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井ノ原さんの誕生日の思い出


井ノ原さん、40歳のお誕生日おめでとうございます。

 

誕生日になるとついつい何か綴りたくなるのがファンの心境。私も今日は井ノ原さんについて書いておきたい。

 

「井ノ原さんの誕生日」というお題で何かを書くとするなら、私は2003年5月17日の出来事を選ぶ。

顛末を思い出しただけでも泣いてしまうような、あの日のことを。

 

 

 

 

この日、日付が変わって長野さんから届いたバースデーメールに「メンバーで一番乗りだぜ!」と返信したところ1番乗りというかそれ以降誰も続かなかったという残念なところから井ノ原さんの27歳の誕生日は始まった。

 

この日は20th Centuryのコンサートツアー東京公演が2公演あった。

2部の途中、井ノ原さんのソロでバックについていたJr.が急にはけてしまい、訳も分からずステージに取り残された井ノ原さんに対して流れ始めたのは誕生日を祝うビデオメッセージ。

TOKIO・国分太一さん、ブラザートムさん、ガチャピン&ムック(当時ポンキッキーズ21に出演中だったため)、少年隊・植草克秀さんと、それぞれからメッセージが贈られる。

 

それに続いて会場にはガチャピン&ムックが駆けつけ、観に来ていたカミセンが国分さんからのバースデーケーキ(井ノ原さんの名前より国分さんの名前のほうが大きく入っている、しかも井"ノ"原ではなく井"が"原になっていた)を運び込む。

 

と、こうまとめるととてもスムーズな流れに見えるのだが、実際はこんな段取りなど知らなかった井ノ原さんは前半にかなりやらかしていた。

誰も触れないので自分で誕生日の話題に触れたり、まだ出てくるタイミングではなかったカミセンを無理やりステージに呼び込んだり。

段取りが狂ってしまいステージ上のメンバー同士で「どうする?」とコソコソ話が展開されるくらいには予想外の空回りっぷりを見せていた。

 

今だったらおそらくこんなことはしないだろうが、当時の井ノ原さんを思い返すと「あ〜いかにもやりそう…」と納得する。というか実際にやっているのだが。

 

そんな井ノ原さんはガチャピン・ムックが駆けつけた時点で「来るなら言ってよー!」と号泣。

 

ケーキを運び入れ、会場全体でハッピーバースデーを歌いカミセンからはそれぞれお祝いのコメント。

 

以下カミセンのコメントについては「NATURAL」さんより引用させていただく。

森田 

VTR(のみんなからのメッセージ)とか見てもわかるけど、皆さんから愛されてるなぁ…って。これからも愛される、そしてみんなに笑顔を振りまく優しい俺の兄貴みたいな存在でいてくれたら、と思います。

三宅

泣いてる井ノ原くん見るとこっちまでウルウルしちゃってんだけど、いつも井ノ原くんがふざけてバカなことやってくれたりすると、悲しいこととか、何かツラかったりとかしてもどっかに吹っ飛んじゃう。ホントにいつも笑顔にさせてくれて井ノ原くんには感謝してます。いつもありがとう。

岡田

大好きなイノッチ。ここにいる皆さんもそうだと思いますけど、僕らも含め、ここにいる皆さんがイノッチの笑顔でいろんな力を貰っていることを忘れないでください。たまには、ツラいときとか寂しいとき悲しいときいろいろあると思うんですけど、そういうときは僕らも含め、皆さんにも甘えたり悲しい顔を見せても、僕らはそういうイノッチも好きなんで、これからも大好きなイノッチでいてください。

コメントをもらう際、森田さんとハグ、三宅さんともハグ、握手だけで済まそうとした岡田さんとも結局ハグ、という流れも今より若いこの頃の関係性が出ていて懐かしい。

 

坂本さん、森田さん、三宅さんは号泣する井ノ原さんにもらい泣き。

井ノ原さんは自分からもらい泣きをしているその様子を見て「もらい泣きしている姿にもらい泣き」現象を起こしさらに号泣。

森田さんからの「兄貴」や岡田さんの「大好きな」は特に涙腺を刺激したらしく、もちろん今この文章を打っている私の涙腺だって刺激されている。

 

井ノ原さんの号泣は静かに泣くタイプではなく、表情をゆがませ顔を涙でグシャグシャにして泣くほうのタイプである。

 

「27年前の今日生まれただけなのに」

「生まれてきてよかったよ」

と語ったというこの日のエピソードが、私は大好きだ。

生まれただけなのに、という言葉を選ぶあたりがとても井ノ原さんらしい。

 

昨年は20周年の節目で「トニセンとカミセンの橋渡しをしたのは井ノ原さんだ」という話題をよく耳にした。間に入りコミュニケーションを円滑にし、バランスを取っていたと。

 

そんな構図がもたらした関係性が顕著に表れていたのが、この2003年井ノ原さん27歳のお誕生日会のくだりだったのかもしれない。

 

お兄さん方に見守られ下3人も駆けつけ、そこまで泣くかというほど泣いてしまった井ノ原さん。

そういう6人の構図に「こういうところが好きなんだよー!!!」と当時改めて思ったものだ。

 

 

最近の井ノ原さんのMCっぷりを見ていると、昔とは少し変わったなあと思う。

例えばコンサートのMCで、もし誰かあまり喋らない人がいたとする。 

昔の井ノ原さんなら、

「なんだよぉ!なんでお前喋らないんだよ!もっと来いよ〜〜!!!」

と言いそうだ。

思い切りふところに飛び込んで行って半ば無理やり引っ張ってくるようなイメージ、だろうか。

 

とにかく熱くて、熱すぎてたまにウザいくらい。

喋りすぎて他担から「イノッチ喋りすぎ…」と思われてしまったり。

事実めちゃくちゃ喋っていたのでそう思われてしまうのも無理はないのだが。

ハイテンションは時に空回り、そんな井ノ原さんを見ているのも好きだった。

 

昨年のコンサートパンフレットで、長野さんから井ノ原さんへのコメントはこんな内容だった。

長い付き合いですけど、最近はみんなの潤滑油になってくれることが多くて、すごくありがたいです。昔の井ノ原は潤滑油というより"かき回す"ほうだったから、余計に。(笑)

 

 

今の井ノ原さんが同じ状況で話を振るのなら、

「僕は〜〜だと思うんだけど、◯◯はどう?」

というような振り方をするのではないか。 

無理やり手を引いて引っ張り出すのではなくて、相手の意見をまず聞きながら無理のないようにそっと手を差し伸べるようなイメージだ。

 

熱いことをあえて伝える、その中にも優しさはあった。

言いづらいことであっても思ったことは伝える。そこにはものすごくエネルギーを使うし、思っているからこそぶつけたくなる。

「本気で怒ってくれる人」は、「本気で心配してくれている人」だったりするものだ。

 

今の井ノ原さんの優しさはと言うと、とんでもなく優しい。

めちゃくちゃ優しい。わかりやすいくらい優しい。

 

昔とは少しかたちを変えた今の優しさは、周りの人も優しい気持ちにさせてしまうような「伝染する優しさ」だと思っている。

 

 

そんな姿を見ていて私はたまに戸惑う。

 

ハイテンションなとこ、ウザいとこ、空回りするとこ、調子に乗るとこ…と書き挙げていたら「なんかこういうの最近見たぞ………西野カナの新曲やないか!!!あなたの好きなところ - 西野カナ - 歌詞 : 歌ネット)」と気づいてしまい、我ながらものすごく恥ずかしいことをしている気分になってきた。

…とにかくそういう長野さんの言うところの「かき回す」ようなところ。

そういう部分が大好きだった私は、たまに今の井ノ原さんの様子に戸惑ってしまうことがあるのだ。

 

だからこそトニセンで出演しているラジオの中で、「あさイチ」で見せる顔とは違ったふよふよと定まらないような思いつきのでまかせ発言を連発しているところを目の当たりにすると「これこれ!待ってました!」とばかりに猛烈にテンションが上がってしまう。

 

どうやら私はまだまだ井ノ原さんにウザく居てほしいらしい。

最近はめっきりそんな場面も減ったが、たまには全力で愛のある「ウゼええええ!」の言葉を投げかけたい。この場合の「ウザい」は「=好き」、だ。

 

 

と、そんなことをこの2016年5月17日にしみじみ考えながら過去の楽曲を聴き返していた。

 

V6には膨大な数の楽曲がある。

その中でも井ノ原さんのソロ曲をはじめ、彼がメインである曲を中心に聴き返していた。その中には長い間聴いていなかった曲もあった。

 

最近は聴き込めば聴きこむほど感情が揺さぶられて疲れてしまうので、用法用量を守りながら粛々と服用させていただいている。

 

今日久々に、本当に申し訳なくなるほど久々に「I・N・O=NUT KID」という井ノ原さんのソロ曲を聴いた。

どれくらい久々かといえばどんな曲だったか軽く忘れてしまっていたほど、だ。

 

この曲が収録されたアルバムが発売されたのは2007年9月のこと。

今から9年前、井ノ原さん31歳の頃に作詞・作曲したものである。

 

大人になっても 空回りの日々を

余儀なく過ごしていくとして

型にはまるのは よろしくないから 心してまた明日

(「I・N・O=NUT KID」/井ノ原快彦 ソロ曲」

 

昔は空回りしていたなぁ〜…なんて思い返していたところに不意打ちでこの歌詞が飛び込んできたのでうっかり出先で泣きそうになってしまった。

 

「空回りすること」はあの頃の井ノ原さんのアイデンティティーのようなもので、それを背負っていくことを前提としているような歌詞。

うまく言葉でまとめられないが、今の井ノ原さんを形作ってきた過去の中に確実にあの頃の空回りも生きてきているような気がして、それを超えてきた上の40歳なのだということをずっしりと感じた。

 

 

来月発売されるV6のシングルに収録されるトニセン曲のタイトルは「不惑」。

Beautiful World

Beautiful World

 

 歌詞を見てみなければどの程度リンクしているかわからないが、トニセンが全員40代に突入するこのタイミングでのこのタイトルは偶然ではないだろう。

 

不惑というのは40歳の異名であり、由来となる言葉は孔子が晩年に自らを振り返って言った言葉の中の「四十にして惑わず」。

意味は「人は四十歳に達すれば自らの生き方についてあれこれ迷わない」ということ。

 

ちなみにこの孔子の言葉、全文は

吾、十五にして学に志す。

三十にして立つ。

四十にして惑わず。

五十にして天命を知る。

六十にして耳順う。

七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。

15歳で自分の求める分野での学を志し、30歳で自立し、40歳で迷いがなくなる。50歳で天から与えられた使命を知る。60歳で素直に人の言葉に耳を傾けられるようになり、70歳で思うままに生きても道から外れるようなことはなくなった(悟った)。

 

 

40歳になった井ノ原さんが見せる「不惑」は一体どんなものなのだろう?

 

もう生き方をあれこれ迷うような年齢でもないのかもしれないが、型にははまるのはよろしくはないのでどうかこれからもたまには調子に乗ってあほなことをしでかしてほしいものである。

 

とにもかくにも、井ノ原さんハッピーバースデー!!

素敵な四十になればいいと願うばかりだ。

  

イノなき

イノなき