーのインストラクター認定を受けている。
岡田准一氏、正式指導員に認定! - ブルース・リー・ジークンドー正統継承 IUMA日本振藩國術館
なぜインストラクターとしての資格を取ろうとしたかというと、そこには「伝統をつないでいかなければ」という思いがあったとのこと。
「歴史」が好きなだけでなく自分もその「歴史」を紡ぐ人になろうと思うあたり、実に岡田准一らしい。
数々の映画出演と人気ドラマの主演によって着実に役者としての階段を登り、29歳の頃にはしっかり世間的に役者イメージがついてきていた。
29歳のラスト2010年10月末には「SP 野望篇」が公開され、その後30歳の誕生日と映画の大ヒットを記念した舞台挨拶もあった。
当時のエッセイで「20代を悔いなく過ごした証として『SP』が完成した」と語り、クランクアップの瞬間には涙した。
役者として目覚めたのが「木更津キャッツアイ」だったのならば、役者として覚醒したのがこの「SP」だったのかもしれない。
やっぱりちょっとヘンな岡田准一29歳
最近「オカダのはなし」を読み、そこからの感想や考察を綴った。
その記事ではどちらかと言うと真面目な内容ばかりを取り上げていた。
だが忘れてはならない。彼は少し、いやかなりヘンだ。
V6のメンバーとして、俳優として躍進し続けるスターの素顔は、格闘技と歴史とチョコを愛する、心優しい真面目な努力家。
そして、ちょっとヘン?
男<岡田准一>は、一日にして成らず。
(マガジンハウス「オカダのはなし」書籍帯より)
上記は「オカダのはなし」の帯に書かれていたコメントなのだが、書籍の帯としてはかなり完成されているなあと思った。
この文面から感じられる、「あのスターの素顔がこの本には詰まっているんだぜ…」感。
あのスターは才能だけで成ったわけではなく、その裏に隠された努力がある。
そして実はチョコを愛している、なんていう可愛らしい部分もある。
素顔の岡田くんは硬いだけじゃなくてちょっとだけヘンで、親近感が湧くような一面もあるんだよ?
ふむふむなるほど、と読み始めた人はきっと想像以上のヘンっぷりに度肝を抜かれるのではないだろうか。不安である。
この本の中には29歳時に書いた内容もある。
その内容がぶっとんでいた。
「いつか村を作りたい、なんて思うこともある。」
思わずフォントを大きくしてしまった。
岡田准一29歳は驚くことに村を作りたい、なんて言っていた。
そもそも「こだわりの部屋を作りたい」というところから始まるこのエッセイなのだが、最終的に村を作りたいというところに着地して終わる。
ちょっと待って。
え、村?
部屋じゃなかったの???
読んでいて混乱した。このエッセイ不思議過ぎる。
何度も読めば理解できるのか?と読み返してみたが、結局読後に残るのは大量のはてなマークだった。
とにかく一からこだわったものを作りたいということなのだが、こだわったものの集合体として村を作りたいというこの謎のプロデュース熱。
じゃあ大工の知り合いとカフェを作るか?温泉を引いてみるか?と構想を練っていくと、これは"岡田村"になるな(笑)。
(「オカダのはなし」P101)
岡田さんがなりたかったのは、園長ではなく村長だったのかもしれない。
岡田さんの29歳、感想。
薄々ヘンな人だなとは思ってはいたが、29歳の岡田さんもやっぱりヘンだった。
そして今もなお、やっぱりヘンである。
仕事面では方向性ややり方などいくらでも変化しようがある。それは成長であり進歩だ。
誰かの影響によって考え方を改めたり、思い直したり、時には体型やライフスタイルまで変化したり。場合によってはその人を一変させてしまうような展開が待っていたりする。
岡田さんは29歳までの間にしっかりと自分のやりたい仕事を見つけ出し着実に進んでいた。
進む中で葛藤してきたわけだが、この頃には一段落している(と思われる)し、結果的に「役者」も「アイドル」も手放すことなく今も両立させている。
きっと29歳時には「両方を続ける」という方向性を持っていたのではないだろうか。
しかしながら、人間ってやっぱり芯の部分は変わらないんだなーと思った。
ヘンな要素がある人はやっぱりどこかヘンであって、そんな急に「理論的なことばかりを語る哲学者」にはなれないのだ。
そう考えるとなんだか少し安心してしまう。
岡田さんの29歳は他のメンバーと比べると少し特殊な気がしていて、その辺りも含めて次回「全員分総まとめ」として考察してみようと思っている。
*1:平均視聴率10.1%、全9回のうち5回は1桁台