大ヒット公開中の「君の名は。」にハマっている。すでに劇場で2回観たのだが、さらにおかわりしようと考えているほどである。
映画を見たあと、小説・外伝小説・パンフレット・公式ビジュアルガイド…と、ひととおりチェックした。
読み進めていった中で見えてきたものはとても大きい。これはとにかくオススメしたい!」という感情でいっぱいになってしまった。
読めば読むほど発見がある。そしてそれは映画自体にもより厚みを持たせるものであり、2度目に映画館に行った時にはさらに感動が増した。
ほんとうは物語そのものについてネタバレを含みながらああだこうだと綴ろうと思っていたのだけれども、それよりも前に、とりあえずこれだけでもお伝えしたい。
映画を観て感動された方には、ぜひ小説も読んでいただきたい。
とにかくオススメなのである。
これはもう一言では説明しきれないので、いっそのこと小説、外伝小説、パンフレット、公式ビジュアルガイドについて、どの本がどういった理由でどうオススメなのか、をまとめてみることにした。
さらに書籍ではないが、RADWIMPSによるサウンドトラックアルバムについても触れておきたい。
なお今回は、書籍を読んでから映像を見ようという方もいらっしゃるかもしれないのでストーリーの結末についてのネタバレは避ける。
私自身も書籍を購入する際にレビューなどを参考にさせていただいたので、この記事が少しでも何かの足しになれば幸いである。
目次
小説版「君の名は。」
この小説は、映画をノベライズ化した作品である。
執筆された新海誠監督は、この小説のあとがきにおいて「どちらが原作かといえば微妙なところ」としている。
そもそも「映画のノベライズ化」というものは完成された作品があってのものなのだが、少なくとも監督がこのあとがきを書いている時点ではまだ映画は完成していない。具体的にいえば「完成まであと3ヶ月くらいはかかりそう」という時期にあたり、アフレコも済んでいない状態の頃である。
「本書を書いたことで自分の中で刷新されたイメージもある」と語られていて、そのイメージはアフレコへも影響していきそうだ、ということも書かれている。
この小説にはそんな、「映画を観ただけでは拾いきれないキャラクターたちの性格や感情の断片」のようなものが散りばめられていた。
映画ではただひたすらにかっこよく/かわいらしく描かれているキャラクターが、思った以上に人間的な思考をはらんでいたりする。
たとえば、三葉が豊穣祭で巫女舞を踊るシーン。
親友であるサヤちんとテッシーが見にきていたのだが、実は三葉は「来るな」と前もって念押ししていたらしい。舞の最中に視界の端に2人の姿を見つけた三葉は「呪ってやる」と思いながら踊っていたのである。
舞の後には「口噛み酒(米を噛み唾液と混ざった状態で放置するだけで発酵しアルコールになるという日本最古の酒)」を公衆の面前で作る儀式がある。
もぐもぐと米を噛み吐き出す、それをちいさな枡がいっぱいになるまでひたすらに繰り返す、という儀式である。年頃の女の子が行うには酷で、もちろん三葉はこれが嫌で嫌でたまらない。
不満たらたらな様子は映画でも確認できたのだが、小説においては「思わず神社ごと爆破したくなる」という表現もあり、おおよそ巫女らしからぬ心情が多々登場する。
映画を観たあと、私の中で三葉のイメージは「古き伝統を守り続ける神社の巫女であり長女で、しっかり者」というニュアンスのものだったのだが、どうやらそうでもないらしい、ということは小説を読んでわかってきた。
一方、もう一人の主人公である瀧については映画を観終わったあと、心のなかでただひたすら「かっこよすぎか…!」と反芻してしまった。
作中に「イケメンである」という描写もとくには無く、彼が「君の名は。」の世界でイケメン属性の人物なのかは判断しかねた。
しかしそういった判断基準を放っぽり出してただただ「かっこよすぎか…!」「イケメンか…!」を繰り返すしかなかった。老若男女問わず、観た人すべてが思わず「瀧くん…」と呟きたくなるのではないか。そんな風に思えた。
先日劇中シーンを描き下ろしたという新ビジュアルが公開されたのだが、このシーンがちょうどその「かっこよすぎか」と思わされたあたりである。
「君の名は。」新ビジュアル公開、新海誠らスタッフが劇中シーンを描き下ろし https://t.co/23gMtm4chk #君の名は。 pic.twitter.com/qbOyO0Vz5E
— 映画ナタリー (@eiga_natalie) October 14, 2016
小説を読むことによって瀧くんの印象がどう変わったかというと、「かっこよすぎるキャラ」ではないということである。
映画ではセリフ化されていない瀧の心中の言葉まで読めることで、そのキャラクターの性質がより深く掘り下げられる。
その結果、私の中で「とにかくかっこよすぎた瀧くん」は、「わりとヘタレなところがあるけど結果的にかっこいい瀧くん」というところに落ち着いた。
ちなみに外伝小説のほうまで読むと「わりとスケベ、なんだか愉快なヤツ」という印象も付け足されたのだが、それは後述する。
映画を観て、瀧を一段高いところに祀って「かっこいい!!」と言いたい方にはもしかすると小説は蛇足であるのかもしれない。
が、その幻想が取っ払われてこそ活きてくる面もある。「かっこよすぎる(ように見えた)瀧くん」が実はどう思っていてなぜああ言ったのか、なぜあんな表情になったのか。それを把握することは感動をより濃くすることに対してはとっても有効である。
物語の核とも言えるキャラクターたちの切実な想いを知ることは、本当の意味でこの映画を理解するためにとても必要なことなのだ。そう強く思わされるとてもよいノベライズ本であった。
「執筆する予定のなかったノベライズ本が生まれた理由」
当初、この小説は書かれる予定はなかった。その考えを一転した理由を、監督はこう語っている。
その理由は、どこかに瀧や三葉のような少年少女がいるような気がしたからだ。この物語はもちろんファンタジーだけれど、でもどこかに、彼らと似たような経験、似たような想いを抱える人がいると思うのだ。
(中略)
そしてそういう想いは、映画の華やかさとは別の切実さで語られる必要があると感じているから、僕はこの本を書いたのだと思う。
(小説「君の名は。」/新海誠氏によるあとがき)
切実さというものは、文章によってこんなにも浮かび上がらせることができるものなのか。
この小説を読んでそういう部分でも感動を覚えた。
映像を見た後で原作となった小説や漫画・もしくはノベライズされた本も読んでみる、という手順をたどることは少なくない。むしろ私なんかはすすんでやってしまうタチの人間である。
が、これほどまでに、映像化する意味/文章化する意味を呈示された作品はほんとうに初めてだったのだ。
ノベライズ本だからといって、映像をそのまま丸写ししたに過ぎない物では無い。
かといってノベライズ本だけ読んでも、あの細やかで繊細な映像には絶対にたどりつけない。
観る意味/読む意味について、「こういうことか」と理解してしまったような気になってしまうほどには納得させられてしまった。
またこの小説において感想を語るのなら絶対に触れておかなければいけないことがある。RADWIMPSが生み出した、この物語を彩る音楽の存在だ。
その存在は、ノベライズにまで大きな影響を与えた。
ここから少し楽曲について感想を書くが、これはイコールとして小説の感想でもある。この関係性の素晴らしさも、私がこの小説をオススメしたい理由であるし、合わせてこのサントラもオススメしたい。
「RADWINPSの音楽と、小説の関係性」
「今回、小説は書きません」
そう宣言していた新海誠が、野田洋次郎の音楽によって書かされた。
小説に音は鳴らせない。でもRADWIMPSの曲がここから聴こえてくる。
運命的な出会いがもたらした、稀有な小説だと思う。
(小説「君の名は。」/映画版プロデューサー・川村元気氏による解説)
作中に登場する音楽は、歌声の入っていないものまで含めてすべてRADWIMPSが担当している。
歌詞があるものは全部で4曲ある。
「洋次郎さん(RADWIMPS・ボーカル)の声は、瀧と三葉にならぶこの映画の主役です。」
(「君の名は。」パンフレット/新海誠監督インタビューより)
監督インタビューの中でこの言葉もすごく印象的だった。
オープニングとして、物語を予感させながら伏線要素もふくんだ映像とともに流れる疾走感たっぷりの「夢灯籠」。
映画が映像として立ち上がるそれよりも前、脚本の第一段階ですでにあったという、映画の核となるような"想い"を感じさせる「前前前世」。
この曲は「君の名は。」の顔とも言える存在ではないだろうか。
正直、この映画の予告を映画館で観た時点で「ずるい」と思った。「こんなの見たくなるに決まっているじゃないか」、と。
"男女が入れ替わる"というある意味ベタとも言える要素に、この疾走感。
なぜ予告やCMだけでこんなにワクワクしてしまうのか?と考えた時、BGMとして流れるこの曲が背中を押す部分は大きい。背後から背中を思いっ切り押されて走らざるをえないような、あるいは前から両手を思いっ切り引っ張られてどこかへ誘われるような、そんな不思議な高揚感を抱かされた。
映画がヒットしている理由のひとつには間違いなくこの「前前前世」の存在があるぞ、それくらいこの楽曲がかもし出している世界観はすごいぞ…と、何の根拠もないのになぜか確信して疑わないほどには私はこの曲に引っ張られている。
映画を観たあと音源をずっと聴いている。
「前前前世」については歌詞の大体が頭に入ったくらいのタイミングで2回目の映画観賞となったのだが、映画ではCDに収録されているものと違う歌詞が入っていることに気が付いた。
「映画版にしかない歌詞があるんですよ。
『私たち越えれるかな、この先の未来、数え切れぬ困難を。言ったろう?2人なら笑って返り討ちにきっとできるさ』
という歌詞。これってすごく普遍的ですよね。劇中の瀧と三葉の想いを語る言葉でもありつつ、思春期そのものを語る言葉でもあるじゃないですか。その歌詞を聴かせるために、劇中のセリフを削ったりして。」
(「公式ビジュアルガイド」/P60 新海誠氏インタビューより)
映像が出来上がるずっと前、企画段階から参加してきたRADWIMPSがつくった楽曲。それは物語をその通りに歌詞に落とし込んだわけではなく、同じ温度・同じ方向・同じ世界観・同じ思想をもとに違った角度から描かれたもの、というように感じた。
とても近く、むしろ同じものである。
でもどこか物語とは違う要素も含まれていて、それなのにその核にあるのは同じものであり、この楽曲こそが「君の名は。」そのものなのだ、と感じさせられてしまう。
以下に歌詞のリンクを貼っておく。物語を知っている方にはおそらく「ああ、」と思える歌詞であり、まだ知らない方においては想像が膨らむ言葉で溢れているのではないかと思う。
前前前世 (movie ver.) - RADWIMPS - 歌詞 : 歌ネット
スパークル (movie ver.) - RADWIMPS - 歌詞 : 歌ネット
なんでもないや (movie edit. + movie ver.) - RADWIMPS - 歌詞 : 歌ネット
RADWIMPSが「君の名は。」の世界観に寄り添うようにつくった楽曲たちは、しっかりと想像をかき立て場面を華やかにさせる。
その中には知らず知らずのうちにミスリードされていたように感じられる部分もあった。
「こんなの見たくなるに決まっているじゃないか」、そう思わされて映画館に足を運び、観終わった後に「やられた!」と思わされてしまうこの感覚。しかもそれが、がっかりするような類いのものでは無いあたり、ますます「やられた!」と思ってしまうのだからどうしようもない。
観賞前に「ぴあ映画満足度ランキングにおいて観客の満足度が高かった」という記事も目にしていたのだが、「なるほど」と思わず頷きたくなった。
駆け抜けるようなさわやかな疾走感や、胸がしめつけられて身動きが取れないような切ない瞬間。そんな緩急を演出する役目を「音楽」という要素は担っている。
たとえば、画面上のキャラはそこに立っているだけであるのに今にも走り出さんとするような高揚感を覚える。全力疾走している場面なのにまるで時間が静止しているかのように穏やかな時間が流れる。
それはなんだか魔法のようにも感じられて、なんとも不思議な体験だなあと思った。
で、ここで小説の感想としての話に戻る。
この「君の名は。」の、"物語"と"楽曲"の結びつきをより一層濃くしているのがこの小説に他ならない。
全8章からなるこの小説の第7章、クライマックス寸前のこの章につけられたタイトルは「うつくしく、もがく。」
ストーリー展開でも特に壮大で一番のみどころとも言える部分にもあたる。
「うつくしくもがく」という言葉はこの場面で流れる「スパークル」の歌詞からの引用されたものだ。
これは新海監督がRADWIMPSの楽曲に強く惹かれ、あえて小説に引用したものである。引用するにあたり両者間のやりとりはなく、RADWIMPS側がそれを知ったのは公式ビジュアルブックに収録されているインタビューの場で、それについての感想も語られている。
また小説の中で「あとすこしだけでいい。もうすこしだけでいい。」という言葉が繰り返し登場するシーンがある。
これは「なんでもないや」の歌詞からの引用だ。
監督でさえも「これこそが自分が描きたかった世界観だと気付かされた」というこのフレーズ。それはすなわち、もともと物語を生み出した監督の脳裏にはなかった言葉であり、つまりは完全に楽曲から引用したもの、ということになる。
あとすこしだけ、もうすこしだけ。
そう願うのに、その先に続く感情は本人にさえもわからない。でもただ漠然とそう願いつづけている。その姿に漂うせつなさは曲の世界観と見事に一致していて、読みながら鳥肌がたった。
この曲は映画のために作られたものである。ということは映像に当てるためという目的で作られたはずだ。それなのに、私は文章を読みながらこの曲の存在をそこに確かに感じて、鳥肌がたった。
「小説に音は鳴らせない。でもRADWIMPSの曲がここから聴こえてくる。」
前述したこの映画のプロデューサー・川村元気氏のこの言葉のまさしくそれである。
物語をつくる。そこから生まれる曲がある。そしてその曲から新たに広がり、さらに深まる世界観がある。それをもっと濃く描くための小説が生まれた。
その小説を読みもう一度映画を見た時、ようやくその全容にすこしだけ手が届いたのかもしれない、と思えた。
1回目に映画を観た時、自分でもなんだかよくわからない感情でひかえめに泣いた。
そして小説を読んで「うつくしく、もがく。」からの展開にはさらに泣いた。
2回目の映画を観た時にはもちろん大号泣である。
そこに描かれているものがどういうものなのかわかったからだ。
うつくしくもがく。もう、その表現以外にしっくりくる言葉が見つからなくなってしまった。
もがく、ということは本来美しい言葉ではない。
でもその「人間が人間らしく、純粋な感情に一生懸命になること」には、言いようのない美しさが伴うものなのではないか。人の胸を打ち何かを動かすのはきっと、そういう真っ直ぐなものであるのだと私は信じていたい。
また、2回目に映画を観た時に大号泣した理由。作中の登場人物たちの「ひたむきさ」が大部分ではあるのだが、きっとそれだけではない。
映像・音楽・小説が強く結びつき、どれが欠けても成り立たなくなるのではないか?と思えてしまうほどの作品が出来上がったこと。
そのクリエイター同士の化学反応のようなもの、を素人ながらに「もしかしてこれって奇跡なのでは?」と感じてしまっている自分がいたこと。
私がもしおすぎさんと入れ替わることがあったのなら、「この作品は奇跡です!!!」とでも言ってしまうのだろう。
私自身が言ったら説得力のかけらもない安っぽいセリフであるが、おすぎさんとして発することができたならそれはさぞかし強かろう。ぜひとも言ってみたい。
だからといって「えっ、おすぎさんと入れ替わりたいの?」とつっこまれると正直微妙である。おすぎさんだってこんな奴と入れ替わるのはまっぴらごめんだわと吐き捨てると思う。想像したらおすぎさんに若干申し訳なくなってきた。
…と、そんな小ボケはまったくもって蛇足なのだが、とにかくその圧倒的な世界観に胸を打たれるばかりだった。その成り立ち方にも、出来上がった作品にも。
ひどい言葉で言ってしまうのなら「ただ1本のアニメ映画を観ただけ」という話なのだが、その言葉で収束させるのはあまりにも惜しい。
はじまりは頭の中にしか無かったものが、多くの人が携わって大きなものになっていく。その行程を知ってしまったら、今度はその奇跡にも感動してしまう。
この小説はそういう意味では作品のすべてを結びつけるような役割を担っているのでは無いかと思う。
ということで何が言いたいかというと、「とにかくオススメ」なのである。
外伝小説「君の名は。Another Side:Earthbound」
君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)
- 作者: 加納新太,田中将賀,朝日川日和,「君の名は。」製作委員会,新海誠
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2016/07/30
- メディア: 文庫
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脚本協力として参加していた加納新太氏が書いたアナザーストーリー。
映画の脚本が書き上げられていく中で削られてしまったアイデアも盛り込まれているため、本編では触れられていない部分も描かれている。
全4話に分けられているこの小説は、各章それぞれに主人公が変わる。
第1話の主人公は瀧。そこから順にテッシー、四葉、俊樹(三葉・四葉の父)と物語が続く。
前述した小説版「君の名は。」の感想の中で、瀧について『外伝小説を読むと「わりとスケベ、なんだか愉快なヤツ」という印象も付け足された。』と書いたのだが1話がまさにそれだ。
タイトルからして「ブラジャーに関する一考察」なのだから不穏な気配を感じざるをえない。本編では削られたという「男女の中身が入れ替わることにより発生するコメディ要素」はこの話に詰め込まれている。
とはいえ作中に描かれているのは、そんな男子的な目線から見た一考察だけではない。
三葉の姿でマイケル・ジャクソンのダンスを踊って彼女から「マイケル禁止」を命じられるのには思わずニヤッとしてしまうし、三葉として過ごす中で彼女の抱える複雑な事情が見え、次第に彼女に興味を抱いていくその様子もうかがえる。
本編中ではあまり素が見えにくかった「立花瀧」という人物が、思っていたよりも17歳らしく、思っていたよりもわかりやすい感情の流れを持ち合わせているのだということがわかってくる。
しかしながらこちらの小説もやはり、瀧くんを「少しばかり謎に包まれたどこか影のあるクールボーイ」にしておきたいのならば読まないほうがいいかもしれない。
2話のテッシーの話は、これが非常に深い。
糸守という田舎町が抱えているのは豊かな自然や伝統ばかりではない。町にただようのは狭く、濃すぎる関係であるし、そのなかには悪習とも言える歪みのようなものも生じたりもする。
この感覚はもしかするとある程度の「都会ではない地域」で暮らしたことのある方ならみんな共感できるのではないだろうかと、都会ではない地域出身の私は思っている。
地元土建屋の跡取り息子として、この狭く濃い町でずっと生きて行くことがほぼ決まっているテッシーも複雑な想いを抱いている。この町が大嫌いで、でもこの町が好きで、鬱屈とした気持ちを抱えながらもその中で折れずにどうやってこの町を良くしていくか。誰かにやってもらおうという考えではなく「自分がしていくんや」という熱い想いを抱いているのである。
その責任感はとても気持ちがよく、本編においても「テッシーいい奴!」と思ったのだが、外伝を読むと「テッシー……!!」と思わず呟きたくなるほどさらにぐっとくる。
テッシーの目線から見た「糸守町」の内情は、実は「三葉が抱える事情」を理解する上でもとても大事なものだ。
3話は三葉の妹・四葉の目線。
入れ替わり状態の姉の不審な様子を心配する可愛らしい妹としての姿、さらに宮水神社の巫女としてのしきたりの様子などその暮らしがわかるものになっている。
思わず笑ってしまったのは、祝詞(神前で祈る言葉・宮水神社では"申立"と言う)の子供なりの訳。
四葉が覚えている祝詞は初歩的なものであるのだが、それでも昔ながらの日本語はまだ理解するには難しく、フィーリングでこんなふうに解釈しているのだった。
「神様、今日もみんなが平和で豊かに暮らせるのは、ぜんぶ神様のおかげです。どうもありがとね。いつかあの世に行ったら私も神様にしてね。そしたら私も子孫とかスゴイ勢いで守っちゃいますよ。あの世もこの世も両方ハッピーだったら最高だよね。そんな感じでよろしく。チャオ。」
(「君の名は。Another Side:Earthbound」/163ページ)
こうして子供らしい表現に置き換えられるとわかりやすい。
その一方で逆にその「神道らしい」ともいえる理念の、宗教的な要素が際立って感じられる。この四葉の解釈はまだまだ幼い子どもの視点からのものなので少々滑稽な表現となっているためなおさらだ。
宮水神社の事情について描かれているのは、第4話も同じくである。
三葉・四葉の父である宮水俊樹がいかにしてこの町を訪れ、2人の母である二葉と出会い、どのようにして宮水に婿に入ったか。そして、なぜ出て行ったのか。何を思惑として、糸守町の町長となったのか。
本編での俊樹は人間味のない冷たい人間のように描かれているため、嫌悪感を抱いた方も少なくないだろう。その行動においても深く語られることはなく、私たちが捉えられる情報は「彼がどう動いたか」という眼に見える範囲での結果のみである。
映画では完全なる脇役にしか過ぎなかった彼が内に秘めた、宮水という家と糸守町という土地に対しての感情。
俊樹目線で見た三葉は果たしてどう映っていたのかという部分も明らかになっている。
この本に収められた4話すべてに共通して言えることなのだが、外伝を読んでいたからこそ浮かび上がる感覚がたしかにある。
さまざまな目線から描かれた「糸守町」。そしてさまざまな目線から描かれているのにもかかわらず、どこか少し他者には見せない内面を抱いている「三葉」という人物像。
新海誠氏が書いた原作を「五・七・五」とするならこの外伝はそれに「七・七」を足していったようなもの、というのは執筆された加納新太氏による言葉だ。
「五・七・五」でも確かに物語は成り立つ。でもそこに「七・七」を加えられるとしたら表現できる範囲はぐっと広がる。
映画に興味を抱き「あとすこしだけ、もうすこしだけ」その世界観をくわしく知りたくなった方には非常にオススメしたい1冊だ。
映画パンフレット
全44ページ、劇場で販売されているパンフレット。720円。
キャラクターを演じたキャスト・スタッフのコメントや監督インタビュー、キャラクター相関図や設定、美術背景なども掲載しながら「君の名は。」の世界観がまとめられている。
また、「映画がはじまる前にパンフレットを先に読もう……って、ウワアアアめちゃくちゃネタバレじゃんこれ…やってもた…」という失敗のない、ネタバレなしの安全仕様になっている。
話が少し逸れるが、予告にしろCMにしろパンフレットにしろ公式側が出してくる情報に重大なネタバレが一切なく、まったくそれをにおわせないのが本当に巧妙で見事だなと思う。
パンフレットに掲載されている設定画の1つでは、そこに書き込まれた小さな文字にネタバレになる要素が含まれていたのだがその部分だけきれいに消去されていた。(ビジュアルガイドに掲載された同画には入っている)
そんなパンフレットもオススメではあるのだが、これについては少し待ったをかけたい。
「君の名は。」の関連書籍には「公式ビジュアルガイド」というものもある。
パンフレットと公式ビジュアルガイドには共通して収録されているものもあり、どちらか片方だけでいい・より詳しいものがほしい、という方にはビジュアルガイドのほうがオススメである。
公式ビジュアルガイド
- 作者: 新海誠,東宝,コミックス・ウェーブ・フィルム,角川書店
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2016/08/27
- メディア: 単行本
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全128ページ。現時点で「君の名は。」を一番網羅した書籍はこれである。
定価1,600円なので高すぎず、かといって安すぎず、私自身も買うべきか買わざるべきか少し悩んだので参考までにその内容を紹介する。
まずはじめに43ページにわたる「ビジュアルストーリー」。
美しい劇中カットをたっぷり使いながら、ストーリー展開をしっかりと紹介。場面の状況も細やかに説明されているので意外と「ああそういうことだったのか」と気付きもあった。目を通しただけで映画をしっかりと思い出せるくらいにはボリュームがある。
ストーリーが網羅されているため完全にネタバレを含む。
なんなら映画を観ていなくてもこのビジュアルストーリーだけで内容が把握できてしまう。
続いて掲載されているのは、主役を演じた神木隆之介さん・上白石萌音さんの対談と、新海誠監督と神木さんの対談である。
その中で特に驚いたのは、瀧を演じた神木隆之介さんの発言から見えるガチ新海誠監督作品ファンっぷり。三葉を演じた上白石萌音さんとの対談では、彼女から「"新海誠"学の博士号を取れる」と言われている。
熱烈とも言える言葉の数々は、ファンというより強火オタに近いかもしれない。
過去作も含めて新海誠作品の魅力を語っているのだが、感心したのがその言葉選び。
これがライターさんによって脚色が加えられたものでないのなら、彼は相当に聡明な方なのだろうなぁ…という印象を受けた。熱く物事を語る上でその感情にきちんとした言葉が伴い、なおかつわかりやすい。熱量を言葉として的確に表現出来る人なのだなと思った。
インタビューは、新海誠監督、安藤雅司作画監督、キャラクターデザインの田中将賀さん、音楽を担当したRADWIMPS、脚本協力を担当し外伝小説も執筆された加納新太さん。
テキストだけで計18ページ程度あるので読み応えは十分、各セクションにおける製作過程が語られていてとても興味深かった。映画を観たあとで本も購入したいと思われる方の目的として「作品の裏側を知りたい」という部分は大きいはずで、その期待に十分応える内容である。
キャラクターガイド(全16ページ)や美術/小物設定(全10ページ)などはパンフレットに収録されているものとかさなるものもあるが、収録量はもちろんビジュアルガイド>パンフレットである。美しい背景においても、パンフレットでは2ページのみの掲載だったものが、こちらでは8ページ掲載されている。
きっといろいろな関連商品を手に取り、最終的にたどり着くのがおそらくこの本だと思う。
値段に見合った内容量の本だ。そして「君の名は。」の世界観がぎっしり詰まっている。
が、正直な話、最近の私はこの本が部屋にあるだけでテンションが上がっている。ちょっとキモチワルイ人だなと自分でも思うのだが、それくらいの満足感がある。
感想を端的に表すのなら、『「君の名は。」が好きな人にとっては、心がほくほくする本』だ。
私がオススメする「各関連書籍を読む順番」
ここまで各書籍についての感想を書いてきたが、最後にそれらを読む順番についても言及しておく。
私自身は、【映画①】→【小説】→【外伝小説】→【映画②】→【パンフレット】→【公式ビジュアルガイド】という順番をたどった。
手探りで進んだわりにはこの順番にまったく後悔はしておわず、むしろ結果オーライ・大満足である。
後々になって知ったのだが、ツイッターの「新海誠作品PRスタッフ」アカウントにおいてこんなツイートを見つけた。
公開前にも呟きましたが、監督小説版の後書き&解説⇒映画本編⇒監督小説版本編⇒加納さんのスニーカー文庫版⇒映画本編⇒公式ビジュアルガイドの順で見ると、いろいろと発見や気づきがあって楽しめますよ☆彡 もちろん、小説のBGMにはRADのサントラをかけながら(^_-)♪
— 新海誠作品PRスタッフ (@shinkai_works) 2016年10月10日
偶然にもこのツイートでオススメされている順序とほぼ同じ道をたどっていた。なんなら小説を読みながらサントラもかけていた。ドンピシャが過ぎていっそお恥ずかしい。
とはいえ、公式ともいえるアカウントからのこのツイートに、もしかして結果的に最良の道を辿れていたのかもしれないと少し自信がついた。
私の、というよりはこの公式さんが提示されているこの順番が非常にオススメである、というのが実際に体感してみた側としての感想である。
ということで以上が「君の名は。」の関連書籍に対する私の感想だ。
読めば読むほどその世界観にどんどん引き込まれ、とても貴重な体験をした気持ちになった。興味のある方はぜひこの感覚を実際に体感してほしい。