2021年11月1日、V6が解散した。
ファンになった頃にちょうど日記を書くことがブームだった私は、とにかくV6がかっこよく、かわいく、渋く(当時年上男性を褒める語彙をこれしか持ち合わせておらず連呼していた)、いかに好きかをとんでもない熱量で書き記す。
「ファンをやります」と自分の中での開会宣言のようなものを執り行い、言葉にすることでもっと好きになった。
今もこうしてブログを持っていて、思えば文章にすることと共にあったファン活動だと思う。
やっぱり書かなければ始まらないのだ。
いや、終わったのだけれど。
…いや、終わったのか?
いつか解散する日が来るかもしれないということを考えたことはあっても、解散した日のことを綴る自分はまったく想像していなかったな、とふと思う。
天変地異のごとく恐れていた「解散」が訪れた後の世界。
解散コンサートで本人自ら「俺たち解散するの初めてだからさぁ!」と言っていた。
「初めての解散」をしたV6と、「初めて解散するV6」を見た私たち。その初めてについて書いてみる。
目次
数字を背負う男たち
V6の活動は26年にも及んだ。
昨年デビュー25周年を迎え、全国ツアーを考えていたもののコロナ禍により叶わず配信ライブという形をとり、その中で節目を祝ったのが昨年のこと。
区切りをつけると言うなら「25」の方がキリが良かったのでは無いか。
意図的に狙ったのかたまたまタイミングが重なったのかはわからない。それでも「26」という一見区切りが良くなさそうなこの年数をまた新たな節目にする、そんなV6が好きだなと思う。
結局のところ、V6は「6」に終始するグループだった。
私がファンになった頃は5周年を迎える直前の頃だった。
その頃雑誌などを見て、5周年というのはひとつの区切りなのだな、と知った。
ファンになりたての私は活動期間の長さについての価値観がよくわかっていなかったが、アイドルである彼らの寿命は限られている、と感じていた。
年数は言わばその寿命のカウントダウンのように感じられた。とにかく解散が怖かった。
今にして考えれば信じられないことだが、5周年には「5年、キリがいい、解散したらどうしよう」と思っていた。
キリのいい数字が怖かった。綺麗に終わらせるには都合が良すぎて。
「それぞれ」を歌う曲が怖かった。いつかメンバーがそれぞれ別々の道に進む時におあつらえ向きな歌になりそうで。
ついでに言うとV6は何度かベストアルバムを発売しているが、発売が嬉しい反面怖かった。まとめられたら終わってしまいそうで。
5周年の節目が過ぎた翌年、今度は6周年がやってきた。
赤いバラを敷き詰め「6」を形取ったオブジェと並んで写っていた雑誌の写真が印象に残っている。
去年も5周年を祝っていたのに、6周年もこんな大きく祝うんだ、と思った。
グループ名に「6」と付いていれば6周年も節目になるよなと納得しつつ、2年連続でのお祝いに単純に「なんだか祝う回数が多いグループだな」とも思った。
そうか、この人たちは数字を背負った人たちなんだ。
2年連続して祝ったことで「6」という数字の特別感をより強く感じた。私自身なにか数字を選ぶ時には6を優先するようになった。
でもその一方で数字を背負うということの怖さも感じた。それは単純に、誰か1人でも欠ければグループ名そのものが矛盾してしまうからだ。
6人いるからV6。
6人いなければV6ではない。
がむしゃらに6人揃って歌い、踊り、バラエティ番組に出て楽しそうにしているグループを見ていると「6人でいる」ことこそV6であり続けられる条件なのかなと感じた。
そんなグループでの活動をしながら、並行してそれぞれの場所で個人活動も増えていく。
それもまた「解散するかも」のフィルターを通せば独り立ちへの準備にも思えてくる。
ソロ仕事メデタイ、嬉シイ、デモ怖イ。ここまで来るとほとんど病気である。私はその頃の自分を「解散したらどうしよう病」の人だと認定している。
グループを好きであればあるほど解散が怖いし、崩れてしまうことをおそれる。
V6というグループの存続は1人でできることではなくて、6人が6人ともそれを選択してくれなければ成り立たなかった。
お互いが背負い合う。お互いが守る。
それが当たり前に続いた26年という年月は間違いなく奇跡だった。
1人1人がそれぞれに実力をつけ、もはや一緒にいなくても仕事はできる。
そんな中でも6人集まって「6分の1」に徹する時間をよしとしてくれたことが嬉しかった。
自分がスポットライトを浴びるだけではなく、誰かがスポットライトを浴びる中で影になる時間も大事にしてくれる。それはたぶん「俺が!」が強い集まりであればできなかっただろう。
誰か一人に照明を当てて際立たせる演出があったとする。その一人以外はぼんやりとしか見えない影だ。その影すら、一人一人が持つポテンシャルを考え、影に徹している・徹することができる人なのだと思うと最高にかっこいい。
そうして影に徹していた一人がいざ光となる瞬間は、とんでもなく眩い。息を飲む。
さらに6人同等に並び揃って照明を浴びれば、それはもう大集結の感がある。
6人揃えば、1×6。
でも私は「6分の1」であり続けてくれたことが何よりも嬉しかった。
他の5人がいるからこそできる世界。6人のうちの1人として。
この6人以外では成り立たないもの、この6人でなければできないこと。
V6としての活動を終える11月1日、私が見たのはまさしくそれだった。
綺麗な形で箱にしまう、ということ
解散を発表してすぐ、三宅さんはラジオで思いを語ってくれた。
自分自身まだ解散するという実感は湧かない中、舞台公演のため地方へ向かう新幹線に乗る。
なるべく発表後のファンの声を聞いてから自分の声を届けたいとその道中でラジオ宛に届いたメールを読みながら、涙が止まらなくなり号泣してしまった。
自分自身も泣いてしまったように我慢をしないでね、と声をかけながら、それでも前を向けるように続けてくれた言葉の中で印象に残ったものがあった。
ジャニーさんが作ってくれたこのグループが本当に僕は大好きだし、1人も欠ける事なく25周年を迎えられたっていうのは、ジャニーさんにとっても喜んでもらえてるのかなーと思えたりもして、もちろん30年40年続いてったらそんなに幸せなことはないとは思いますけども、みんながヨボヨボになってまでやってることが、果たして良いことなのかと思ったりもするし、ジャニーさんが作ってくれたものを一番綺麗な形で大切な箱にしまえるのかもしれないなーと思ったりもしたり…。
6人でデビューした当時のことも思い出すし、それこそ、その前のジュニア時代のことも思い出すし、いろんなことが走馬灯のように巡る日々ですけど。25年でどれだけの人に出会ってきたのかなーって事を考えると、四半世紀V6をやってこれたっていうのは、自分にとっては誇りだと思っています。
(「三宅健のラヂオ」/2021年3月15日放送)
「一番綺麗な形で大切な箱にしまう」。
納得せざるをえない言葉選びだった。
だって、今のV6が大好きだから。
まだまだ続けられる。もっともっとすごいものが見られる。
続いてほしい。もっともっと見ていたい。
でも、今のV6最高だな!!!!!!とも思っている。
これを完結とするのであれば私も完結させないといけない、という気持ちにさせられた。
綺麗に想いを整えて、すっきりしっかり大事に大事に上等な箱にしまわないといけない。そりゃあもう重厚な。とてつもなく最高級の。煌びやかな。一回しまったらそんなに頻繁には開けないタイプの、厳重なやつ。そういうイメージだった。
私にとっても最高の締めくくりにしなければいけない。
それに向けて整えることが、11月1日までにやらなければいけないこと。
そういう気持ちになったからか、特に解散直前の頃の焦燥感はとてつもなかった。
体調的にはこのコロナ禍の中でも元気に過ごしている。この調子で万全のコンディションで解散の日を迎えられそうだなと安心していたら解散数日前から体調が悪くなり、自分でもびっくりした。
解散、泣くだろうな。
目、腫れるかな?
…なぜだろう、顔が痛くなり解散翌日には目ではなく顔が腫れていた。
えっ、推しの解散ってこんなことなるん???
爆笑すると痛いのである。これが本当の、笑えない……いや言うてる場合か!と泣きそうになりながら思った。
数年後には笑い話になるだろう…いや、もう今の時点で結構なおもしろ事件だと思っている。
顔が痛いとは???
解散前日、「あ、V6明日でいなくなる…」と考えた時、あ、吐くかもと思った。
深く考えると過呼吸になりそうでなるべく重く考えないようにした。
顔も痛いし。
途中経過では、自分は案外解散に強い体なのだなと思っていた。
「なんかこう、推しの解散っちゅうのはもうちょっと体に影響出らんもんかね?」と。なんならいたって健康体を維持する自分は薄情なのではないかとさえ思っていた。
今後もし「推しの解散」に直面される方がいらっしゃるのなら、どうか最後まで油断せず健やかにその日を迎えていただきたい。急激にとんでもないことが起こったりもする。
…いや、解散に強い体ってなに?
今がいちばんであること。26年という瞬間。
V6はその日を迎えるまで「今」にこだわったものを作りつづけた。
解散を2ヶ月後に控えたタイミングでのオリジナルアルバムはシングル曲の収録はなく全てが新曲。ラストツアーもそのアルバムの収録曲のほぼ全てを披露した。
最後の、となればセットリストのすべてを既存曲で埋め尽くしその歴史をみんなで懐かしむ、それに終始するコンサートだって全然アリだ。
でもそれはやらない。あくまで今のV6がつくる、最新の作品を見せ続ける。
「#今がいちばんであること」。
公式アカウントから発信されたこのハッシュタグは、まさに”最新が最高”を更新し続けるV6にふさわしい。感情が昂ぶった時にはこの言葉がよぎった。
現在進行形でその瞬間、V6史上一番の出来を届け続ける。
今がいちばんである、その姿勢をリアルタイムで体感できた自分は幸せだ。
でもそれを掲げて走り切ったという事実はきっと、未来でも尊い。もしかすると時間が経てば経つほどもっと凄いことだと実感できるのではないか。
「#26年という瞬間」。
V6最後のベストアルバムに添えられたこの言葉。駆け抜けた永い日々を儚い一瞬の煌めきとしてまとめて表現したもの、とするのもとても美しい。
ただ、「今がいちばんである」その姿勢を併せて考えるのなら、とてもではないがその軌跡を「一瞬」とは思えない自分もいる。
一瞬一瞬どう向き合ってきたか。一つ一つ考えて作ってきたもの。
あまりにも膨大な「一瞬」の積み重ねを、26年。
ファンでなければこのベストアルバムも1アーティストの1作品に過ぎないかもしれない。
でもファンからすればそれだけではない。
今振り返れば「この時はこういう時期だったね」とまとめられもする。
しかしその瞬間には、こういう時期にしよう、と決まっていたわけではない。一つ一つを重ね進み続けてたどりついたのが「今」である。
完成形が見えない中でもがきながら、その都度「今」と向き合うこと。それを諦めずずっと続けてくれた。
出来上がってしまえば途中経過のことはあまり記憶に残らないかもしれない。でもその全てにメンバーの、スタッフの時間と手間がかかって生まれてくる。1曲1曲にそんな歴史がある。
そうして生まれてきた楽曲が400曲以上あり、その中から選曲されたベストアルバムと考えれば、その重さたるや。
私の手元にはまだ届いていないが、自分の名前を入れられるスペシャル盤というものも発売した。
そちらは収録内容に感ずる歴史の重みだけでなく、物理的にも重いらしい。新生児並の重さと伝え聞くそれを心して受け取ろうと思っている。
V6が存在したのは、何十年も経ってみればほんの一瞬だった、と感じられるかもしれない。
「あー、いたよねそんなグループ」と思われる時代も来るのかもしれない。
でもひたむきに26年間一瞬一瞬向き合って届けてくれた、それを喜んで受け取る人がいた。
そういう時間があって場所があってそんな瞬間を何千何万、もっともっと繰り返してきた。それが26年、四半世紀強。
たぶん「一番綺麗な形で大切な箱にしまう」ということの指す意味合いは、終わらせる、ということではない。
その切り取った瞬間を愛しく思い胸の中にあるそれを大切にする力を強く持ち、ずっとずっと大事に抱えていく、ということなのかもしれないと、解散した今そう感じている。
「鏡」
25周年にファンに向けて歌われた新曲「クリア」。
自分は見えない だけど君の目の中に 写る輝きが鏡
何度も繰り返される、サビの歌詞だ。
相手の中に自分を見る。それは、ファンが望んでくれるからここにいる、と感謝を伝えてくれるV6と重なった。
自分自身のことはわからないが、私が思い描く「ファン」が推しに向ける視線はキラキラしている。
たとえばその眼差しを向けられる本人が「これって意味があるの?」と思うことも、「好き!すごい!もっと見たい!」が伝われば、それは意味があるものになる。
こちらが好きでいることや肯定していること、それを自分の意味や価値として受け止める。自分ではわからない自分の姿と向き合う。アイドルでいるということは、そういう気付きの連続なのかもしれない。
V6を応援することで、V6が必要だよ、と伝わっていたらいいな。
6人が揃うことがこんなにも意味があって、何にも代えがたいことだよ。
それが伝わったような気がした25周年の配信ライブだったが、その頃には解散は既定ルート上にあったのだと思うと胸が痛くなる。
スタッフが企画してくれたサプライズでは、ファンがそれぞれに動画を送りそれをひとつにしてV6へのありがとうとこれからも応援しています、という声を届けた。
メンバーは目を潤ませ、黙る。
一言ずつコメントしながら、感極まる。
その当時は感動しつつも「な、泣かんでも…ええやん…」とも思った。好きな子をうっかり泣かせてしまった小学生男子みたいだが、V6がそんなリアクションをするとはまったく思ってもみなかったのだ。
だって、まだ25周年だから。これから30年でも40年でも続いていくと思っていたから。
解散発表の後、すぐにこの時の様子を思い出した。
そりゃああのリアクションにもなる。解散を発表する4ヶ月前だ。
ファンやスタッフから曇りのなき未来への期待を浴びせられたV6のことを考える。それは相当しんどかったのではないかと思えて、本当に胸が痛くなった。
あの時しんみりと言葉少なになってしまったV6は、不器用というか、優しい人たちだと心底思う。
ヘラヘラ笑って誤魔化してもいいのに真正面から向き合ってその時の精一杯を返してくれた。どうかあの優しい人たちが罪悪感など抱えていませんように、と願った。
もちろんそれはスタッフさんに対しても同じである。
度々企画を準備してくれるエイベックスの中の人、ファンクラブの中の人。おそらくはワクワクしながら考え実行に移しみんなを先導し手間をかけてまとめ準備してくれる公式さんにはずっと感謝しかなかった。おそらく事情を把握されていなかったのだろうな…と心底信じられる程度には。
あの瞬間の感動、後に察した時の悲痛さ、そしてじわじわ襲い来る「やってもた…」の気持ち。まったく誰も悪くなくむしろそこには愛しかない。
メンバー・スタッフ・ファンの関係性が見えるが、きっとお互いにあの時のことを擦り合わせることはないだろう。めちゃくちゃ切ないのになぜか相手のことをもっと大好きに思える。
そしてV6最後の新曲となったのは、解散コンサートの直後にファンクラブ会員向けの有料コンテンツとして配信された作品「WANDERER」内の1曲だった。
先に書いた「クリア」の中でいちばん印象的だった言葉がそのタイトルになっていることがわかった瞬間、涙が止まらなくなってしまった。
タイトルは「鏡」。
鏡も全部はうつせない 僕らは僕らに出会えない
だから人は誰かの中に自分を探して生きて行くのさ
鏡に心はうつらない 涙じゃ本音を描けない
だから人は誰かの目に自分を見つけて愛を知るのさ
誰かの中に、自分を見つける。
自分の知らない、自分ではわからない自分の魅力を知る。
それはたとえば、
坂本さんがわりと苦手なことも多くヘタレなところやいじられしろのある愛くるしい最年長者であったり、長野さんが鋭く狙って面白いことを全力でやりめちゃくちゃいい笑顔を見せることであったり、井ノ原さんがスタイルがよくスカートみたいなヒラヒラ付きの舞台映えするザ・衣装が抜群に似合うことだったり、森田さんのワードセンスが天才的で尖ったワードをこんなにも柔らかく爆発的な面白に変換できることであったり、三宅さんがファンのためにと実行に移す一つ一つが当たり前ではなくそこに惜しみない想像力と努力を注げることがすでに才能であったり、岡田さんが最後まで新しいV6を探し続けプロデュースに熱意を注ぐその姿こそがそもそもとても尊いことであったり、する。
たぶんV6も知らないV6のいいところ、V6が何気なくやっていたこと、本人すら覚えていない「大好き!」と言えるところを、私たちはいっぱい知っている。
この6人だから生まれるもの。1人欠けても成り立たないもの。
絶妙なバランスで発言の多い少ないに関わらずそこに6人がいるから生まれること。
空気。雰囲気。出来事。事件。楽しいノリ。変なノリ。グルーヴ。
振り返ればいつもにぎやかだった。いくつになってもくだらないことで笑っている。
V6をしての活動を終える頃、V6はオリーブの木を寄贈した。
僕たちに出来ること。
それは、未来のある子供たちに何かを残すことなのかもしれません。
どんな時も笑顔で、仲間と力を合わせ、負けない心を持って欲しい。
(中略)
ここに「平和、知恵、勝利」の象徴でもあるオリーブの木を「ブイロクの木」と名づけ、植樹させていただくこととなりました。
平和を願い、みんなの知恵を使って、起こりうるあらゆる困難に打ち勝つ精神を残したいと思います。
負けない、打ち勝つ。アジアでも度々公演をしていたV6の中国語名は「勝利6人組」だ。
一人ではなくだれかと協力しながら何かを成すこと。それをこんなにも体現して、その象徴のようなグループとして活動を終えられること。
こんなに美しい最後があるだろうか。
V6最後のテレビ出演となった「学校へ行こう!」。ここ数年に渡って年に一回ペースで放送されてきた「V6の愛なんだ」も含め、学生と触れあうV6はあたたかった。
ひとつひとつ音楽番組の最後の出演を繰り返していく度にその全部が美しく、時には目を潤ませるその表情にはV6自身のV6への想いが感じられた。
あまりにも美しく終わろうとしていた。
全部をやりきってしまう。綺麗に完結させてスッキリと次に行く。そういうことなのだろうか。
出せる限りを出し尽くして、やれる限りをやり尽くして、社会貢献もする。
あまりにも立派すぎるではないか。推しの最後として完璧すぎるではないか。誇りに思えすぎる。最高か。
中途半端に終わってほしいわけではない。でも完璧すぎる終わりも、それはそれで本当に「最終回」を感じてしまう。「大団円」、そんな言葉もよぎる。でも大団円なんて言ってしまったら本当に終わってしまう気がする。
そういう寂しさも抱きながら最後の映像作品の配信を見ていた。
繰り返し見られるわけではなくその時間だけ、遡って見ることもできないリアルタイムのみでしか見られない配信。収録されたものなのに、それを見ている自分はすごく「その場にいる」感覚になる。
キャリアのピークすら感じさせるようなダンスと映像美が続く。
始まれば終わる。20分程度とされていた作品だ。残り時間は終わりへのカウントダウンでもある。一曲一曲終わる度それをひしひしと感じていた。
次の瞬間、映像美の世界から一転してそこは学校の教室。机に座る自分の視点になった。
教室を見渡す私。窓の外を見る私。
VRのような視点で進むその映像は、ファンになりたての頃の自分、学生時代の自分に戻ったような気持ちにさせられた。
一瞬、「全部夢?」とも思った。V6が解散すること。V6が解散する日の自分。全部夢で、実はまだファンになりたての私なのではないか。今のV6も大好きだが、当時の自分の熱量を、全力で大好きだったことを思い出す。
やわらかく包み込んでくれるようなあたたかな新曲。
優しく穏やかな歌声が流れる中、教室を出た私は屋上へ駆け上がる。
いきなりの新曲、いきなりの学校、いきなりの自分視点。まったく展開が読めない。
屋上にいたのは、V6だった。
離れたところに6人いる。
それを見つけてしばらく見ているけれど、駆け寄るでもなくうつむく"私"。
また顔を上げると、結構な距離があるのに三宅さんが近付き"私"の手を引いて連れ出してくれる。5人も手を振りながら、数歩前に出て迎え入れてくれながら、笑って6人の輪の中に入れてくれる。
にこにこ楽しげにへらへらおどけながら。いつものV6、プラス、"私"。
自然と輪に入れてもらう、その視点を体感しながら、なんだか「V6というグループが好き」という気持ちを認めてもらえたような気持ちになった。
6人でいるのを見るのが、大好きだった。
そういえば、10周年で開催した握手会も個別ではなく「6人全員と」握手できる環境にこだわってくれた人たちだった。それがすごく嬉しかった。
じっくり目を合わせてくれた岡田さん。穏やかに微笑む長野さん。多分なんらかのノリでテンションを上げてまとまっていた井ノ原さん、森田さん、三宅さん。そして最後に、昼から夜まで握手しっぱなしだったからか、私がたどり着いた頃には完全に顔が死んでいた坂本さん。本気で心の底から頑張ってください…としか言えなかった。そんなことも思い出す。
この6人でいるから、V6。
でもそこにあたたかく迎え入れてくれる。
"私"の目線で見る姿は、各々の立ち振る舞いもよく知るV6そのものだった。
あまりにも仲良く、優しく、彼ららしく。平和で、笑顔で、あたたかく。
こんなにもウェルカムな姿勢で構ってくれるのに、視線は6人を見たまま、あとずさりするように遠ざかる"私"。そういう演出までもリアルで、既視感さえある。
ああもう、大好きだなあ。
そう思い知らされたところで視点が切り替わり、画面いっぱいの青空。
そこへこの歌詞がきて号泣してしまった。
君の優しさ 写す鏡に
その美しさ 写す鏡に
V6が6人としての引き際に伝えかったものと直面したようで、全部わかったような気がして、全部受け取れたような気がして涙が止まらなかった。
美しいグループとしての解散のかたち。
V6としての活動を全うする、その姿勢や熱量、涙、作品への情熱。それは決して綺麗に思い出にしようとしているわけでもなければ自己満足でもない。
誰かの中に、自分を見つける。
誰かを映し、それを伝える鏡になる。
自分が「そうある」ことで、相手に想いを伝える。
美しすぎる引き際を作り上げたその姿が、「鏡」であるなら。
V6が好きだということを全肯定してもらえたような、満点をもらったような、報われたような、なんともいえない気持ちで胸がいっぱいになった。
特にこの数ヶ月、ラストスパートを慌ただしく駆け抜ける彼らの活動の中に「応えたい」という想いが見えたような気がした。一つ一つ大事に受け取っていたつもりではあったけれど、本当にこの瞬間、それがハッキリと、クリアに捉えられたような気がしたのだ。
活動を終えるその瞬間も、V6は私が大好きなV6のままだった。
「6人で」を求める期待に応え続け、誰一人欠けさせずに「解散」を選ぶ。
終わってしまうのがこんなにも寂しい。
まだまだ続けられるポテンシャルはあるよ。
続けていてよ。
そう思うのと同じくらい、こんな形で終わらせられる、締めくくろうとするV6が大好きだ。
「解散」とは、
「解散」ってなんと恐ろしい字面なのだろう。自分の推しが直面して初めて思った。
解けて散るのだ。こんなにも「バラバラ」「別れ」な悲痛極まりない言葉があるか?もっとマイルドな言葉はないのか、別途用意してくれと本気で思った。
グループの解散ともなればそれぞれが別れ離れになり、これからはそうそう揃う姿も見られないだろう。だからこそこんなにも、あんなにも恐れていた。
森田さんはコンサートで「これでさよならじゃない」と言った。
満員の会場、たくさんのファン。隣にはメンバー。
そんな場所で坂本さんは「僕はまた新たな目標が見つかりました。今日この景色が最後ではなく、またこの景色を見るために頑張っていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。」と話した。
きっとこの先も支えてくれる大事な言葉だ。
11月1日が終わり日付が変わった、11月2日0時。
V6は活動を終え、ジャニーズのサイトからV6のページが消えた。メンバーはそれぞれのページに分かれて掲載され、森田さんはいなくなった。
それと時を同じくして三宅さん個人のラジオの生放送が始まった。
解散直後に率直な生の声を届けてくれるのはありがたい。でも同時に、あまりにも直後すぎて心配でもあった。
6人の中でも解散後初となる仕事だ。どんな雰囲気になるのか想像もつかないが、とりあえず大事な局面だというのは感じており聞く側とて緊張していた。これからの「個人」としての仕事のスタンスを感じ取る最初の場でもある。
放送が始まってほどなくして突然のインスタグラム開設。そのまま放送中に初めてのインスタライブ配信。SNSで個人アカウントを設けるというジャニーズでは一大事とされる事態にどよめく中、とんでもないことが起こった。
長野さんと井ノ原さんが、三宅さんのラジオに乱入し飛び入り出演したのだった。
日付で言えば解散翌日のことである。だが、解散してわずか20分後の出来事だ。
2人がやってきた瞬間に「あーーー!!!」と叫ぶ三宅さんの表情は嬉しそうで、ちょうどそのリアクションをインスタライブで見ることができた。
「片手に酒持ってる!(笑)」と指摘された井ノ原さん、「ティガだぞぉ」と名乗りながら登場した長野さん。
メディアで解散後はじめてメンバーが揃う場面なんてものは、もっと重大で、もっと改まっていて、あのV6のメンバーが共演!だとか、とてつもなく貴重な場面になる、そう思っていた。
ずっと遠い先の未来のお話かもしれないと思っていた。
わずか20分で実現した。
なんともまぁもったいぶらずに自然体でやってのける。
その上、数時間前のあの感動的なコンサートのそれぞれのスピーチをもういじる。
長野さんが一番うるうるしていたと指摘し、挨拶が長いと。長野さんが長かったせいであとに続くメンバーみんな長く喋ることになったと。
そんな爆速での解散いじり、ある???
実はあの場面で解散についてそれぞれ一言喋る予定はなかったこと。
毎公演一人だけ代表して喋る時間がある井ノ原さんはツアー中ずっと泣きそうになるのを堪えていたこと(という本人からの文句)。それに対して「こっちだってだよ!」と自分も泣きそうになっていたのを盾にすぐさま反論する三宅さん。
井ノ原さんは森田さんと別れ際に「大好きだよお前!ありがとねー!」と抱き合ってから場をあとにしたこと。
3人で話す2021年11月1日に起こったことは、どれも愛しい話ばかりだった。
ああ大丈夫だ、と思えた。
それはこの人たちの関係性は変わらないんだなということでもあり、私自身のことでもある。
解散する日、活動を終えるその瞬間を私はどう迎えるのだろうと思っていた。
そこにあるのは絶望感なのか喪失感なのか。無くなったものの重さに打ちひしがれているのか。大丈夫じゃないのではないか。
不安でしかなかったが、「あ、大丈夫だ」と、すとんと胸に落ちた。
解散を「死ぬわけじゃないから」と飾るでもなく言えて、「そう!」といつもの調子で答えられる。「生きてかなきゃいけないのよ、みんな」といたって明るくただの世間話のようにむしろ愚痴のニュアンスを含んで言えて、それを「あはは」と笑えて、「そ!」と軽やかに同意できる。
さらにこの飛び入り出演の経緯が後日明かされた。
本当は理想としては6人で生放送したかった三宅さん。(この時点で私たちが思う「解散」とはかなり違う)
でも0時で森田さんが退所するので出られないし、かといってV5で出るのもなぁ…と思っていた頃に、井ノ原さんに会話の流れでこの日このタイミングで生放送ラジオをやることを話していた。それに対して「俺次の日休みだもん、行くよ!」と言ってくれていた。
が、当日終演後コンサートに来てくれたジャニーズの先輩・後輩との懇親会が開かれることになり、ゲストをもてなすとなれば井ノ原さんは筆頭だ。それならやっぱりラジオは一人で、と三宅さんは先に会を抜け生放送へ。
「健、ひとりで大丈夫か?」と井ノ原さんからLINEもありつつ、大丈夫だよ、と返して放送がはじまった。
そんなやりとりをしつつも結局行っちゃう井ノ原さん。そして帰路が同じだったため一緒にいた長野さんも「俺も行くよ」と便乗しあの日の放送が実現したのだった。
この瞬間この場所に3人揃った、それだけではなく次はトニセンのラジオに三宅さんがゲストで出る約束もされた。おそらくは近い未来、V6の4人が揃う場が実現する。
解散翌日、映画の舞台挨拶に登壇した岡田さんは「V6」と刻まれた靴を履いていた。
それは中居正広さんからV6メンバーそれぞれに贈られたもの。片足には「V6」、片足には各メンバーごとに名前が刻まれている。
ちなみに中居さんは嵐には休止のタイミングに箸を贈っている。
靴も箸も2つで一つ、対でようやく意味をなす切っても切れないもの。そのプレゼントのハイセンスっぷりには感嘆しかない。
あの、反抗期もあった岡田さんが。
アイドルと呼ばれることに抵抗を感じたことすらあった岡田さんが。
V6でなくなった瞬間に「V6」を纏って俳優仕事の舞台に立っている。誰かにV6だと言われるよりも先に自らV6と自信を持って名乗るようなその行動に感動してしまった。
きっとこうやってこの先もグループを、自分がまっすぐに向き合ってきた歴史として、そして今がその延長線上にある自分だとして背負っていくんだろう。そういう未来が見えた。
解散後の世界では、解散前の話はあまりしてはいけない気がしていた。
解散してからもそれを望むのは、語るのは、押し付けになってしまわないか。求めてはいけないのではないか。そういう望む気持ちを終わりにしなければいけないのが「解散」ではないのか。
そんな思い出に触れる度に、悲しく寂しく暗い気持ちになってしまうのではないか。
解散コンサートが終わった瞬間、それはもう「終わったもの」としてメンバーの口から感想すら聞けないのではないか。
いろんなことが拍子抜けするくらいに杞憂に終わった。
ピリピリするでもなくいたって自然に、軽やかに彼らはそれを口にする。簡単に揃っちゃう。
ある意味のびのびとやれているってことなんだろうな、とも思えた。
自分たちの意思でわりとやりたいようにやれている。ように見える。
それは解散のタイミングについても同じに思えた。続けろと言われたわけでもなければ、終われと言われたわけでもないだろう。グループ活動のみに縛り付けられるわけでもなく、自分の、自分たちのペースを大事にしながら続けてきた永い時間。
そうして訪れてしまったタイミングが今だったのかなと、いろんなことを経て、あるいはV6から介護並みに手厚いケア…もとい供給を受けて、ようやくそう穏やかに思えるようになってきた。
終わらなければよかった。
続いてほしかった。
ずっと見ていたかった。
それはファンとして一生言うべきなのかもしれない。
推しに永遠を願うのは当然だ。だって大好きなんだから。
諦めても諦めきれないくらい大好きなのだから。
解散の半月前、V6からファンクラブ会員にお知らせが届いた。
それは会員限定でアクセスできる「世界」をつくる、という報告。
私たちはそこでこれまでにリリースした映像作品の数々、衣装展示(実際に展示されているかのようにぐるっと一周くまなく見られる)、岡田さんが撮影したメンバーの写真…などを見ることができる。
一人じゃないよ、一緒だよ。
そう誘われたその世界にはチャット機能こそない。でも「光のアバター」(ツイッターでは魂と呼ばれる結晶のような物体)となって移動でき、同じように集う魂を見て一人じゃないと実感できる。
V6最後の映像作品もこの場での公開だったのだが、とにかく私は、強く、こう感じた。
お金がめちゃくちゃかかっとる、と。
その世界の様相を描く一枚絵からして、感動する気持ちと共に頭の中でチャリーン、と響く。私たちが集う仮想空間、あまりにも壮大すぎない?
アプリをリリースしダウンロードするかたち。その開発。…チャリーン。
そしてさらに課金は必要ではあったがそこで公開された最新にして最後の映像作品。ゴリゴリのCG多用。最先端のそれはどう考えても…チャリーン。
何度もいうが、V6は11月1日をもって解散する。解散した。…と、されている。
「解散するまで」のことは考えていてもなかなか「解散したあと」の段取りまで考えてくれるパターンはないのではないか。
その日を境にはっきりとつながりを断つのではなく、まだまだ味わい続ける。過去の映像作品だけでも膨大な量を配信していて、さらに定期的に写真・衣装展示の入れ替え。
私たちはまだまだV6の世界の中にいる。
11月30日で終了してしまうこの仮想空間はこれから先への練習のようにも思えた。
みんなで集まって「V6」を見ることができなくなっても、この先はV6が作ってきた、残したものと共に生きていく。懐かしく思う人はその頃を振り返りながら。新しく触れる人はさらなる発見と出会いながら。
その体験の最初の一歩が、V-Landにはあるのではないか。
「解散」という終わりを迎えてなおこの手厚い扱いである。最初のうちは補助輪をつけてもらってなんとか走っているような感じかなあ、などと思っていたのだが、そろそろもうこれって介護では?と思い始めている。
V6のファンクラブ会員宛には、おそらく最後であろう贈り物として「家族写真」と称する6人揃ってフレームにおさまった大判の写真が届いた。
そして新たにトニセン・三宅さん・岡田さんとそれぞれ発足したファンクラブにおいては、連携してチケットや番協の申し込みを受け付けることも明らかになった。
トニセンのファンクラブに入っていれば三宅さん・岡田さんの分にも応募ができる。三宅さん・岡田さんも同様だ。その理由は「V6のメンバーだから」に尽きるだろう。
解散してなお、それぞれに動き出してなお、その繋がりはなくならない。
そこにもまた「V6が好き」というファンへの配慮が見えて、こういうことが実現できるんだなと驚いている。
現在三宅さんの舞台の申し込みが始まろうとしているが、トニセンのファンクラブではトニセンの写真の下に「三宅健主演」舞台のお知らせが、岡田さんのファンクラブでは岡田さんの写真の下に「三宅健主演」舞台のお知らせが、さも当然のごとく掲載されている。
普通に。しれっと。
V6も26年活動してきてはじめて向き合った「解散の方法」。
私たちは正しい解散の仕方も、正しいそれへの対応も知らない。
あったのは漠然とした不安感と、それをどうにか和らげたい、悲しくも寂しくもさせたくない、そういう誠意ある真心だった。
正解なんてわからない。でもかなり、思っていたのとは違った。
本日は最後の日で
君の隣踏んだステップ
愛しているなんてのは
嘘にしておくから
「95groove」/V6
解散コンサートの最後の1曲。
歌詞通り「最後の日」にメンバーの隣でステップを踏む姿は湿っぽさとは無縁だった。
愛しているのに嘘にしておく、はっきりと伝えない。でもそんな歌詞が完全に愛していると聞こえるのは、ここにたどり着くまでにたくさんの想いを感じたからだろう。
V6がファンを。ファンがV6を。
そして、V6がV6を。
いろんな場面でV6自身がV6を愛していることが感じられた。
惜しむ気持ちも、寂しい気持ちも、誇りに思う気持ちも。この6人だったからと思える気持ちも。大きな節目を迎える仲間を送り出す姿も。
私はそれを一番綺麗な形で、大切な箱にしまいたい。
本当の寂しさを感じるのはこれからかもしれない。
でも、予想外に軽やかに実現する「何か」もあるかもしれない。
すでに想像していた「解散」とはだいぶ違うのだから、これから先も「概念を取っ払ってやろう」なんて気負いもなく、彼ららしく、それぞれにいつもの調子で続いていくのだろう。
この先には一体何があるのだろうか。
これは、V6とファンにとっての「初めての解散」の話だ。