2016年1月18日、SMAP✕SMAPを見た。
日本中が心待ちにしていた、本人たちからの直接的なコメント。
これは長期化しそうだ…と思い始めた矢先、あっさりとその機会が訪れたことに驚いた。
番組内で流れたのは、とてもではないが視聴者が求めていたものではなかった。
SMAPのあんな姿が見たくて彼らの存続を願っていたのか。
なぜSMAPに解散してほしくなかったのか。
あの映像を見て、加熱していく報道を見て、私はなんだかわからなくなった。
現在報道されている中に真実はどれだけあるのだろう。
とてもではないが現状からすべてを察することはできない。
あまりにも確実な情報が少なすぎる。隠されている部分が多すぎる。
だが、とりあえず現状を整理してこの気持ちを片付けなければ私は先に進めそうにない。
目次
- 目次
- SMAP✕SMAPでの緊急生放送で考えたこと
- 解散しないでほしい=事務所に残ってほしい ではなかったはず
- 私は何が残念だったのか、何に失望したのか
- 真偽は関係なく一般に浸透していく情報の恐ろしさ
- 圧倒的な力の前でSMAPが多くの人を動かしている理由
- そこにあるのが虚像だったとしても
SMAP✕SMAPでの緊急生放送で考えたこと
放送当日、事務所が発表した文書を見てなんとも言えない不安を感じた。
社内協議を重ねました結果、今まで支えて下さっているファンの皆様をはじめとする、より多くの皆さまに5人のメンバーの口から直接、現在の心境を語らせて頂く事が、せめてもの誠意を尽くせることと考え、(略)
尚、本人達の口からSMAPを支えてくださっている全国の皆様に直接お話をさせて頂きたいという意向での生中継でございます為、(略)
文面から読み取れるのは、聞かせてもらえるのは「結論」ではないということ。
あくまで「心境」。その言葉が妙に引っかかった。
そして本人たちが望んでの生中継である、ということが強調されているのも気になった。
「これが本人の気持ちなんです。望んだからやるんです。やらせたのではありません。」
始まる前からそんな前置きを押し付けられているようで胸騒ぎがした。
そういう風に考えてしまうのは私が深読みしがちな性格だからだ。
生中継でそんな、公開処刑みたいなことが起こるはずがない。
そんなことをして誰が得するのだ。
事務所だって損をする。
そう思っていた。
だがテレビに映しだされたのは私が考える中で一番最悪の形だった。
公開処刑。見せしめ。
そんなふうにしか思えない映像に、愕然とした。
明らかに私達がいつも見ているSMAPではない。
話す順番及び立ち位置、話す内容、表情。
ファンの方は当然ながら、一般視聴者でさえ違和感を感じるようなあの映像で、一体誰が得をしたというのだろう。
そして心配していた私たちが欲しかったのはあんな苦しそうな謝罪ではない。
いつものSMAPがいつものような雰囲気で語る、本人たちの思う言葉だ。
あの映像にそれは感じられなかった。
そして「解散しない」という明確な言葉はなかった。
この日スポーツ新聞で報道されていた内容には「4人は関係者・スポンサー、もちろんメリーさんへの誠心誠意の謝罪が必要」というものがあった。
そんな報道の後であの映像を放送したのだ。
「SMAPを支えてくださっている全国の皆様に」
事務所が発表した文章には確かにそう書いてあったはずなのに、この映像の先にいるのは果たしてそうだっただろうか。
ここに至るまでの流れを把握していれば、その裏にあったのは明らかに事務所への反逆行為に対する謝罪のように見えた。
最悪だ。
なんというかもう、最悪だ。
回避する方法はおそらくあった。
見せしめのような形にしなくてもよかったはずだ。
誰が望んでSMAPのあんな表情がお茶の間に流れる事態になったのか、あえて言及はしない。
しかしピンチをチャンスに変える方法は他にあったはずだと思えて仕方がない。
私はSMAPが笑顔で「解散しません!」と言ってくれるのを期待していた。
状況的に厳しいかもしれないが、そうであってほしかった。
そういう姿勢を貫く事務所であってほしかった。
キラキラとした夢を売る事務所であるなら、闇を感じさせてはいけない。
薄々感づかせられるのならまだしもはっきりした形でそれを露呈してはいけなかった。
間違いなくジャニーズ事務所のイメージダウンに繋がる。
それが一目瞭然なあの映像が怖かった。
本当に本人たちが望んでやっているのか?と思ってしまうようなあのコメント。
テレビの前で「一体私たちは何を謝られているのだろう?」と思った。
視聴者はこんな映像が見たかったわけではない。
私たちが愛する国民的スターのSMAPから安心する言葉がもらえればそれでよかった。
もっと言えば生中継で笑顔を見せ、いつもの雰囲気を漂わせてくれるだけでもよかったのだ。
無理矢理吐き出したような文章より、笑顔のほうが何倍も胸に響くのだから。
これから自分たちは何があっても前を見て、ただ前を見て進みたいと思いますので、皆さん、よろしくお願いいたします。
木村さんのコメントにあった「何があっても前を見て進む」。
この言葉をそのまま受け取るのなら、これは「誓い」だ。
自らの意志で胸に留めておくもの。
だが、とてもではないがこの発言を前向きに捉えられるような雰囲気ではなかった。
まるで「前を向くことしか許されない」ように感じた。二度とこんなことを考えるなよ、と。
「誓い」が強制されるようになってしまえば、それは「呪い」になってしまう。
どうかそうならないでほしい 。
「SMAP」が彼らを縛り付ける呪いにならないでほしい。
解散しないでほしい=事務所に残ってほしい ではなかったはず
ファンの、国民の意見は「解散してほしくない=ジャニーズ事務所をやめないで」なのだろうか、と考えた。
SMAPがSMAPでいるためには、少なくとも現時点ではジャニーズ事務所に残ることしか選択肢がなかったのだろう。
今回の件で一番のハッピーエンドは「5人でジャニーズから円満独立」→「SMAPを続ける」だったのではないか。
この「円満な独立」というのが今回ではもっとも大きいポイントだったに違いない。
独立についての協議・交渉が行われていたことは事務所がきちんと発表している。
なぜそのようなことに至ったかは想像することしかできないが、少なくともそこには「事務所に対する何らかの不満」があったはずだ。
もし円満でなく無理やり独立した場合、何が起こるか。
まず「SMAP」を名乗れない。
「SMAP」はジャニーズ事務所の商品であり、事務所の許可なしでそれを名乗れるとは思えない。
つまり「"SMAP"の名前が使えない」→「SMAPの存続は不可能」、というバッドエンド。
それを強行突破できたとして、その後に彼らに待ち受けるのは何か。
想像に容易い。
ジャニーズ事務所からの猛烈な圧力。芸能界において干されるということだ。
強行突破し5人でSMAPを続けることになるとしても、これまでと同じ活動が維持できる環境が整えられるかといえばそれは難しい。
「"SMAP"をジャニーズの枠の外で展開する」→「圧力によりこれまでと同じ規模の活動ができない」→「SMAPの形がこれまでと変わり、思うような活動ができない」、というバッドエンド。
SMAPがSMAPらしい活動をするために、現時点で選ばざるをえなかった選択肢。
「SMAPは存在しなければいけない」。
そう判断し頭を下げてまで、あんな痛々しい姿を見せてまで選んだのが「事務所残留」という道だ。
独立なんて言い出さなければよかったのに、と言ってしまえばそれまでかもしれない。
だが物事が発生する時には必ず何かそこに原因がある。
今回の件で、私はそれを「事務所内の体制によって生じた問題」、つまりグループの外側で起こった「外的要因」と判断した。
グループ内の不仲や方向性の違い、そういった内的要因によってもたらされる解散であれば仕方がない。
だが今回に関して言えばどうやらその原因は彼らの関係性とは関係のない「外的要因」によるもので、その先に待ち受ける未来が「グループ解散」。
国民的スターに待ち受けるのがそんな未来だなんてあってはならない。あってほしくはない。
そう思ったからこそ広がったのが購買活動であったり署名活動だったのだと思う。
ではその「SMAPの活動存続を願う人々」が待ち望んでいたのはなんだったのか。
その思いに対する答えがあの生放送だったのであれば事務所は何もわかっていない。
本当に、本当に何もわかっていない。
私は何が残念だったのか、何に失望したのか
あの映像を見て嬉しい思いをしたのが誰なのか。
一連の報道を追っている人であれば誰しも気付くはずだ。
今回事務所が犯した一番の失敗は「その闇を世間に露呈してしまったこと」だろう。
その意味。その重さ。おそらくそれは今後「企業イメージ」としてのしかかってくる。
夢を売る仕事にも裏側はある。
それはいまや誰もが知っていることだ。
テレビでタレントがつくり上げるエンターテイメントの、その全てがリアルではない。
私の周りにはテレビにいちゃもんを付けるのが趣味な方がおられる。
母である。
家族が楽しんでテレビを見ていようが、横から唐突に「全部台本があるんやで!」という言葉を一方的に放り込んでくる、なんともデリカシーのない母である。
その時、私が毎回なんと答えるか?
「知ってるから!」である。
私は、テレビが好きだ。
はっきり言ってずっとかじりついているわけでもないし、最近はずさんな見方をしてはいるのだが、つまりは単純にテレビが好きなのだ。
見る時にはとことん楽しむ。
30年近く生きてきて思うのは「何でも楽しんだもん勝ち」だということで、それならば私はエンタメの世界を思いっきり楽しんでやろうと開き直っている。
その気持ちはテレビだけに限らず、エンターテイメント全般において持っていたいと思っている。
だからこそお金を払ってそれに触れようとする。ライブやコンサートに足を運ぶ。
自分の「体感すること」に対する対価を払っているという認識だ。
テレビの中にはリアルだけが詰まっているわけではない。
筋書きがあり、計算されたものがあり、時にはおそらくヤラせもあり、それを見て私たちは喜び、怒り、悲しみ、笑い、感動する。
あざとく計算されたアイドル性を見せつけられて、それが狙って行われていることだとわかっていてもときめいたりもする。
各々の感性で現実と虚像を差し引きする。
それはいまや当然のように行われていることだ。
「ジャニーズファンは盲目で、イケメン好きで、アイドルに恋をしている」
そんな偏見は今もなお残っている。
確かにそういう愛で方をしているファンもいるだろう。
だがおそらく大半は現実と虚像の判断はできている。
その姿に夢を見るが、一方でそれが夢であることもわかっている。
夢を夢として思いっきり楽しむ。その能力に長けた人達がジャニオタには多いのではないかと私は思っている。
テレビを見ている私に母が「台本あるんやで!」と言ったところで私のテレビ好きは揺らがない。
あの中には嘘が詰まっているかもしれない。
それを差っ引いても私はテレビが好きだ。
そんなテレビ好きな私にとっては、あの生放送はテレビに対する侮辱のようにも感じられた。
あれは、テレビ局が仕向けたものなのか。
あれは、番組スタッフが仕向けたものなのか。
口火を切ったのはおそらくどちらでもないだろう。
「本人たちの口から直接語ることが誠意」
果たしてそうだっただろうか。
事前に生放送をすることを発表し、世間の目を番組に向けさせる。
そこで語られた内容は果たしてファンに対して、心配していた日本中の人達に向けられたものだったのか。
それを考えると私は、1人のテレビ好き人間としても腹が立つ。
テレビは、そんな使い方をするための媒体ではない。
これが生放送でなければここまで腹は立たなかった。
記者を集め会見を開き、それが芸能ニュースで取り上げられていたのならばまた見方は違っていただろう。
そうなればそれは「報道」であり、「テレビ番組」ではなかったからだ。
番組の一部を変更してまでねじ込んだ内容が、視聴者が誰一人すっきり出来ないようなあの内容。
世間では「茶番」と言われている。
それくらいにあの放送内容は求められていたようなものではなかったのだ。
真偽は関係なく一般に浸透していく情報の恐ろしさ
今日までで3回、世間話の1つとしてSMAPの件について説明する機会があった。
その中でも一番衝撃的だったのはあの生放送を見たおっちゃんが発した「要するに4人がキムタクに謝ったんやろ?」というものだった。
今回の騒動で4対1の図式が出来上がって、誰が得をするのだろう。
これが週刊誌やスポーツ新聞が書いた記事で作り上げられた構図ならばまだわかる。
だがこの構図を決定づけたのは、おそろしいことに彼らのレギュラー番組というホームの場での生放送の映像なのだ。
一番自由にできるはずで、一番彼らを正当化できる場所。
深読みせずに見ている一般の方からすればあれがオフィシャルな発言であり「彼らが語る本当のこと」なのだ。
それくらいにあの放送の意味は大きかった。
だからこそ、本人たちが思うことを自分達の言葉で説明できていなかったであろうあの映像が残念で仕方ない。
その図式を回避することも出来るのに、あえて火に油を注ぐような方法を選んだ事務所の判断。そしてその裏にある良からぬ感情。
それを世間に知れ渡らせてしまった、一企業としての在り方が残念で仕方ない。
首謀者がそんなやり方を望んだとしてそれを静止できる有能な参謀はいなかったのか。
それだけの体制を整えられていないという事実を突きつけられたことが何より衝撃的だった。
本当に、あの放送で誰が得をしたというのだろう。
彼らの活躍をサポートし、価値を見出し世にアピールしなければならない所属事務所が、グループの中に善と悪を作ってどうするのだ。
圧倒的な力の前でSMAPが多くの人を動かしている理由
はっきりとした「本人たちの言葉」が語られることが許されない以上、私たちがこの事件の真相を知るのはまだまだ先なのかもしれない。
もしかすると永遠に明らかにされることはない可能性だってある。
彼らはこれから窮地に立たされるかもしれない。
現時点でわかっていることはごく僅かだが、彼らが「SMAPであり続けること」を選んだのは確かだ。
その意味を私たちはもっと噛み締めなければいけない気がしている。
果たしてそこに「心」はあるのだろうか。
入れ物だけあっても中身が、心がそこに無ければ意味がない。
それはもはや「存在しない」ことに近いのかもしれない。
「SMAP」という入れ物があったとする。
それがメンバーの心で成り立っていたとして、これから訪れる窮地はその入れ物を空にするかもしれない。
果たしてその時、その状態を私たちは「SMAP」として認識できるのだろうか。
空っぽのその存在を、国民的スターとして愛することができるのだろうか。
だが私は思うのだ。
もしそういう事態が起こった時、きっとその入れ物を再び満たすことが出来るのはファンであり、日本中の「声」なのかもしれないと。
彼らが共演した方や、彼らを愛する芸能界の方が、はっきりとは言えずとも彼らを擁護する発言をしているのを見ていて考える。
こんなにも彼らが愛される理由はなんなのだろうか。
今SMAPを擁護している方にメリットがあるのかを考えてみる。
世論は得られるかもしれないがもしかすると思わぬところで逆風を受けるかもしれない。
だがそれでも発言をする。その裏に確かな愛情を感じるのだ。
悪い部分について邪推するのも得意な私は、「逆に媚売ってるんじゃないの?」なんてことだって考えたりもする。
しかし果たして、現時点で媚を売って得する要素はあるだろうか。
圧倒的な力の前で屈服させられた彼らに、その圧倒的な力の矛先が自分に向くかもしれない危険性を伴ってまで媚を売る必要性があるだろうか。
私はSMAPの全てを知っているわけでもなく「お前SMAPの何知ってんねん!」と言われてしまえばそれまでだ。むしろ知らない部分のほうが多い。
だが事態を端から見ているだけでも、彼らが周りに愛されているのだということが感じられて仕方がない。
彼らの人間性が、これまでの姿勢が、周りを動かしているのだろう。
SMAPが築き上げてきたものはそういうものなのだ。
そしておそらく擁護する声の中には、あの世界に潜む闇であったり有る事無い事を書き立てるメディアであったり、エンターテイメントを取り巻く悪しき環境に対する怒りも含まれているに違いない。
SMAPがこれから戦わなければいけないのはそういうものでもある。
加熱する心ない報道合戦の裏で、そのような声が上がっていることは救いであり、希望だ。
また前回の記事を多くの方にシェアしていただきその感想も読ませていただいた。
感想を辿るうちに、多くのファンの方の意見を目にした。
この騒動が起こる前の、伏線としか思えないような出来事の数々。
ファンは彼らの行動からそれを読み取る。
そして武器を持たずに戦っている。
武器を持って戦っては意味がない。
まさに彼らの楽曲「華麗なる逆襲」の中にある「そう愛するやりかたがいい」という歌詞のままをやろうとしている。
お互いに武器を持てば、おそらく戦争が始まるだろう。
その先にある未来は、彼らにとってもファンにとっても望むべきものではないとわかっているからだ。
振り上げた拳を下ろすにはどれだけの我慢が必要か。未来を信じ、懸命に怒りを抑えている。
ジャニーズ事務所は、これからは世間に露呈してしまった良くないイメージと戦っていくことになるだろう。
それを招いたのは事務所の失態であるのだから仕方ないと思う。
ジャニーズの文化は好きだ。
あの圧倒的な世界観に魅了されるのは確かだ。
だが、今の運営体制が正しいのかと言われればはっきり言って大間違いである。
あの文化を紡いでいきたいのであれば体制の改革は必須だ。
紡ぎたいのであれば、だからこそしっかりと次代へ継承していかなければならない。
始まったものがいつか終わるように、人がいずれ朽ちるように、同一体制での永遠など存在しない。そこに気がつかない限り未来はない。
ジャニーズファンが求めているのはそこにあるエンターテイメントであり文化だ。
残すべきは文化であり、悪しき体制ではない。
所属タレントのファンの中には、彼らの今後の活動に不安を抱いている人も少なくない。
だが、これはもしかしたらある意味ではチャンスなのかもしれないとも私は思っていたりする。
私は、こんな巨大なものではなくちっぽけなものだが一族経営の会社を内側から見たことのある。
その頂点にいるのは絶対的な一族の長。会社の中に血縁者がはびこっているほどやりづらいものはない。
そして奇しくも、その中で権力にぶら下がり、むやみやたらにそれを振りかざすのは女である。もしかするとこのパターンはありふれたものなのかもしれない。
その社会では一族以外のものが大きく体制を変えることはできない。
意見をすることさえ許されない、そんな雰囲気すら漂う。
中から変えることができない以上それを変えるには外からの「何か」が必要なのだ。
もしかするとこれはいい機会で、闇の部分が露呈したことでそれに乗じて何かを変えようという動きは起こるかもしれない。
真っ暗な世界に穴が空けられ、そこから光が差し込んだ。
そんな感覚を抱く内部の人間がもしいるならば、どうかこのチャンスを逃さないでほしい。
一族経営の闇を覗いたことがある人間として、一ファンとして、どうかそうあってほしいと願う。
そこにあるのが虚像だったとしても
この騒動に対するいろいろなことを見ているうちに、ある曲を思い出していた。
「世界に一つだけの花」を作詞作曲した槇原敬之さんの楽曲、「僕が一番欲しかったもの」である。
「世界に一つだけの花」は元々アルバム曲(2002年)であり、それがシングルカットされた(2003年)。
「僕が一番欲しかったもの」も元々は提供曲として発表され(2003年)、後に槇原氏本人がセルフカバーし、シングルとして発売している(2004年)。
つまり、ほぼ同時期の作品だ。
僕が一番欲しかったもの - 槇原敬之 - 歌詞 : 歌ネット
この曲の主人公「僕」は、道の途中で「素敵なもの」を拾って喜ぶ。
だがその度に「それ」を自分以上に必要としている人と出会う。
惜しみながらも「僕」は「それ」を周りの人に与える。
きっとこの先、もっと素敵なものに巡りあえると信じて。
結局僕はそんな事を何度も繰り返し
最後には何も見つけられないまま
ここまで来た道を振り返ってみたら
僕のあげたものでたくさんの
人が幸せそうに笑っていて
それを見た時の気持ちが僕の探していたものだとわかった
私が一連の騒動の中で、ファンや世間のあたたかい声、彼らの周りの方々の声を見ていて浮かんだのはこの世界観だった。
エンターテイメントの世界は虚像で満ちている。
そこには嘘だったり、闇だったり、おおよそ綺麗とは言えないものが溢れかえっている。
だがそれでも、虚像と現実を繋いだ時、そこに生まれるのはやさしい世界であってほしい。
誇りを持ってエンターテイメントを生み出している人間がそれまで来た道を振り返った時、そこにあるのはそれに魅せられた人々が幸せそうに笑う姿であってほしい。
自分達が生み出すものに、やっていることに、意味がないのではないかと不安になることもあるはずだ。
心が空っぽになりそうな時にその背中を押すのは誰なのか。
いろんな人がSMAPからもらった様々な思いを、これからは返していかなければいけないのかもしれない。
「僕が一番欲しかったもの」、そのラストのフレーズ。
今までで一番素敵なものを
僕はとうとう拾う事が出来た
世界の果てで彼らが思うことは、こうであってほしい。
エンターテイメントの世界のハッピーエンドを、私は願ってやまない。
- アーティスト: SMAP,槇原敬之,工藤哲雄,都志見隆
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 2003/03/05
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