アルバム「The ONES」を引っさげ行われていた全国ツアーが先週終了した。
8月の夏真っ盛りの頃に豪雨に見舞われながら迎えた初日。気候も秋めいてきた10月、超大型台風の影響による荒天の中迎えた最終日。
荒天に始まり荒天に終わった、という話は後々笑い話になっていくに違いない。
この2ヶ月は各会場でコンサートに参加された方のレポートを読んでいるだけでも楽しい夢のような期間だった。
ツアーは終わってしまったが11月にWOWOWでの放送も控え、雑誌でもレポート記事が続々と届いている。来年にはディスク化もされるだろう。祭りはまだまだ終わらない。
グループとしての活動が続いたこの数ヶ月。それに伴って今の私はというと、いろんな感情で溢れかえっている。
今回はとりあえずずっと考え続けてきた「ONES」と「One」についてまとめて綴じておこうと思う。
目次
- 目次
- 「The ONES」の意味をどう捉えるか
- コンサートにおける「ボク・空・キミ」と「The One」
- 「One for all,All for one」という言葉の2つの意味
- 魔法のように重力を超える瞬間
- 「The One」の憂いと、それでも歩みを止めない理由
- アンコールで聴いた「The One」はV6そのものだった
「The ONES」の意味をどう捉えるか
「The ONES」というアルバムタイトルは、メンバー・スタッフで一緒に考えながら決めたそうだ。
私はまず、この「ONE」をどう解釈するべきかというところでハゲそうなくらい悩んだ。
The ONESというタイトルはいわば完成したそのものを「ひとつ」と捉えない。
そこに含まれるいろんな要素のそれぞれを「ひとつ」と捉え、それらが集まることによって出来上がったもの。そんな言葉はないのだが、あえて言うなら「ひとつたち」だ。
デニーズのメニューに「ハンバーグカレードリア」というカロリー爆発なメニューがある。あれを「ハンバーグカレードリア」というひとつのものと捉えるのか、それとも「ハンバーグ」「カレー」「ドリア」という3つの集合体と捉えるのか、というようなものだ。よくわからない例えで申し訳ない。
発売が決定しアルバムタイトルが発表になった当初から、エイベックスのV6公式サイトではこう紹介されていた。
「The ONES」は、個と個の集合体が幾つも合わさって完成したアルバムであることを意味している。
(エイベックスV6公式サイトより)
そして以下はこのアルバムの特設サイトに掲載されていた文章である。
タイトルは「The ONES」。オンリーワンの輝きを放ついくつもの「個」が合わさって構成された作品だ。
(エイベックスV6「The ONES」特設サイトより)
微妙にニュアンスが違っている。
前者から読み解くなら「ONE」にあたるのは「個と個の集合体」になる。これに関しては、雑誌インタビューの中で長野さんが 噛み砕いて表現してくれていた。
ー今回のアルバムのタイトル『The ONES』の意味は?アルバム最後の曲はSがない「The One」ですが?
長野「まずV6がThe One、V6とファンでThe One、僕と坂本くんでThe Oneだとして、いろんなところでいろんなひとつの関係ができていて、それらの集合体が「The ONES」ということみたいです(笑)」
(「月刊TVnavi」/2017年9月号より)
文末が「(笑)」になっているあたりに微妙に生じた表現の難しさのようなものがにじむ。
ここで「ONE」が示すのは「関係」。何かと何かが関わり合った時、その間に生まれるもの。
長野さんの発言の後には、こんな言葉が続く。
森田「僕らはグループではあるけど、ひとりひとりがいるからこそのグループって感じがするからピッタリじゃない?」
三宅「僕は今のV6だから似合うタイトルなのかなって思いますね。剛も今言ったけど、デビュー当時はグループが先に来る感じだったけど、今はみんなそれぞれ個がちゃんと生きていて、その集合体が「The ONES」というのがしっくり来る。」
(「月刊TVnavi」/2017年9月号)
この解釈で言うなら「ONE」が示すのは「個」となる。
これは先ほど引用した特設サイトでの表現、”オンリーワンの輝きを放ついくつもの「個」が合わさって構成された”に当たるだろう。
このタイトルにそれぞれの「ONE」が持つ個性の大きさとそれに対するリスペクト精神を感じたのだが、実はほんの少しだけさみしさも覚えた。
極論を言うなら、そこに特別な意志がなくとも数さえ揃っていさえすればとりあえず集合体にはなれる。
ある角度から見るとなかなかに無機質とも捉えられるタイトルかもしれない。
様々なアーティストから提供された多彩な収録曲、その中でも一番最後に置かれている、アルバムタイトルから「S」をはずした「The One」。この曲はアルバムタイトルが決まったあとにスタッフから「入れたい」と提案されたという。レコーディングも一番最後に行われたそうだ。
この曲の世界観によってこのアルバムの印象がかなり左右されるのでは、と予想していた。
アルバムが発売され、手に入れたディスクを早速1曲目から順番通りに再生していく。すべての曲を通して聴き、最後の1曲として出会った瞬間がこの曲との初対面だった。
注目していたその曲の内容が「僕らはひとつさ」と歌うものだったのだから、感動しないわけがない。
個性豊かなThe ONESの収録曲たちがこの曲によってぎゅっと束ねられたような気がして、無機質にも感じられた「集合体」という言葉に命を吹き込むような楽曲だと思った。
コンサートにおける「ボク・空・キミ」と「The One」
アルバムを聴き、正直なところ「コンサートの最後の曲は『The One』に違いない!」と思っていた。
しかし予想していたその位置で歌ったのは「ボク・空・キミ」。「The One」はアンコール1曲目だった。
言葉がしっかりと心に染み入るようなゆったりとした曲調は、聴きながら自然と自分の深層に言い聞かせるように広がっていく。
コンサート中、あれだけ大勢の人と空間を共にしているにもかかわらず、それぞれを一度ひとりぼっちにさせてじっくり考えさせるような、不思議な時間だった。
この曲の本質には、孤独がある。
他の誰でもないのだ、と「個」を尊重しようとすれば、自ずと他人との線引きは強調されていく。私が「ONES」という言葉を聞いた時に漠然と感じたさみしさにもそういう部分がふくまれているのだと思う。
壮大な光景を前にした時、その凄まじさに圧倒され、同時に自分の存在の小ささを知る。
とてつもなく大きなものに対峙すると「個」は気が遠くなるほどちっぽけで、どうしようもないほど無力に思え、溶けて消えてしまいそうな感覚すら覚える。
大きな大きな中の限りなく小さいひとつ。
どこまでも広がる世界と、知る由もないほど流れ続けている長い時間。
自分を包んでいるものの大きさに思いを馳せることで、今この瞬間この場所にたしかに存在している自分がいることがとんでもない奇跡に感じられてくる。
以下の文章は、20周年を迎えた2015年のコンサートの演出で使用されたものだ。
ビッグバンが発生してから現在まで推定約138億年
地球が誕生してから現在まで 推定約46億年
人類が誕生してから現在まで 推定約700万年
世界の人口 推定約75億人
日本の人口 約1億2500万人
1人の人が一生のうちで出会う人の数 約3000人
1人の人が一生のうちで運命の人に出会う確率 0.000000008%
V6の6人が出会った確率 0.00000000000000002%
V6とファンの皆がコンサート会場で出会えた確率 0.00007%
V6とみんなが一緒に歩んできた時間 176729時間
あれから2年経った2017年。
「ボク・空・キミ」を披露する前には井ノ原さんからの曲紹介の一言があるが、ツアー最終日には「V6を選んでくれてありがとう」という言葉が添えられた。
たくさんあるジャニーズグループの中でV6という「ひとつ」を選ぶことは彼らのファンにとっては必然とも言え、当たり前のことかもしれない。
でも実は、その当たり前はとんでもなくわずかな確率の上で成り立っている。
今自分が見ているものはどれほどの確率の上で成り立っているものなのか、そう思うとなおさら愛しさがつのる。幸福なエンターテイメントを見ながら噛みしめる「生きている」という実感は、私にとってはなくてはならない希少な体験だ。
今回のツアーでは「ファンとメンバーで作るフォトモザイクアート企画」としてファンの笑顔の写真を募集していたのだが、それはコンサート本編の最後にも使用された。
モニターに無数の写真が映し出され、集合体となりその中央に表示されたのは「The ONES」というタイトル。
「ボク・空・キミ」で、あえてそれぞれの境界線を際立たせひとりにさせる。そして、それがこうして集まっていることの尊さを実感する。
そんな空間で私たちはアンコールの声を出す。V6を呼ぶことでひとつになり、それに応えてV6がまたステージに登場する。
今になって思えば、この流れこそ「The ONES」を実体験させるべく構成された流れだったのではないかと、この2曲の配置に感嘆する。
「One for all,All for one」という言葉の2つの意味
ONEという単語から思い浮かぶ有名なフレーズに「One for all, All for one」がある。
「1人はみんなのために、みんなは1人のために」。
語源について調べてみると1600年代のヨーロッパ、カトリックとプロテスタントの抗争に関する文献まで遡らなければいけないらしい。
それから時が経ち1800年代後半にフランスの作家によって小説「三銃士」の中で使われ、後に日本では特にラグビーの世界においてチームプレイの精神を表現する際に使われるようになった。
近年ではさらに広い範囲で使われる名言になっていて度々耳にするのだが、1980年代半ばに大ヒットしたドラマ「スクールウォーズ」でセリフとして登場した影響が大きいそうだ。
V6としては、過去に「学校へ行こう!」の企画内において「One for six, six for one」という言葉に置き換えられて使われたりもした。
このよく耳にする日本語訳を、誤訳だとする解釈もあるらしい。
もう1つの捉え方は、
「1人はみんなのために、みんなは1つの目的のために」。
スポーツにおいてのそれは「勝利」にあたるだろう。
チームが「1つの目的」のもとに団結する。「one」が絆をより深くする。
いろんな一面を持つ人間が混在する中、みんなが「ひとつになる」ことは簡単ではない。でも、共通の「one」を同じように心に置くことで、確かにひとつになっていると感じる瞬間がうまれる。
魔法のように重力を超える瞬間
コンサート会場に観客としておとずれる私たちは「ONES」だと思う。
別にひとつになろうとして集まるわけではなく、ただ目的を共にしてそこに集まっただけのことだ。もちろんこの場合の目的は「V6がいるから」になるだろう。
コンサート中にメインステージ側アリーナからバックステージ側に振り返った時、ペンライトの光で埋め尽くされた光景に息を飲んだ。視界いっぱいに広がる青一色の無数の光。その光はもちろんそこにいる一人一人が灯しているものだ。
目的を共にして集まったそれぞれが灯した光で出来上がっているひとつの大きな光景に、メインステージに立つメンバーからはこんな景色が見えているのかとただひたすら感動してしまった。
「COLORS」のサビに、体の正面に手を伸ばし人差し指1本をゆっくりと左右に揺らす振り付けがある。体全体を使って華麗に舞い踊るV6のダンスの中では珍しく、最小とも言える動きが新鮮だからかいつも見入ってしまう。
今回のツアーではその姿を背中側から見る機会があった。
スタンド席に向けいつものように人差し指を揺らせば、それに合わせてペンライトの海がゆっくりと揺れる
指先ひとつ、ほんの数センチの動きで人々を動かしてしまう様は壮観で、神々しさすら覚えた。改めて彼らがアイドルとして持っている影響力の大きさを目の当たりにしてしまったような気持ちになった。
「太陽と月のこどもたち」ではセンターステージで6人が輪になってお互いに向かい合いながら歌うフレーズがあった。
嗚呼 美しいこの場所で僕も生まれた
温かな手をつないで いつも叱ってくれたひとよ
向かい合う6人とそれをぐるっと囲む客席。喜びに満ちたようなあたたかな空気で包まれて、おだやかに優しいその世界観。彼らを中心として広がるこの空間が、確かにひとつになっているように思えた。
大勢の人が集ったところで「ひとつになっている」と心の底から思う瞬間はそんなに多くない。いろんな人がいて、中には価値観の違う誰かに嫌な気持ちにさせられることもあるだろう。
人がただ集まっただけでは無機質な「ONES」でしかないが、そこに共通の目的や理由があれば「ONE」にだってきっとなれる。
それはまさにモザイクアートのようなものだ。
私たちはコンサート会場にV6を理由として集まって、それを理由にひとつになれる。それがたとえば刹那にすぎなくても、相当すごいことだ。
ひとつになることは難しい。
ややこしく考え出せばきりがなく、深く考えれば考えるほど重さを伴っていくようなその問題を、 魔法のように「ひとつになっている」と感じさせる。重力を無視して問答無用でそれをやってのけてしまうのだからかなわない。
さまざまなアーティストとスタッフが関わって完成した「The ONES」について、井ノ原さんと三宅さんは雑誌インタビューの中でこう語っていた。
三宅「結果的にすごく良かったよね。個と個の集合体としての『The ONES』。これはでき上がってみて思ったことだけど、個と個の集合体って、僕ら6人のことだけじゃないんですよね。このアルバム制作に関わってくれた全ての人が個なんだなって思うんです。アーティストの人たちも、それ以外のスタッフの人たちも全て、関わってくれた人たちみんながその意味の中に含まれるんじゃないかなって僕は思うんです」
井ノ原「そうだね。だって1人欠けただけでもきっと全然変わってるからね。あの人があの時ポツッと言ってくれたことがここに効いてるとか、そういうものもたくさん散りばめられてるんですよ。ものづくりっていうのは、そういう楽しみがありますよね。家でコツコツ作るのも楽しいけど、みんなで作るってこういうことだなって思う」
三宅「うん。V6は、僕ら6人だけじゃなくてチームでやってるという感覚を再認識できたアルバムだなって感じがしています」
(「月刊ソングス」/2017年9月号)
関わったすべての「個」がONESの中に含まれるのでは、という解釈がいかにも彼ららしいが、その「個」たちはすべてV6が中心にいるからこそ集合体になっている。
目的を共にして集まって1つのアルバムができあがる。ツアーを開催するためにまた多くの人が集まって、ステージを作り上げる。
そこにある目的としてのoneも、やはりV6だ。
ツアー最終公演、アンコール中にバックステージ上に登場した垂れ幕には、V6に向けての「お疲れ様でした」という言葉とともに「全国のファン一同&スタッフ一同」という言葉が添えられていたらしい。
スタッフさんの粋な計らいに愛を感じたし、現場を見ずして、遠くにいながらひとつになれたようで本当にありがたかった。
まさにV6を理由としてスタッフとファンが「ひとつ」になってお礼を言わせてもらえたような気分だ。
「The One」の憂いと、それでも歩みを止めない理由
「The One」という曲は「僕らはひとつさ」と歌う前向きな歌だ。
でもその中に含まれているのは勢い任せの前傾姿勢ではない。
視界良好で広がる未来へ一直線に、軽快に歩いているような多幸感が漂うサビのフレーズ。でもそこへ辿り着くまでのフレーズには憂いや気持ちのかげりのような切なさも見え隠れする。
これから先に待つ困難を予期するように「どんな時もきっと僕ら乗り越えて行こう」と歌う。
そしてその理由は「まだ見たことない景色が広がってるから」。
そして「心の中に咲き続ける笑顔があるから」、共に歩んでいく。
足元に凛と咲いた小さな花に、幸せがたしかにそこに存在していることを知る。
それはいつか気持ちがかげってしまった時にも心の中で咲いて、前向きな気持ちへと奮い立たせてくれる。
笑顔を表現する際しばしば「咲く」という言葉が使われるが、そもそも「笑」と「咲」という字は同じ意味を持っていてどちらも「花が開く」というところからきているそうだ。
「花が咲く」ことと「笑顔」を同義に考えるのであれば、足元に咲いた小さな花も「笑顔」に置き換えられる。
あの日触れた花を探すために
僕ら巡り巡る
幼い頃の夢を
見て
個人的にこの曲で一番泣ける部分がこの周辺なのだが、「幼い頃の夢を見て」という解釈はいくつかできるように思う。
・幼少時代(子どもの頃)の夢を見る
・青くさい理想を夢見る
ざっくり言うと私の中ではこの2パターン。どちらも汚れのない純粋さの象徴であるように思う。
ただ、この先に待つ困難を覚悟しながらそれを乗り越え、あるいは振り切って進もうとする意志がにじむ歌詞から考えるとどうしても後者で想像がふくらむ。
目には見えない、不確かなものを一途に信じる。
このフレーズのあとに入る静かなコーラスと鍵盤の音が印象的な間奏には、そんな理想を夢見続けることの途方もなさ、のような切なさが含まれているように感じられてぎゅっと胸がしめつけられる。
私がこの曲を聴いていて一番泣けるのは、実はこの歌詞のない部分だったりする。
そして、なんてことのないように軽快にその憂いを振り払って前に歩き出す。
そこには迷いなんて何も感じられない。逆にこれから先の未来を無条件で信じられてしまうような無敵ささえ感じられる。
アンコールで聴いた「The One」はV6そのものだった
三宅さんによるこの曲の見解として、度々「V6とファンの関係を歌ったような曲」という旨が語られている。
そのままストレートに受け取ると一見、共に歩むのは「V6とファン」のようにも感じられる。それはそれでなんだかイメージと少し違うような気もしていたのだが、コンサートでこの曲を聴いて、歌う彼らを見て、私の中のイメージはしっかり固まった。
「The One」は、あまりにもV6そのものだった。
最後のサビ前には、6人がひとまとまりになって幸せそうに歌う。
そのまとまり方は公演ごとに違ったそうだ。
多くの公演で披露されたのは、岡田さんが人差し指を出し、その上にみんなが手を重ね、この指とまれ状態で左右に揺れながら歌う、という光景。
それはそれは幸せな光景だった。
参加させていただいた大阪3日目の公演では、グッズの元となっている写真のポーズが再現された。
発端はカミセン3人でのMCだった。
本当に突然、不思議なタイミングで岡田さんが22年という歳月にしみじみしはじめ、急に「写真のポーズする?」と言い始めたのだ。ステージ上に3人しかいないのに。
なんでだよ!とつっこまれ、しなくていい!とあしらおうとする様子に客席からは「えええええー!」の嵐だった。
予想外だったのは森田さんが簡単に「どっかでやろうよ」とその案に乗っかったこと。結構乗り気な様子がとにかく意外でびっくりしたのだが本当に嬉しかった。
そして三宅さんはというと「やってもいいけどじゃあCD買って」と両手をすり合わせておねがいおねがい!と可愛らしくおねだりし始め、岡田さんもそれに乗っかり一緒におねだりし始め、森田さんが「カッコ悪いことやめろ!」と男気溢れる言い方で止める、というおもしろい一連になり、結局例のポーズの話は流れた。
そのまま本編が終わってアンコール。
「The One」でこの指とまれ状態になっていたパートで、岡田さんが井ノ原さんに寝そべるよう指示した。
例のポーズのくだりをすっかり忘れていた私は「何をするんだろう?」と能天気に見ていた。
べしゃっと寝そべった井ノ原さんの次に指示されたのは三宅さん。
井ノ原さんの上にスタンバイしたところで私はようやく事の重大さに気づいた。
そこからはあっという間にメンバーが重なっていく。坂本さんが位置についた次の瞬間、ぐっと腰をかがめ、そこに森田さんが飛び乗った。その時の歓声の大きさは言わずもがなである。
6人が縦1列に重なった、世に言うところの「わちゃわちゃ」を前に、とんでもない多幸感に涙が出た。
Every day every night
どんな時も
きっと僕ら乗り越えていこう
まだ見たことない景色が
広がってるから
共に共に歩んでいこう
Be together
We are the one
重なり合いながらみんなで楽しそうに歌うこのフレーズ。もうこれだけでこの先のグループとしての未来も信じられる。
6人で共に歩んでいく。そしてその歩んでいく理由に当たる部分は「まだ見たことない景色が広がってるから」「心の中に咲き続ける笑顔があるから」。
迷った時や辛くなった時にも心の中に咲き続けて時には背中を押し、支えるようなちからを持つもの。6人が集まって一緒に歩き続けるための目的、理由となるもの。
それはファンの存在なのではないか、と思った。
彼らがファンに向けて発信する言葉に触れる時、私はいつもそれがどんなファンに向けられているのだろうとイメージする。そして浮かぶのは、純粋な感情でひたむきに応援する姿だ。
「凛と咲いた花」こそ、純粋な感情で応援するファンそのもののように思える。「好き」という感情を朗らかに抱きながら、プラスの方向にちゃんと作用させているような、そんな「好き」のあり方だ。
時にはそうでない姿に出会うこともあるだろう。嫌な気持ちになることも、もしかしたらあるかもしれない。
それでも「あの日触れた花を探すために」彼らは巡り巡る。「巡り巡る」という言葉も、コンサート開催中に聞くと全国各地を転々とするツアーそのもののように思えた。
いつか幸せを教えてくれたひたむきな姿にまた出会うために、その存在を心に描きながら乗り越えていく。それは青くさくって理想論にしか過ぎないかもしれない。
でも、それを信じて進んだ先にはきっとまだ見たことのない景色が広がっていて、まだ出会ったことのない人たちが彼らを待っているのではないだろうか。
今回のコンサートでセットリストに入っていた「MANIAC」。
「自分のこだわりを追求する」ということをポップに歌う曲なのだが、この世界観がとてもV6らしく、大好きな1曲だ。
自分以外の誰かから投げかけられた言葉で自信が揺らいだり迷ったりする自分を鼓舞して妥協せずに突き進む。
平均年齢が40歳を超えてもダンスパフォーマンスで圧倒してくれる彼らが歌い踊るからこそ説得力が伴う楽曲でもある。
自分を表現する 人を笑顔にする
それって同じことかもね
無意味だと誰かが嘆いた
「別に誰も気にしてない」と
こだわっても 無駄な場所を
こだわってる?
無駄に思える事 繰り返すことで
誰かの笑顔作れる
自分らしいこだわりが誰かの笑顔を作ると信じて駆け抜ける。
自分を表現することが、イコールとして人を笑顔にする。
今ツアーでは行き届いたファンサービスを各所に振りまいた彼らだが、決してそれだけがファンを笑顔にする方法ではない。
極上のパフォーマンスが笑顔を作り出すことを理解してくれているのなら、私たちの未来は明るい。勝手に太鼓判を押したくなってしまった。
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全21公演、24万4000人にも及ぶ動員数で駆け抜けた2ヶ月は彼らにとってどんな日々だったのだろう。そこで出会った光景はこれからも心の中に咲き続けていられるような、素敵なものであっただろうか。
多くの笑顔を咲かせ幸せで包んでくれた2ヶ月に感謝しながら、怒涛の日々を無事終えられたことを労いつつ。でもできれば、次にお会いできるその機会もできるだけ早くあるようにと願ってしまう欲張りな私である。
またしっかりと「好き」を積み重ねながら、V6に会えることを楽しみにしながら引き続きしっかりとファンをやっていこうと改めて思った。