私が「アイドルの結婚」として一番いろんなことを考えたのは井ノ原さんが結婚した時だった。
独身の井ノ原快彦で無くなってからかれこれもう9年近くになる。
もはや既婚者であること、お子さんがいらっしゃることが当たり前に感じられてしまうくらいには時間が経った。
ファン目線であの一連の流れを見ていた中で感じたことも色々とあった。
今回はその時のことをまとめながら、「アイドルの結婚」について改めて考えてみる。
井ノ原さんの熱愛から結婚までの流れ
瀬戸朝香さんとの熱愛が報道され、交際宣言をしたのは2005年4月のことだった。
この時の流れは以前まとめた。
井ノ原さんが29歳の時の出来事である。
そしてここから約2年半後の2007年9月28日、井ノ原さんはコンサートツアー初日にファンの前で結婚を発表する。その後2ショットで記者会見にのぞんだ。
その時の一問一答では、なれそめや結婚への経緯をしっかりと語っている。
プロポーズから1年をかけて結婚に向けて準備。
さらにこの記者会見の準備も1ヶ月前から進めていた。
翌日のコンサートでは、無事入籍を済ませたことを報告。
記者会見の内容などからお二人の結婚までの経緯をまとめるとこうなる。
(98年に交際発覚・その後破局)
※2年半ほどお付合いしたあと5年ほど離れていた
2004年クリスマス 再会
2005年 4月 1日 フライデーで熱愛記事が掲載される
2005年 4月 5日 井ノ原さんがエッセイ出版イベントで正式に交際宣言
2006年9月11日 プロポーズ
2006年年末 メンバーに報告
2007年9月28日 コンサートで結婚発表、その後TBSで記者会見
2007年9月29日 入籍したことをコンサートで報告
2007年10月1日 ファンクラブ会員への結婚報告ハガキ発送
2007年10月16日 「学校へ行こう!」内で結婚発表に密着した映像が放送
こうしてなれそめを軽く一覧にできてしまうほど本人の口からきっちり様々な経緯について言及されている。
2005年に熱愛報道が出た時、井ノ原さんはそれをすぐに肯定した。
それは自身のエッセイの出版イベントが行われた場でのことで、当然ファンと触れ合う場での話である。
「幸せです。それをファンの方に一番に知らせたかった。僕は誠実に生きているつもり。ウソ偽りなくラブソングを歌うので、ウソをつくと説得力がなくなってくる。」
何よりもファンを大事にしての熱愛宣言だ。
(スポーツ報知/2005年4月6日)
2007年、コンサートでの結婚発表について記者会見で聞かれた井ノ原さんはこんなふうに答えている。
【コンサートの初日でファンに1番に報告したのはどういう気持ち?】
井ノ原:まずは、デビュー当時から支えてくれたファンのみなさんに1番に報告したいというのを事務所、メンバー、彼女に伝えたら「それが1番いいよ」と賛成してくれたので、今日は勇気を出して報告してきた。【感極まって泣いたそうですが?】
井ノ原:そうですねー。泣きました。(メンバーでは)三宅が泣いてました。すごく会場が温かかった。「おめでとう」よりも「ありがとう」と言われた。今まであんな歓声聞いたことないくらい盛り上がった。V6のファンは世界一でした。【ファンに結婚を報告する怖さはなかった?】
井ノ原:怖さより不安が多かった。ずっと見守ってくれる温かいファンなので、心配させちゃうんじゃないかというのはあった。みんな笑顔でいてくれて、本当に嬉しかった。
井ノ原さんの結婚への道のりで、何を優先していたかといえば「ファンへの報告」だ。
目次
- 井ノ原さんの熱愛から結婚までの流れ
- 目次
- 当時の私の心境
- アイドルの「誠意」はどうあるべきなんだろうか?
- ファンは「どこまで」知りたいのか、見たいのか?
- 井ノ原さんから届いた結婚報告の手紙
- ここにいる、ってどういうこと?
当時の私の心境
私自身が「井ノ原さんがコンサートで結婚発表をした」という一報を受けたのが何の媒体だったのかはっきりとは覚えていない。
だがおそらくインターネットを介して、きっとコンサート初日がどんな感じだったのかを調べていて出会った情報だったのではないかと思う。
コンサートが終わった直後に2人揃って結婚記者会見をし、はじめてその映像が届けられたのは同日夜ののNEWS ZEROだった。
この時の私の感覚はというと、もう心の中ではやしたてるばかりだった。
さらりと自然にエスコートするその姿に「ヒューゥ!」と思ったし、デレデレな井ノ原さんを見てニヤニヤしていた。それはもう心の底から祝っていた。
当時わたしが綴った文章には、おめでとうの言葉に次いで「とにかくニヤけが止まらない」と書いてあった。
アイドルの結婚に対して嬉しさのあまり夜中にニヤニヤが止まらないなんてなんとも気味の悪いヤツである。読み返してわりとゾッとした。
他に書いてあったのは「まさかイノなき(ジャニーズウェブ内で当時井ノ原さんが毎日綴っていたエッセイ)で結婚発表のコメントを見る日が来るなんて」という驚き、感慨深さ。
そしてそれと共に自分が抱いていた感情の本質をやんわりと、でも素直に書いていた。
「簡単には結婚できないだろう現状の中で、結婚に踏み切った心意気が素晴らしいと思う」。
これは井ノ原さんの人間性に感動したから書いた言葉だった。
でもその直後にこんな文章を添えていた。
(「ジャニーズ」として「アイドル」として正しかったかはまた別のお話なんだろうけども…)
そう、それなのだ。
私はあの時、ニヤけが止まらなくて困るくらいには嬉しかった。
でもひとしきり喜んだ後、少しずつ湧き上がってきたのはなんとも言えないモヤモヤだった。
アイドルの「誠意」はどうあるべきなんだろうか?
思えば熱愛報道から交際宣言にいたった経緯を見ても、井ノ原さんははじめから「隠す」ということをしなかった。
ご自身が雑誌で連載していたエッセイでは交際が発覚する2年ほど前に「アイドルの恋愛問題」というタイトルでこんなことを書いていた。
僕らだって恋をすればワクワクするし、楽しく仕事ができるという気持ちは変わらない。ただ、「仕事がおろそかになったね」って言われるのはダメだと思うんです。「恋愛したから、もう芝居は見ない」じゃなくて、「演技がうまいから、あの人の芝居を見たい」と言われたい。
だから一番嫌なのは「恋愛して芝居がダメになっちゃったね」って言われること。「恋愛してイメージがおかしくなったね」って言われるのもいけませんが、明らかにマイナスに影響しているのがバレちゃうのは男としてかなり考えものです。僕らは特に恋愛と仕事が直結してとらえられがちなので、いざとなったときでも、はねのけられるくらいの実力をつけておく必要があります。
(「アイドル武者修行」井ノ原快彦/P74,75)
アイドルだって恋愛をする。
そしてそれはどうしても仕事と直結して捉えられがちだということもも理解した上で、仕事をきっちりやる。恋愛がマイナスとして捉えられないように。
でも、もし人に聞かれても、はぐらかしたくはないです。はぐらかすってことは考えちゃってるってことだと思うし、考えるくらいなら本気じゃないと思うから。
(「アイドル武者修行」井ノ原快彦/P75)
本当に誠実でまっすぐでこれこそが井ノ原さんらしさだな、と思う。
でも、このまっすぐさは「アイドル」を職業として見た時にははたして正しいのだろうか?という疑問も抱く。
そもそも結婚発表の場として選んだのが「コンサートツアーの初日」だったこともおおいに賛否が分かれたところだ。
「あえて初日を選ぶ」。それはすごく勇気がいることで、私だったら絶対に選ばない。
それはファンの心理を考えたら云々なんていう気遣いからではなくて単純に怖いからだ。
「もしそこで受け入れてもらえなかったら?そこから始まる全国ツアーの先々で罵声を浴びることになったら?ファンが去ってしまったら?」…もしもの怖い話を想像すると恐ろしくてたまらない。
そこにはきっと彼なりの、彼らなりの、事務所なりの考えがあっての判断だったのだと思う。
ただ、ファンにとってその場は「楽しみにしていたコンサート」の場だ。
1年ぶりの待ちに待った例年通りのコンサートツアー。
V6 LIVE TOUR 2007 Voyager -僕と僕らのあしたへ- [DVD]
- 出版社/メーカー: エイベックス・エンタテインメント
- 発売日: 2008/02/13
- メディア: DVD
- クリック: 24回
- この商品を含むブログ (25件) を見る
その初日となればあえてそこを狙って足を運ぶ方もいるだろう。
これから全国を行脚していく、その第一歩目を新鮮な気持ちで楽しむために。まだ誰も見ていないコンサートをいち早く目撃するために。
そしてチケットを購入した時点では「お客」としてのファンは「未婚の井ノ原さん」にお金を払っているわけで、「未婚の井ノ原さんがいるV6」を見に来る予定だった。そこに対してチケット代を払っていた。
そのタイミングでまさか「誠心誠意を尽くした結婚発表」が待ち受けているなんて、誰が想像できただろうか。
余談ではあるが、実はこの井ノ原さんの結婚と時期を同じくして私が好きなアーティストの結婚が続いた。
それも「この人たちはまだ結婚しないだろうなー」と思っていた男性ばかりで、井ノ原さんの結婚を皮切りに1年程度の間に計4人もご結婚された。謎の結婚ラッシュ到来である。
中でもスキマスイッチの大橋卓弥さんは、井ノ原さんが結婚発表・会見を開いたその直後、日付が変わってすぐ公式サイトに結婚の報告が掲載された。
たった数時間のあいだに結婚報告が2件。好きな芸能人にご祝儀を渡す制度がなくて本当によかった。
それぞれ結婚発表の仕方も違い、4者4様だった。
ファンの前で結婚発表をし記者会見をし、翌日に入籍した方。
ホームページに直筆の文章が唐突に掲載された方。
ファンクラブの会報でひっそりとファンに向けて報告された方。
まさかの交際3カ月で女優さんを射止めて結婚しホームページで発表、翌日のワイドショーはその話題で持ちきりだった方。
ちなみに私は全部ニヤニヤしていた。
好きな芸能人の結婚に耐えうるメンタルを持ち合わせていないタイプの人間だったら、この期間は暗黒の時代と化していたはずだ。
パターンは違えどとりあえず4人ともファンに向けて報告をした。
でもファンを前にして、自分の口から発表したのは井ノ原さんだけである。
話を戻すが、私は井ノ原さんが結婚してから約1ヶ月後のコンサートに参加した。
1年ぶりのツアー。1年ぶりに見るV6。
1年ぶりに見たら既婚者になっていた井ノ原さん。
もちろんコンサート内容としては例年と同じようにV6がV6として歌って踊って喋る楽しいものだった。
ただやっぱりいざ本人を目の前にして「結婚した」という事実が一瞬も頭をよぎらなかった方は少なかっただろう。
私にいたっては先に書いた通り結婚の発表があった時点でニヤけが止まらなかった類のファンだったため、やっぱり生で井ノ原さんを見ても「新婚さんだー!!」とあらためて思った。「家に帰ったら嫁がいるんだろうなあ!幸せいっぱいかコノヤロー!おめでとう!」、なんて思っていた。
この時点ですでに、表面上は何も変わっていなくても少し何かが変わってしまったのかな、とぼんやり感じたところはあった。
ファンは「どこまで」知りたいのか、見たいのか?
ファンが求める「熱愛が発覚してしまった時の対応」って一体なんなんだろうか。
最近もちらほらと熱愛報道が続いていてそんなことを考えてしまった。
報道を受けてファンがどんな反応をしているんだろうかと少しネットの海を漂うだけで、そこにはえげつない世界が広がっていたりする。
情報の信ぴょう性を探るべくあらゆる特定作業が進められていたり、その上でおそろしい呪いの言葉のような恨みつらみが並べられていたり。
すごいなあ、こわいなあ…とそれを眺めながらふと思ったのだ。
じゃあファンは一体どこまで見たいのだろう?と。
何をどうすれば満足するのだろう?と。
そもそも報道が出ないのが一番良い。
それは恋愛をするなということではなくて、できれば見つからないように上手くやってくれたらありがたいなあ…という意味である。
でも「それ」はいつでも突然に降りかかってくる。
そしてなんだかよくわからないが、そこまでアイドルを恋愛対象として見ていなかったはずの人間の心にまでも暗い影を落としたりする。
10代半ばの頃の私の日記には「今年ショックだったことベスト3」なるイタいランキングが書かれていて、その中に「第2位・フライデー」とスキャンダルが堂々ランクインしていた。
お前相当イタイやつやんけ。でも確かにそんな時代もあった。
よくわからないが「は〜あ…」と天を仰ぎながらため息をつきたくなるあの感じ。
ヤダヤダ〜!!!というわけではなくて、これからどうなるんだろう…人気大丈夫かな…という謎の心配と不安を抱えていた。
実際にそれが真実だったとして、報道が出た時に芸能人が取る対処は大体相場が決まっている。
お付き合いを認めること。
否定してこっそりお付き合いを続けること。
否定して別れること。
黙秘すること。(何も言わないということはほぼ肯定)
どれを選ぶかは本人の意思だけでは決められないところもあるだろうし、今後の仕事や契約しているお仕事の状況も関わってくる。
果たしてどれが一番ファンから求められている対応なのだろうか。
どうすれば正解なのだろうか。
そもそも肯定してほしいのだろうか、否定してほしいのだろうか。
ずっと独り身でいてほしいのだろうか。
ファンというのはそもそも自分勝手なものだ。
勝手に好きになって、勝手に望んで、勝手にわかった気になって、勝手に失望して、勝手に好きじゃなくなったりする。
ファンの心理は、なかなかに複雑怪奇で難解だ。
結婚発表から半月ほど経った頃、「学校へ行こう!」の中で井ノ原さんの結婚にともなった特別企画が放送された。
そこでオンエアされたのは、コンサートでファンに結婚発表した際の映像。
そして「メンバーと奥さんのご対面」の様子である。
今考えるととんでもない企画だったなと思う。
コンサート終了後、TBSでの会見を終えた井ノ原さん・瀬戸さんはメンバーと対面する。
部屋に入ってきた2人を拍手しながら「お疲れ様でしたー」と迎えるメンバー。
井ノ原「あのー、改めて紹介します。僕の奥さんです。」
改めて映像を見返してみたがこの言葉のインパクトは凄まじい。
アイドルグループの一員が結婚し、メンバーに奥さんを紹介する。
こんな場面そうそう見られるものではない。
少し照れくさそうにしながら改めて奥さんを紹介する井ノ原さんと、その隣に自然に寄り添っている瀬戸さん。さらになんとも言えない嬉しそうな表情を見せるメンバーたち。
それを見た私がどんな感じだったのかといえば、お察しの通りだと思う。当然ニヤニヤしていた。
坂本「僕は初めましてですね!」
瀬戸「初めましてですね」
坂本「おめでとうございますー。
今日コンサート中に、ファンの皆さんに報告した時にファンのみんなから物凄い祝福の声があがって、僕らもビックリしたくらいの。
V6を代表しまして、こういう井ノ原ですけどもいつまでも末永く今以上に幸せになって下さい。」
井ノ原「はい」
瀬戸「ありがとうございます」
井ノ原「緊張したんだよね?大丈夫だよね?大丈夫だったでしょ?」
瀬戸「うん」
メンバー「(爆笑)」
坂本「(緊張してたのは)お前だろ!!(笑)」
見ながら書き起こしたはずなのに妄想を綴っているような気持ちになってしまったが、これらはすべて実際に交わされた会話である。
このVTRの最後はというと、メンバーから「岡田最後カメラに!」とカメラに向かって一言を要求された岡田さんが「主導権は嫁です」とオチをつけて終わる。
やっぱりどう考えてもこの映像は前代未聞だった。
今後ジャニーズ内やアイドル業界でこのような扱われ方をする方が続いて出てくる気が全くしない。
「ここまで見せてもらえた」ことを個人的には嬉しく思った。
だがきっとその一方で「ここまで見たくなかった」という方もいたのではないか。
私は結婚発表の場となったコンサート会場にいなかったので現場の様子は伝聞でしか知らない。
むやみやたらにあの場のムードを肯定するわけにもいかないし、かといって否定するわけにもいかない。
過剰に評価して持ち上げるのも違う気がする。
でも大げさに嘆くのもまた違う気がする。
ただわかるのはあの場がとても混沌とした状態だったんだろうな、ということだけだ。
受け入れられる人。受け入れられない人。
祝福する人。嬉しがる人。怒る人。悲しくなった人。
裏切られた気分になる人。応援する人。
擁護する人。心配する人。
捉え方はけっして1つだけではなく、そんな単純な話でもない。
とにかくもうそこに湧き上がる感情はいろいろで、私の中にあった感情が純粋な1つではなかったように心の中が混沌とした方もいるかもしれない。
井ノ原さんから届いた結婚報告の手紙
私自身が一番モヤッとしたのはファンクラブから届いた井ノ原さんの手紙だった。
直筆で丁寧に書かれた文章が印刷されたハガキである。
消印を見てみると10月1日になっているのでこの数日後に我が家に届いたのだろう。結婚発表があったのが9月28日、入籍したのが29日。
つまりこのハガキが発送された時点ですでに結婚は周知の事実になっていて、なんなら概要まで記者会見で知ったあとだった。
もうすでにこの「届いたタイミング」がなんとも微妙な空気を醸し出していた。
報告してくれるのは嬉しい。コピーとはいえ直筆だったのも嬉しい。
ただこれが当時傷心真っ只中であったファンにも届いたのかと思うといたたまれない気持ちになった。
私が一番引っかかったのは「みんなに祝福していただくことが僕の幸せ」、という内容の文面だった。
会場にいたすべての人が100%なんの淀みもなく手放しで結婚を祝えたわけではなかったように、これが届いたファンの中にもモヤモヤした方もいただろう。
そんな時期に「みんなに祝福していただくのが僕にとっての幸せ」という内容の文面が届いたらどんな気持ちになるのだろう。
祝福できなければファンである資格はないのかな、なんてこともぼんやりと考えてしまった。
きっと本意はそうではないだろう。
そんなことを言われているわけではない。はずだ。
400字ほどの手紙に込められていたのは、「ファンに一番に伝えたかった」ということ。
そして「自分は何も変わっていない」ということ。
「変わらずにいつでも”ここにいます”」という内容だった。
ここにいる、ってどういうこと?
あえて引用符で括られ強調された「”ここにいます”」。
これもこの手紙のなかではクセがあって、少し引っかかった部分だ。
正直言って「ここ」ってどこだ?と思った。
あえて引用符で切り離すくらいには重要で、きっとここが一番伝えたいことなのだろうな、というところまでは感じていたのだが当時の私には「ここ」がピンとこなかった。
改めて今一度それについてぐるぐると考え込んでみた。
ポジションなのか。
芸能界そのものなのか。
あなた(ファン)のそばということなのか。
それともV6というグループのことなのか。
そこまで考えて、はたと気付いた。
あったじゃないか。ここ1年の間に、「ここ」という言葉が織り込まれたメッセージ性の強いものが。
そう、昨年から今年にかけて散々泣かされた「~此処から~」だ。
感謝なんてしないけど
此処からいなくならないで
メンバー全員でそれぞれ歌詞を考えて、1曲として井ノ原さんがまとめあげたこの楽曲。
タイトルにもなっている「〜此処から〜」という言葉。
この「感謝なんてしないけど」の対となっている「感謝なんてしたくない」は三宅さんが出した言葉なのだ。
つまり井ノ原さんはおそらく、三宅さんのアイデアをうまく転換し森田さんの出した「いなくならないでね」に繋げている。
井ノ原さんのこの抜群の発想力から「〜此処から〜」は生まれているのだ。タイトルにするほどなので本人も手応えがあったのではないだろうか。
以前私はこう書いた。
三宅さんの書いた「感謝なんてしたくない」、
森田さんの書いた「いなくならないでね」。
これをうまく繋ぐ言葉としての「此処から」なのだと思っていたのだが、もしかすると井ノ原さんにとっての「ここ」は実はとても意味のある言葉なのかもしれない。
「〜此処から〜」というタイトルについても、少し引っかかっていた。
今更になるのだがタイトルをはじめて目にした時に「なぜ"此処"が漢字?」と思った。
小難しい内容なのかなーと思いきや、歌詞を読んでみると実にシンプル。
だからこそ余計に「なぜ漢字に?かっこつけたの??」と思った。
結局そりゃあかっこつける時もあるさアイドルだもの…という生暖かい目で見守り、単に字面だけの問題かなと処理していた。
「此処」という漢字は、とても目を引く。
これがもし「〜ここから〜」だったらどうだっただろう。
なんとなく間延びして見えると同時に「ここ」という位置は強調されない。
あくまでそこにあるのは「ここから」というひとつながりの言葉だけだ。
じゃあ、もし「〜ココから〜」だったとしたらどうか。
「ココ」がなんとも意味深である。なんだか複数の意味をはらんでいそうだ。
下手すると「個々」なんて捉えられかねない。それはそれでなんかかっこいいが。
でも20周年にお互いに向けて、グループとしての感情を乗せるにはそぐわない気がする。
では、「〜此処から〜」にした理由はなんなんだろうか。
もしかすると、この「此処」という言葉こそが強調すべき重要なポイントなのではないか。
今思えば、井ノ原さんの手紙にあった、いつでも"ここにいます"というのは、そういうことなのかもしれない。
「"ここ"って、どこ?」とモヤモヤしていたあの日の自分の疑問に、ようやく答えをもらえたような気がしてしまった。
いつもと変わらない場所。自分の基準になるところ。
今も昔も変わらずに、「ここ」と呼べる現在地。
それは誰か1人でも欠けると成り立たなくて、変わってしまえば「ここ」ではなくなってしまう。
自分の今いるこの場所を「ここ」と表現する。
それってもしかして井ノ原節のなかでは最上級の「大切な場所」の表現なのかもしれない。
大事なのは「今まで」や「これから」の話ではなくて、その中心に変わらずに据えることができる「ここ」にいること。
そう考えるとなんだか結婚の時に届いた手紙の井ノ原節にも、「〜此処から〜」というタイトルに私が抱いた微妙な違和感にも合点がいってしまった。
結婚してから井ノ原さんがまったく変わらなかったのかと言うとそうでもないな、と思う。
「ほんっとに!昔から変わらないな!!!」と少々語気を強めて思ってしまうほど、井ノ原さんの中のふざけ虫が大暴れし爆笑させられることもある。
でもやっぱりここ数年の「朝の顔」としてのイメージが定着した井ノ原さんは、変わらないけど変わったな、と思う。
でも確かに宣言した通り「ここ」にいるんだな、とつくづく思わされた。
アイドルの熱愛・結婚を目撃しながら応援していくことは、それなりにしんどい部分もある。
以前、某メンバーの熱愛報道が出た際に「どう思いますか?」という内容のコメントを丁寧な文章でいただいたことがある。
私個人はスキャンダル絡みの話に関してはとてもデリケートなお話だなと認識していて、目にするだけでも嫌悪感を抱く方もいらっしゃると思うのであまりがっつりとは触れないでおこうというスタンスでいる。
そのためにコメント自体は申し訳ないと思いながらも非公開にさせていただいたのだが、少しだけこの場でやんわりと返答させていただきたいなと思う。
(そもそもそこら辺のいちファンに過ぎない私の意見がはたして何かの参考になるのだろうか、と思いつつ…)
私にとってそういう局面に遭遇した時、一番大事なのは「ここにいてくれること」。
アイドルがアイドルとして仕事をしてくれている限りはきっと外的なものはあまり関係ない。
私は「見せてくれるもの」を全力で楽しんでいたいし、それをしっかり楽しめるファンでいたい。
我ながらヘドが出るほどの綺麗ごとだな!と思うが、キラキラした世界を見ている時くらいはそんな思考でいたっていいじゃないかと開き直っていたい。
対応の仕方やその後の身の振り方などを見ていて心配してしまうことは少なからずあるけれど、結局私が望んでいるのはそこなんだな、と今回考えていて気付かされてしまった。
あの頃はあまり理解できなかった井ノ原さんからの手紙も、今なら、少しくらい、ほんのちょっとなら理解できたかもしれない、ような気がするような、しないような。
「今ならわかるよイノッチの気持ち!」なんて言葉は、確証もないしおこがましいし何より恥ずかしくてのたうち回りたくなるので、絶対に言わない。