落ち着いた深い赤、からの何ひとつ無い白。そのあまりのコントラストに目が眩んだ。
受け取るまでのあれこれの話は後にするが、12月24日、岡田准一さんからの結婚報告のカードが届いた。
厳かであらたまったような細いフォントで綴られたメッセージとそこに添えられた「岡田准一」の署名にじっくり見入ってしまったせいもあって、カードを閉じて目にした真っ白な裏面が突き刺さるようにひどくまぶしく感じた。
「いや必死で観察しすぎか!」と思わず心の中でつっこみながら苦笑してしまったのだが、ただ眺めていただけなのになぜか目をやられたこの現象はなんだか今回の発表の一連に通じるところがあるような気もして、妙に腑に落ちたような不思議な感覚になりながらカードを封筒に仕舞った。
なにはさておき、先ずはこの言葉から始めておきたい。
岡田准一さん、宮﨑あおいさん、ご結婚おめでとうございます。
このブログでV6の結婚発表についての記事を書くのは3回目になる。
V6からは3人目となる既婚アイドルの爆誕。それも3人ともお相手は女優さん。外側から見れば「ファンだって結婚に耐性もあるだろう、慣れただろう」と思われるかもしれないが、3人分を目の当たりにしてきたからこそ「こうも毎回違うものか」と驚いている。同じことのようで同じだったことなんて無い。
今回の私はというと、とにかく「よりにもよって!?」の連続だった。
よりにもよって、配達指定が12月24日のクリスマスイブ。
よりにもよって、それが間違って2日前に一部の方に配達されてしまうという痛恨のミス。
よりにもよって、その方がツイッターに現物の画像を上げてしまった。
あえてポップな表現をすることは現状この界隈に漂っている複雑な空気にはそぐわないかもしれない。
しかしそれでもいろんなあれこれを総合して私が最初に抱いた感想が、よりにもよって「オーマイガッ!」という陳腐なカタカナ英語であったことをお伝えせねばならないことを恥じる。
しっかりとした言葉を羅列することで感情を整理するにはまだ早く、だがとんでもないことが起き、とんでもない騒ぎになろうとしていた。そんなタイミングで私に浮かんだのはただただ「オーマイガッ!」という純粋に衝撃のみを表せるカタカナだった。
カタカナ英語にするだけで物事が少しポップになる。こういう手法どこかで見たことがあるな、と思ったらルー大柴さんだった。
まさに寝耳にウォーター、藪からスティック、一部ファンの逆鱗にタッチしてしまうような出来事で、反応は十人テンカラー。どうにかこうにかレイン降ってグランド固まるのを願うしかない……と、ルー師匠の楽しいお言葉たちを引用させていただいたところで私の力量では使いこなせそうもない。
検索したらルー師匠の語録を見つけたのだがすごく元気になれたので、なんか元気が出ないという方にはぜひそちらをおすすめしたい。
12月22日の誤配騒動に始まってもう1週間経ったのだが、時間が経つほどになかなか拗れたややこしい話になってきているような気もする。
本人からの報告メッセージ、報道で語られるアレコレ、またファン目線での様々な感想や世間の反応、そういう情報が混じり合った結果「岡田准一さんの結婚」から「岡田准一さんの人間性」や「アイドルとしてどうなの?」といった論点にもなり、とにかくざわついている。
はてなブログでもすでに多くの方が感情を文章にしている。今回は特に数が多く、読めば読むほど十人テン…十人十色なのだと感じる。
悲しみも喜びも目にした。
悲しみの中に喜びも持っている方もいれば、喜びの中にモヤモヤを抱える方もいる。力一杯喜ぶ方もいれば、絶望に打ちひしがれる方もいる。残る方がいて、去る方がいる。
目をつぶって今だけ耐える方もいれば、一時的に距離を置く方もいれば、二度と戻らない方もいれば、戻ってくる方もいるかもしれない。未来は誰にもわからない。
そういう中で、言ってみればかなり後出しなこのタイミングで文章を載せるということは、もしかすると「この人はどの派閥?」だとか「どこに属するの?」という目線から読み始められてしまうのではないか。
なんだか「お前の意見はどっちだ!?さあさあ!」と言われているような妙な空気を察知したような気になってしまって、正直結構おびえている。
この件を境に武器を持っていないのに意思を問わずして一方的にどこかの戦いの場に上げられてしまうのではないかという気さえしてきた。
今回のことは、能天気なことを言っても不謹慎かもしれないし、祝いの節目にふさわしく無いことを書くのも不謹慎かもしれないし、中立を気取るのも不謹慎かもしれないし、祝っても不謹慎かもしれないし、祝わなくても不謹慎かもしれないし、ちゃんとした言葉で書かないと不謹慎かもしれないし、泣いても笑っても喜んでも悲しんでも、立っても座っても不謹慎かもしれない。
そもそも不謹慎とは何だという話なのだが、それくらいの感覚である。
とにかくどの位置に立ってもなんとなくしっくりこないような、居心地が悪いような気がするのは、いろんな意見を目にしすぎたせいだろうか。
「結婚発表」が及ぼす混乱の中で、私自身もいろんなことを一気に考えると収拾がつかなくなりなんとなく陰鬱とした気持ちになるのだが、改めて1つずつ整理しておきたい。
今の私はというと、ハチャメチャに浮かれているわけでもなければ深刻に落ち込んでいるわけでもない。でも既婚者が3人いるアイドルグループのファンをするのは初めてで、既婚者という肩書きを手にした岡田准一さんをまだ見ていないわけで、その辺はやはりというか、戸惑っている。
絶対に書いておかなければいけないわけではないけれどこの話をスルーして次は書けまい。どう書くのが適切なのかわからないが、今回のことで思ったことをできるだけ粛々と綴りたい。
ということでお時間がある方はトゥギャザーしてくださればと思う。
あまり言うと押し付けがましく逆に嘘くさくもなってしまうのだが、くれぐれもお伝えしたいのは浮かれてもないし落ちているわけでもないのだ。
決して、まったくふざけているわけではないけどちょっとポップに行きたいな、というテンションになっているのは、結婚どうこうではなくネット上のこの空気に辟易しているからなのだろう。
目次
- 目次
- 12月22日(金)の誤配、23日(土)の報道
- 12月24日にファンに報告する、ということ
- 「"私"の中の岡田准一」はそれぞれで違う、ということ
- 私の中の感情と現状でのふわふわした結論のようなもの
12月22日(金)の誤配、23日(土)の報道
私がこの件を知ったのは、毎年恒例のミュージックステーションクリスマスSPが放送されている時間帯のことだった。
ここ最近の放送時間が長い音楽特番ではタイムテーブルが出されることが多い。にも関わらず一切事前にタイムテーブルを出さないMステさん。強い。
そんな姿勢に翻弄されながらも楽しんでいたところ、どこからどうたどったのか忘れてしまったがツイッター界がざわつき始めていることに気付き、例の、郵送物の現物画像にたどり着く。
「いやいやいやいや…えっ?えっ?」と混乱する。
さすがに「12月24日」という配達指定日には荒天のきざししか感じられない。
数日経った今「12月24日に発表」ということの是非をじっくり考えたりもする。が、結局はこの時この瞬間、反射的に「アカーーーーーン!!!!!」と思ったテンションこそが、私の持ち合わせている感覚のすべてなのだと思う。それはまた後述するとして。
「これは…荒れるぞ…」と思いながら今夜は震えて眠るしかない。逆にその日がくるまで、といっても2日ほどのほんのわずかな時間しかないが、嵐の前の静けさくらいの猶予はあるだろう。まずは落ち着こう。
ところが少し経ってからもう一度そのツイートを確認してみるとものすごい勢いで拡散されていた。
ここでまず小ぶりな「オーマイガッ!」である。
そういう状況で、MステSPでこの日一番楽しみにしていたPerfumeの出番が来た。
いつ見ても美しい。彼女たちが音楽番組に出演する際ツイッターでトレンドワード上位に食い込むことも多いのだが、おそらくは概ね良い評判で話題に上がっているのだろうと思うと、何度見ても嬉しいものである。
そんな中、ヤツは怒涛の勢いで駆け上がってきていた。
広まってしまうにはまだ早い招かれざる客。
そう、「岡田くん結婚」というワードである。
好きなもの同士がトレンド上位で隣り合わせ。普段なら「ああ良いもの見させてもらったなあ」とほのぼのとしてしまう嬉しい話なのだが、今回ばかりは違う。
まだお呼びでないのでもうちょっとだけ、あと2日ほど席を外していただけまいか。頼む。
中くらいの「オーマイガッ!」 な状況だった。
深夜には「岡田くん結婚」はトレンドワード2位まで上昇。
そこまでしか私は確認していないがMステの放送中から深夜にかけて1位はずっと「#Mステ」だった。そのおかげでかろうじて2位にいた、という印象だ。1位も2位も大差ないが。
一部の方のツイートから始まりフライングとなってしまった「岡田さんの結婚」は、翌23日朝にはテレビでも話題になっていた。
大「オーマイガッ!」 である。
この日は奇しくも土曜日で、関西ではジャニーズ好きでおなじみの芸能レポーター・駒井さんが生放送に出演する曜日だった。このタイミングで駒井さんが関西にいらっしゃることになんとなく得したような気持ちになりながら、その発言が気になりチェックする。
出勤前の慌ただしいタイミングだったので言葉尻まではっきりとは覚えていないのだが、やはり「24日」というところに言及があり「28日まで待てばワイドショーでの報道を避けられたので29日発表にしたほうがよかったかな」といった旨のお話をしておられた。その言葉に「ですよね…」と心の中で頷きながら出勤した。
(ただ29日に入籍していたとしても長野さん(11月29日)・井ノ原さん(9月29日)と同じ日付での入籍になるため、それもまたひとつのXデー的トラウマを生み出しかねない、とは思った。)
12月24日にファンに報告する、ということ
さて、いよいよクリスマスイブである。
我が家に例のカードが届いたのは少し遅いタイミング、陽も沈んで辺りは暗くなった頃で雨まで降り出していた。
届くまでの間に不安になり、2日前に届いた家があるのなら逆に24日中に届かないパターンもあるのではないか、あるいは私は岡田准一が結婚しない世界へ迷い込んでしまったのではないか、もしくは……全部私の…妄想…?くらいまで思考を巡らせてしまった。
業務とはいえ日曜、それも雨の中配達してくれた郵便屋さんには若干の申し訳なさを感じる。
噂通り、一部界隈では「赤紙」という異名まで生んだ真っ赤な封筒。
おさめられたカードのオモテ面は白を基調に、クリスマスリースを思わせる円状のフレームがあしらわれていた。これは確かに、何も知らずに受け取っていたらクリスマスカードだと思ったはずだ。
そしてこの記事の冒頭に戻る。
厳かであらたまったような細いフォントで綴られたメッセージとそこに添えられた「岡田准一」の署名にじっくり見入ってしまったせいもあって、カードを閉じて目にした真っ白な裏面が突き刺さるようにひどくまぶしく感じた。
「いや必死で観察しすぎか!」と思わず心の中でつっこみながら苦笑してしまったのだが、ただ眺めていただけなのになぜか目をやられたこの現象はなんだか今回の発表の一連に通じるところがあるような気もして、妙に腑に落ちたような不思議な感覚になりながらカードを封筒に仕舞った。
手元に来るまで待ち時間が長かったこともあり、オモテ面の装飾が凝っていたこともあり、「裏面にも何かあるのでは?」と思ってしまった結果、どアップで真っ白な裏面と向き合って目をやられる始末。
このカードにはお相手のお名前や入籍日は記載されていなかったが、そちらはマスコミ報道により明らかになった。
それによると入籍日は12月23日だそうで、 より一層「なぜ24日にクリスマス仕様のようなかたちでカードを送付したのか?」という思いは強まる。
「クリスマスイブに結婚発表のカードを送った」ということ。今回はまずこの件がとにかく波紋を呼んだ。
私の感覚としてはもう「アカーーーーーン!!!!!」と「よりにもよって!!」と「オーマイガッ!」だったわけなのだが、これは「岡田さんの結婚」に対してというよりは「今後訪れるアレコレを危惧する感情」が先走っていたように思う。
結婚に関してはおめでたい話だと思う。いよいよ来たかという感じでもあったし、ついにカミセンから既婚者が…という感慨深さもあった。
しかし、それにしたって、クリスマスイブ。
年間を通して考えても数少ないような世間がそれ一色に染まるイベント。それもその風潮によりどうしても恋人や家族の存在を連想させやすいイベント。街はどこか浮かれた気配を想像させる。
そこに日付を、さらには仕様を合わせてきたことに対する衝撃は大きい。
会費を支払いながらファンクラブに所属し応援しているファンに対して、真っ先に結婚を知らせること。それ自体の判断は決して悪いことではなくむしろ配慮のある措置になるはずが、こんなに残酷に見えてしまう。
どういった経緯で何を優先した結果この形になったのかはわからないが、配慮がないと取られても仕方ないと思えるくらいとにかく「クリスマス」と「結婚発表」の相性が悪すぎた。
ファンが「結婚に対して思うこと」はそれこそ十人十色で、それなりに肯定なり否定なりのニュアンスを心に抱えているのだろう。
問題はそれを抱えてこれから継続してファンをやっていけるかという心の整理であり、その答えは自分の中にしかない。
それを追求していくと、どうしても「ファンとしてのスタンス」や「ファンでいることの動機」であったり、ひいては「求めているものは何なのか?」という部分と向き合うことになる。
そういった部分を大きく揺るがす引き金になったのは、「結婚」ということよりは「12月24日」のように感じるのだ。
「結婚」というプライベートな一面には線を引いて割り切れたとしても、「発表」はファンに向けられた一面で、だからこそその行動の意味を重く受け止めてしまう。
「発表」は活動のひとつだ。
「"私"の中の岡田准一」はそれぞれで違う、ということ
岡田さん個人での活動はというと、すっかり俳優業が主軸となっている。
そんな中でファンは彼をどういう目線で見ているのだろう。これもまた複雑かつ微妙なところだと常々感じている。
「俳優さんがアイドルして踊ってる!」と感じる方もいるだろうし「アイドルなのに演技が上手い!」と感じる方もいるかもしれない。主軸をどこに感じようとも、あるいはその軸が都度変わって見えても、どれも間違いではないのだろう。
アイドル1年生とも言える初々しい時代から見てきた人もいれば、俳優・岡田准一からファンになった方もいるだろう。ファンとして積み重ねてきた時間の長さや入り口がどこかによってもかなり違うのではないか。
そして現状ではそれぞれの目から見た「岡田准一」に、「結婚」「12月24日」がその最終形として、あるいは集大成とも言える結びつき方をしてしまう。
先日ジブリの立体建造物展を見たのだが、そこに展示されていた文章の1つ…ジブリ作品に登場する建造物への解釈なのだがそれが強く印象に残った。
おおまかに言うと「自分の周りにある変わらないものを見ることによって、変わらない自分を確認する」というような話だ。
変化していく世界の中に昔から知る変わらないものが存在し続けていることで、自分という存在も過去から連続性のあるものだ、と確認する。
懐かしいと感じる中にそういった心の安定を覚える。だから、懐かしい風景や景色にひかれるのだと。
朝目が覚めて、昨日と変わらない部屋の様子は昨日と今日の連続性を無意識的に感じさせている。
よく知っているようで決して知人ではない岡田准一さんの個人的な人生の節目は、芸能界に身を置いているからこそこうして公表される。
結婚というのは、「芸能人としてファンに世間によく知られている有名な岡田准一さん」と「華やかな世界に身を置きながらも普通に生活を営んでいる岡田准一さん」の連続性をはっきりと認識する、せざるをえない数少ないタイミングだ。
私たちがそれぞれに思う「いつもの」岡田さんにそういった連続性を持たせた時、受け入れられる人と受け入れられない人が出てくる。
残る人と去る人の差はその違いであって、だからこそこれは単に「結婚した」ということへの是非だけではないのだろう。
通常この連続性を受け入れることは強制ではない。
仕事は仕事でプライベートはプライベートと分けて考え割り切って応援できるならそれでいいのだが、直後の今はどうしてもそこに連続性を見出そうとしてしまう。一挙一動、一言一句に、あるいはその隙間に、意識的にも無意識的にもそれを探してしまう。どうしてもその連続性の中に、すべての答えがあると思ってしまう。
真意は岡田さんの中にしかなく、私たちの感覚や予想、推理はあくまで個人の感想だ。どれも正解と言えるし、あるいはどれも不正解なのだろう。
どこかの誰かに答え合わせをしてもらえば◯か×をつけてくれるかもしれないし、かろうじて△で部分点がもらえるかもしれない。でもひょっとして、そもそも正しいだとか間違っているだとか、そういう次元の話でもないのかも。
導き出した感情が、これまで連続して抱いていた想いをプツリと切ってしまう。
その途絶える瞬間はあまりにもせつなく、だからこそこの界隈で見かける「ファンを辞める」ことを切々と語る文章は誰かの心をしめつけるのだろう。
その悲しみを他に言い換えることは決してできないが、見慣れた街の風景が崩される時ひどく感傷的な気持ちになった時のような、何年も通った校舎にもう来ることはないのだなと思いながら教室を出る卒業の日のような、そんな思いを抱える。
私の中の感情と現状でのふわふわした結論のようなもの
そんなことをここ数日で考えながら、結局のところ自分自身の感情はどこにあるのかと探ってきた。
結論としては、これまでと変わらない。
というよりまだよくわかっていないのだ。だからこそこれからどうなっていくのか、その姿を見たいと思う。
私はとにかく「V6の岡田准一さん」が好きだ、ということはあえてはっきり述べておきたい。メンバーの誰かを抜きにしてV6は成り立たない。だからといって無理やり6人を揃えて並べられたとしても、それを成り立っているとは思えない。ような気がする。
スッキリ書き切ったのでもう触れることはないと思っていたのだが、岡田さんがアイドルとして反抗期を迎えていた頃の私の感情はこういったものだった。昨年書いた記事より。
そんな岡田さんを見ていた私の感想は「俳優という道を極める岡田准一」ではなかったのだと、今更ながら思う。
「岡田の反抗期」を体感して私が抱いていた感情は、きっと「アイドル業をおろそかにする岡田准一」、だった。
今だからこそそう解釈できるが、当時はそんな余裕は無かった。
というよりその感情を認めたくなかったのではないかと思う。
この感情を経て距離を置きまた戻って来ることになった経緯がある。
それは間違いなく近年の岡田さん含むV6に魅力を感じたからなのだが、だからこそ戻って来るには相当な熱量が必要で、当時の感情を整理することが必要だった。そういう部分をまとめながらブログに書いているうちに何かと覚悟も伴ったのだと思う。今回のことで動揺しつつもそんなに軸がブレない理由はおそらくそこにある。
V6は今年デビュー22周年を迎えた。
めでたい・ありがたいと思いながらこれからもずっと続いてほしいと思う一方で、アイドルの寿命が延びることで足枷になりうる部分もあるのだろうな、とも思う。個人としてしっかりそれぞれの場所で活躍している姿を目にしていればなおさらだ。
それでも結局は、個人としても応援しているとはいえV6として揃ってアイドルしている時がいちばん好きなのだ。それは17年前から一貫している。余談にはなるが「箱推し」なり「グループ担」なりという言葉でグループそのものが好きという感情が概ね肯定的に捉えられている現在は生きやすく、幸せだなと思う。
これからも6人で隣に並びながらアイドルとしてファンの前に立つ岡田さんを見たいし、アイドルな面を持ちながら俳優として、俳優な面を持ちながらアイドルとして活動してほしいと思う。
12月24日…今回においては情報漏洩が22日、入籍が23日、カード送付が24日とばらつきはあるとは思うのだが、とにかくそのタイミングでこの界隈は結婚前/結婚後で分断され、空気が変わってしまった。
ように感じる。
はっきりと輪郭を捉えていないふわふわとしたものを、「変わった」と判断するのは自分の感覚でしかない。そしてそれは変わっていないことまで変わったように感じさせる。いかに自分の世界が、自分の感覚をもとに形成されているのかを思い知る。
岡田さんは、時に「よりにもよって」な行動や言葉のチョイスで私をざわつかせる。ざわつかせるといっても感情が乱され心に波風が立った状態というより、何人かが口々にお喋りをしてざわめきが起こっているような、そういうものである。
岡田さんからの結婚についての報告の文面にも、正直なところそんなざわめきを起こさせる類の表現もあった。
表に出す部分、見える部分だけでそこにあるすべての感情を正確には判断できない。それでもそういうところから物事は判断されいろんな解釈を生む。この時私の中に起こったざわつきは多分、文面から感じた岡田さんの「V6・ファン」への距離感から来たものだと思う。
24日、結婚が正式に報道されたると同時に森田さん・三宅さんからのコメントが発表された。
森田剛「ご結婚おめでとうございます。心から祝福したいと思います。どうか末永くお幸せに」
三宅健「V6の末っ子にこんな日が来るなんて想像もしなかったです。とても嬉しく、また頼もしく思います。家族思いの岡田。きっと、守るべき者が出来たことで更に強く優しい男になるんだと思います。22年間たくさんの人に愛されて、支えられてきた僕たちですから、これからも感謝の気持ちを忘れずに一緒に歩んでいきましょう。本当におめでとうございます!」
岡田准一&宮崎あおい結婚発表に、三宅健「V6の末っ子にこんな日が来るなんて」、森田剛「心から祝福したい」即コメント発表 : スポーツ報知
森田さんらしい簡潔な言葉と、それと対象的に少々長めの文章で届けられた三宅さんらしい祝辞。
グループのファンとしては、この言葉でようやくひとつにまとまったような、そんな気さえした。個人でも活躍しそれぞれが1人で立てる彼らがあえてグループとして存在する中で欠けたピースを補うような瞬間があることは救いでもある。
三宅さんのコメントは、V6としてのこれまでとこの先の未来、岡田さんの結婚前の姿と結婚後の姿とを「変わらないもの」としてつなげるもののように感じた。当人に向けてのコメントながら、動揺が生まれるであろうファンにも向けられているようにも感じられる。
事実私が今回の報道の最中一番ホッとしたのはこのコメントを読んだ瞬間で、先にも書いた「連続性」についての話のとおり、「変わらないもの」が感じられたことで心が安定したのだろう。
長くなってしまったが、そういうところを信じながら私は今後とも変わらないスタンスで彼らを応援していこうという結論にいたった。
いろいろな意見を目にする中、いろいろな答えを導き出す方がいる中で、私の軸はそこに置く。ただそれだけの話だ。それ以上でも以下でもない。
これを結論としておくのはなんだかズレているような気もするのだが、書き始めた時からなんとなくしっくりきていないのだから何を書いてもどこか違う気がするのは仕方が無い。
ただ、しっかりと言葉にすることでどっしりと構えられるような、そんな気はしている。
2017年、V6はグループとしての活動も多くかなり充実した年になったのだが、まさかその締めくくりが岡田さんの結婚になるとは。まったく想定外の1年の締めである。
変わることと変わらないことの中で、2018年は果たしてどんな年になるのだろう。
道中で楽しく嬉しく笑えるような話題とたくさん出会える一年になればいいなと願うばかりである。
また、ここまで約10,000字あったというのに最後まで目を通してくださった方に対しては2018年がなんかちょっとイイことある一年になることを願わずにはいられない。特に効果があるとは思えないがとにかく願う。
自分の目線・感覚から決められる「変わる/変わらない」の判断。そこから生まれるいろいろな感情。
それによって物事を必要以上に歪めて見てしまわないように、あるいはそれを誰かに押し付けることのないようにしながら、来年も慎重にいろんな物事を見つめていきたい。