今日は2021年7月28日。
私の初めて行ったV6コンサートは2001年7月28日だ。
今日でちょうど丸20年が経った。
20年前に足を踏み入れたあの場所は、はじめて見るものばかりだった。
ステージにはテレビでしか見たことのない本物のV6がいる。
今のようにインターネットで動画を見る文化などはなかったから、動いている姿を見られるのはテレビかビデオ(ちょうどDVDへの移行期で、実際私が入手した最初の映像作品はビデオだった。時代…)だけだ。
ファンクラブに入ること。エンタメにまったく興味のない親にコンサートへ行く許可をもらうこと。チケットを申し込むこと。無事に当選して、そこから当日まで指折り数えて心待ちにしていたこと。
当日、はじめて大阪城ホールに行ったこと。
グッズの中から厳選してパンフレットと下敷きとうちわ1本だけを買ったこと。
夏休みに入りたてで宿題もほぼ手付かずの7月下旬。真夏の暑さの中、城ホール前の噴水周辺は見目的にも少しだけ涼しくて、そこでパンフレットを開封して読んだこと。
中学生のファンになりたて女子にとってはどの写真がイケてるとかじゃない。全部かっこいい。
パンフレットのあの手の紙が発するにおいは今も大好きだ。開演前のわくわくを思い出すから。
大好きだが少し緊張するにおいでもある。開演前の緊張感が蘇るから。
入場して、スタンドとアリーナの違いもわからず間違った席に座ったこと。
開演直前にそれに気付いて大慌てで移動したこと。
はじめて見るV6に感動したこと。
感動しすぎてしばらくロス状態になったこと。
コンサート当日まで指折り数えて待っていたのに、コンサートが終わった瞬間にはもう次の、まだ見ぬ未来のコンサートを心待ちにしていたこと。
そんな遠いような近いような記憶を抱えながら私は今日、初コン20周年を迎えた。
私は今V6の、「最後の」ツアーの当落待ちの最中にいる。
これが終われば「次のコンサート」はもう無い。
3月12日に発表されたV6解散の報告を、私は仕事中に見た。
「ファンの皆様へ大切なお知らせがあります。」という文面のファンクラブからのメールが届いたのは発表の約30分前。
この日は仕事がわりと忙しく、落ち着いた時にふと携帯をチェックした。ちょうどその時にメールが届いた。今思えばあまりにも出来すぎたタイミングだ。
それは16時に「大切なお知らせ」「ご報告」が公開されるという告知だった。
「大切なお知らせ」が吉報だったためしがない。
…というのは、いろんな界隈を眺め見ていての感想だ。
実際私は直属の推しからそれを受け取ったことはなかった。
少なくとも時間まで予告されて「あ、これマジで大切なお知らせだ、16時に集合しないとだめなやつだわ」と思わされたことはない。
そういう意味では本当に「大切」で、重大なことだということはよくわかった。
でもやっぱり「大切なお知らせ」の文面は滅んでほしいなと思う。
そこからの約30分は恐ろしく長く、仕事に戻ったところでいろんなことが頭の中をめぐる。正直仕事にならなかった。
この文面からして重大なことであることは間違いない。
「解散」という言葉が浮かぶ。
「休止」という言葉も浮かび、でもグループとしての活動を停止する理由を誰かが言うのであれば、それはもう休止ではなく解散を選ぶだろうな、と思った。
そして次に浮かぶのが「脱退」。
これも同様に、1人でも抜けるのであればそれはV6ではない、とするのが私の知っているV6だ、と思った。
V6というグループを見ていて感じる優しさや真面目さ、関係性からして「休止」も「メンバーが減ってのV6」も選ばない自信があった。
自分の中での想像なのに、想像の中のV6が選ぶ結論はこちらに期待を残させてくれない。メンバー間の関係性、ファンとの関係性、それをふまえてよせている絶対の信頼がこんなに悲しかったことはない。
グループとしてのお知らせなのだから、「個人のなにか」ではないだろう。
もちろん「結婚」なんてことも無い。それはもう4回やってるから知ってる。
でも、いっそ結婚であれ…!と祈ったことも付記しておく。
あるいは「病気」?
あるいは「事故」?
可能性がないとは言えない。解散云々以前に本当にただただ心配した。
最悪「死」まで予想して、そこまで行き着けば逆に「解散」の重さが少しは軽くなった。
そうして発表の16時を迎えた。
結果は「解散」。
経緯を聞いて、解散を選んだV6は私の好きなV6だ、と思ってしまった。嬉しいし悲しい。もちろん悲しさが圧倒的に勝る。今は まだ。
一度は「死」まで想像した私は解散発表しているV6の動画を見て「元気そうでよかった」というトンチンカンな感想もちょっとだけ抱いたことも合わせて書き記しておく。そういう奴だよなお前は、と、そんな自分が嫌いではない。
こうして感情を書き起こすにあたりもう一度解散報告の動画を見てみた。
意識的につっぱねていたわけでもないのだが、よく考えればあの日以来この動画を見ることはなかった。
久しぶりに見た動画の中の彼らの言葉はあの時以上に心に響いたし、驚くことに「ああこんなこと言ってたな」と記憶から抜け落ちていた部分もあった。
解散発表直後の自分がいろいろと冷静ではなかったことに改めて気付く。
理解しようと思いながら見たつもりではあるが、今見るとまた捉え方が変わる。数ヶ月を経て「解散」と向き合えた今だから見えるところもあった。
「V6」の求められている部分を理解しながら、その「V6」のまま終えようとしている。無くなってしまうけれど「V6」を崩さず、解散という決断について話している。言葉を選んで、伝え方を選んで。
違う結論を出していたらそれこそ私は今まで通りV6を好きでいられただろうか、とも考えた。
おそらくはこれまでとまったく同じにというわけにはいかなかっただろう。
今まで通りずっとこの道が続いていくことを望んでいたけれど、一方でV6がそれを望まないのなら、少しでも重荷になってしまうのなら、それが押し付けになってしまうこともわかっている。
だからこそ「自分たちの意思」と言い切ってくれることは納得せざるをえない理由になる。私にとってそれは優しさだった。
とにかく優しいのだ。ファンに対して。あるいはメンバーに対しても。
誰も悪くないし、悪くさせない。
続こうが続くまいが選ばなかった方の未来がどうなっていたかはわからなくても今選ぶ道が正解で、正解にするために、選んだ未来を全力で突っ走っていく。
きっと答えにたどりつくまではまだまだ時間がかかる。
解散する時、V6の最終形を見た時にそう思えるのかもしれない。
数ヶ月、数年経ってようやく気付けるのかもしれない。
解散発表の動画を4ヶ月半寝かせて見て気付きがあったように、時間が経てばわかることもあるのだろうか。
4ヶ月半寝かせて見ても涙がこみ上げるのはショックだからでもただ悲しいからでもなくて、「画面の向こう側」への配慮が感じられたからだった。
たぶんたくさん考えて話し合って想像して、いろんなことをすべて包み込めるように、難しいことをやってくれている。
解散発表のやり方の正解なんてわからない。でもV6はV6らしくそれを導き出そうとしていた。
私自身、解散発表してしばらくは曲を聴くのもしんどくて聴けなかった。
その後発売されたシングル「僕らは まだ」のMVも、初見で泣いた。
聴くたびに泣きそうになった。いや、今もなる。
あれもやってほしかった、これもやってほしかった。正直たくさんの要望というか欲望も湧いた。期限ができた途端にあれもこれもと欲がうずまいて複雑な気持ちにもなった。
この先もずっと続くと思っていたからこそ、待ちも苦であって苦ではなかった。
そうして解散発表から4ヶ月半が経った。
解散まではもう100日を切っている。
その100日の中には、「学校へ行こう!」の特番やアルバム発売、そして待ちに待った全国ツアーが待っている。
そして11月1日。V6デビュー26周年であり、最後の日。
ツアー最終日。現地で、配信で、その時を見守る日。
2021年7月28日の私は、冒頭でも述べた通りチケットの当落待ちである。
本当にこれが最後だ。そう言いながら実感はあるようであまり無い。
20年前に初めてV6のコンサートに参戦して、出て戻って。
ファン歴で言えば(ファン歴という言葉自体久々に使った気がする。古の個人サイトではプロフィールにファン歴書くのは定石であったなぁ…)、
「えぇ〜好きかも〜ファンになるかも〜」期を含めれば、トータル約15年。
出戻ったのは20周年の頃だった。
グループが20年続いていること自体がとんでもない奇跡だと思った。
戻ってこれる場所がまだあって、それは間違いなくV6とそれまでずっと支え続けた方々のおかげだ。
私が「続き」をできたのは奇跡で、偶然で、でも運命で、必然だったと思う。
機会を与えられたのはV6と支え続けてくれたファンと、突然V6にはまり初現場へ誘ってくれた相方のおかげだ。
またここに戻ってこれたのは、20周年を迎えて「最高」にたどり着いていたV6と、素敵に推すファンの方々と、はてなブログで素晴らしい文章でそれを伝えてくれていた方々の存在のおかげ。
それに加えて、過去のV6ファン歴をいい思い出としてしっかり持って、離れたけれど「現場が好き」という感情を最初に生み出してくれたV6への感謝はずっと持ち続けた自分、という要素が混ざれば、もう戻るのは必至だった。
ファンの中には、離れた際にその期間を黒歴史とする人もいる。
でもやっぱり大好きなものを推していた自分を否定したくない。私は、私が選ぶものを信頼している。信じていなければファンじゃないとさえ思う。
「その時大好きだったもの」はいつまでもそうして残していきたい。
今がいつよりも最高だったとしても、その時の自分が大好きだったものは永遠に色あせずに、最高のまま残せる。私は知っている。
そう思ったからこそ、今の私の推し方がある。
続くのが当たり前じゃないからこそ、今推さないといけない。
出戻った奴がのこのことすみません…と思いながらも、途中参加なら途中参加なりにそこに居たい。ちゃんと参加したい。大事にしていたい。
支えていない時期があるからこそ支える側の自負も持って応援したい。
振り返るにはまだ早いしここから突っ走り切らないといけない。
でも今思うのは、推せてよかったということ。
20年前の記憶はそれはそれは私のなかでは相当大事なもので、それがなければ今の自分はないと確信できる。それと同じくらいの熱量を今抱けていることに、泣きそうになる。
20年前のV6は、人生の中で大事な思い出になっている。
その20年後のV6も、人生の中で大事な思い出になっていく。
コンサートは私にとって大事な場所だ。
このコロナ禍の中、全国を回るという決断を下してくれたことに感謝しかない。
最終日を現地で見届けたい。でも城ホールは絶対に行きたい。
私にとってV6に会えるのはいつもここだった。
そもそも大阪は新型コロナウイルス感染者数が多く、ぶっちゃけリスクも高いのだ。ツアーが開催されたとしても大阪は外されるのではないか、と半ば諦めかけていた。
ツアー日程の中に大阪公演を見つけた時の喜びといったらない。
ありがとうV6。ありがとう関係者。
あとはチケットを取るだけである。
…それが1番の難題だ。
前回のツアーでは私のファンクラブ名義は全滅という悲惨な成績を残している。
いささか心許ないが信じるしかない。最後にいい仕事をしてくれると信じたい。
唸れ我が名義、振り絞れチケット運!解き放て積んだ徳!!
…ああ本当にこれが最後なんだなぁ。
最後のアルバム。最後のツアー。
いろんなものが少しずつ終わっていく寂しさと、それを振り払うかのごとく駆け抜けていくことが予想されるここからの数ヶ月。後悔しないように必死でついていかねば。
V6が突っ走りきるというのなら、私も全力で推しきる。
いつか今を振り返った時に全力で好きだったなぁと、未来の自分が羨ましがるような最高の記憶にしたい。
今の私が、20年前の私を羨ましく思うように。
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」