ループ ザ ループ。

好きなものについていろいろと本気出して考えてみるブログ。

「SMAPの解散」と「ジャニーズアイドルを好きでいること」を考える

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そのニュースは確かに夢現つの中にいたはずの私の耳にはっきりと聞こえてきた。

 

 

SMAPが2016年12月31日をもって、解散する。

 

 

私はそれを深夜1時台の、おそらくオリンピック中継の合間に挟まれたようなニュースで知った。

私は確かオリンピックを見ていたはずで、たぶん男性アナウンサーの声だった。正直読み上げられた細かな言い回しであったり内容についてはあまり覚えていない。

というのもお盆休み真っ只中、普段から寝落ち常習犯である私はこの日も寝落ちしてしまっていたからだ。

 

明日は休みだ仕事もない 早起きなんかしなくてもいい、休みの前日には自然とこのフレーズが頭に浮かぶ。ゴキゲンなナンバーの歌詞が自然に頭をよぎる時は当然、私自身がゴキゲンな時だ。つまりヒッピハッピシェイクな時である。いまだに意味はよくわかっていないが、つまりは単純にそういうきぶんなのである。

 

ゴキゲンな連休、オリンピックのメダルラッシュに沸く列島。

ああなんと楽しいお盆休みか。お盆休み最高。お盆休み一生続いてくれ。

 

そんなところへ飛び込んできたのがそのニュースだった。

 

 

 

 

意識はぼんやりしているようで、でもどこかはっきりもしていた。こんなことは生まれて初めてでおそらく今後忘れることはないだろう。ちょっとした不思議体験だ。

 

ああそうか、解散か…本当になってしまった…、と、思った。

 

テレビニュースで読み上げられる情報にはなぜあんなに決定打感があるのだろう。

いまやインターネット上で文字として第一報を知ることも多いが、「声」で知る情報の重さを垣間見た。いや、この場合は垣間"聞いた"が正しい。

 

起きているような寝ているような状態で聞く、アナウンサーの落ち着いた声で発される「SMAP」「解散」という言葉。

きっと私がしっかり起きていればもっと興奮した感情にもなったのだろう。ええ〜っ!?とか、マジで?!とか、第一に来るのは驚きであったはずだ。

おぼろげな中で聞いたその衝撃的なニュースで抱いた感覚は「あきらめ」のようなものだった。

 

ああ、だめだったのか。ああ、終わってしまうんだなぁ…。

 

大きな脱力感は果たして半分寝ていたせいなのか、今後の動向について気にかけてきた7ヶ月という期間がもたらしたものなのか。飛び起きて情報を調べる気にもなれず、ようやく起き上がって最初につぶやいたのがこれである。

後々知ったがどうやらニュース速報としてテロップも出たらしく驚いた。それほどまでにSMAPの解散は日本にとって大きなニュースだった。

 

前日すでにツイッターのトレンドにはSMAP解散にまつわるものが入っていた。

その情報源は多くの人が一度は踊らされたことがあるであろう某有名サイト。ガセネタも多く、「なんじゃそら!」と思う記事も多い。主にそういった意味でネットユーザーの中ではよく知られていて、情報源が"そこ"であると知るやいなや一気に信憑性が薄れるような、そんなサイトである。

 

過去にそのサイトで散々心を揺さぶられていた私はもう慣れてしまった、というよりもイチイチ揺さぶられるのを止めたのだ。

コトが起こってから混乱すればいいのだから信憑性にかける情報にはへえー、ふーん、くらいでいい。そもそも内心動揺しやすい人間なもので、そうでもしないとものすごく疲れてしまう。情報をなんでもかんでも鵜呑みにしないようにするのは自衛のためでもある。たまに失敗もするが。

 

今回もそんな心持ちで健やかにスルーしていた。

しかしコトは起こってしまった。

 

ああそうか、解散か…本当になってしまった…、と、思った。

この場合の「本当になってしまった」は「そのサイトの情報が」という意味で、ただそれだけである。それくらいに一時の危機は脱したのだと信じきっていた。

 

今年1月の解散騒動から約7ヶ月。

彼らの活動状況から判断するなら、あの騒動が尾を引き続けているのは明白だ。

「解散もしない!事務所にも残る!ハイこの話題はここで終了でーす、これまで通りやっていきましょー!」とはいかなかった。

 

いち視聴者、いち一般人である私には事務所やメンバーの感情までを把握するのは不可能である。ましてやファンだ!と胸を張って言える位置にすらいない私は、メンバーの何を語ることもふさわしくない。ネット上に氾濫するファンの声だけを拾って「彼らはこういう人なのだよ」と一丁前に語るのはあまりにも危険で、いろいろと読ませていただいてはいるものの何度も胸を熱くさせてはいるものの、ただそれだけにとどめていた。

 

かろうじて言えることがあるとしたら「流れとしては不穏なままだなぁ…」と思ったことくらいだ。 

1月の時点で「解散しない」ということが決まった。めでたく感じた。しかしその事実はあるものの雲ひとつないような晴れやかな気持ちにはなれずにいた。あの騒動が落とした暗い影を払拭しきれず、時々ちらつくその影をたしかに感じながら。

メンバー各々が抱く心情はどんなものなのだろう。テレビだからプロだから、それなりにはこなすだろう。でもその裏側は?

いつ語ってもらえるかもわからないその内情を慮りながら複雑に見守る、そんな7ヶ月間だった。

 

 

とにかく解散は決まった。

 

いや「決まってしまった」?

それとも、「どうやら決まったようである」?

 

結局のところ解散に至るまでの詳細をつなぎ合わせ、流れを説明してくれるのは公式ではなく、ニュースサイトやワイドショーしかないのが現状だ。

今日まででジャニーズ事務所、メンバーから発表されているのは以下の書面だけである。

お盆休みで、なおかつオリンピック期間中。

なんでもオリンピック中はスポーツ紙もそちらに紙面を割くため、芸能に関する報道はかすみやすいのだそうだ。オリンピックが始まる前に芸能リポーターが口々にそう語っていた。だからこの期間中は結婚発表するにはうってつけなのだ、と。

 

狙ったとしか思えないこのタイミングでその書面は各マスコミに届いた。

28年間の活動、そしてデビュー25周年を迎えようとしているグループの終わりが、たったこれだけの文章で告知された。

 

私はまだSMAPに対して「今までありがとう」と言えるほど心の整理がついていない。

あなたたちは後輩がそのあとに続ける道を作ってくださいましたありがとうございました、なんて言える心境ではない。

かといってその道が途中で途絶えてしまうことに対して、後続のグループも同じ道をたどるのだ、と悲観的になって絶望しているわけでもない。

…というより、簡単に「今起こっていること」をほかのグループに置き換えられるような境地にまだたどりつけていないのだ。

 

SMAPが終わる。

SMAPがなくなる。

中居正広が、木村拓哉が、稲垣吾郎が、草彅剛が、香取慎吾が、SMAPじゃなくなる。

 

ものごころがついた時には当たり前のように芸能界のトップにいた「SMAP」というアイドルグループが消滅する。その喪失感が大きすぎて、これがどこに影響を与えるだとか今後アイドル界はどうなるだとか、そこまで考えが及ばない。

 

だって「SMAP」がなくなるんだよ。

来年の私よ、SMAPがない世界ってどんな感じ?

8月17日の私はSMAPがある世界にいるんだけど、もそらもう不穏よ。こっから年末に向けてまだいろいろとあれじゃろ、なんか憶測とかいっぱい出てくるんじゃろ?で、納得のいく答えは聞けたのかね?真実は語られるのかね?どうなんだね?

 

12月31日の私は、SMAPがなくなる瞬間をカウントダウンしながら迎えるのだろう。

2017年あけましておめでとう!の瞬間は、SMAPがない世界のはじまりだ。 

それはある意味解放される瞬間で、失う瞬間で、何かを得る瞬間だ。

 

 

 

と、ここまで長々と書いてきたが私は「解散反対派」ではない

 

もちろん解散してほしくはない。でも、絶対に絶対に死んでも解散しないでくれ!一生続けてくれ!とすがりつくことはできない。

それがしっかりとメンバーが納得した上で迎える終焉なのであれば仕方がない。始まったものはいつか終わるのが世の常で納得せざるをえないし、納得しようがしまいが終わるものは終わってしまう。

 

私は 1月の解散報道の後、今回同様ただ漠然と思ったことをブログに書いた。その大きな出来事にどうしても触れずにはいられなかったからだ。 

 

そして、生放送での彼らの姿を見た後こうも書いた。

彼らはこれから窮地に立たされるかもしれない。

現時点でわかっていることはごく僅かだが、彼らが「SMAPであり続けること」を選んだのは確かだ。その意味を私たちはもっと噛み締めなければいけない気がしている。

 

果たしてそこに「心」はあるのだろうか。

 

入れ物だけあっても中身が、心がそこに無ければ意味がない。

それはもはや「存在しない」ことに近いのかもしれない。

 

「SMAP」という入れ物があったとする。

それがメンバーの心で成り立っていたとして、これから訪れる窮地はその入れ物を空にするかもしれない。

 

果たしてその時、その状態を私たちは「SMAP」として認識できるのだろうか。

空っぽのその存在を、国民的スターとして愛することができるのだろうか。

現状と妙にリンクして感じる部分もあり、ああ…とため息が出た。

7ヶ月前に自分が書いた文章に「入れ物は空になってしまったのかな?」と問いかけて、無性に悲しくなった。

 

でももし空っぽになってしまったのだとしたら、私はそれをイヤだイヤだとごねて無理矢理引き止めるような言葉もかけられない。もしそうなのだとしたら、本人の喪失感はどれほどのものなのだろう。想像を絶するものがそこにはあるのかもしれない。

 

少なくとも多くのファンの方の目に「グループとしての未来を夢見ている」ように映っていたはずのその心は、どこへ行ってしまったのだろう。

休止でもなく解散という結論を出してしまうほど追い詰められた国民的アイドルは、一体今何を思っているのだろう。

 

私は1月のSMAPの解散騒動が「彼らを取り巻く周囲の状況」から派生し起こった事態だと感じていた。だからこそその「外的要因」がもたらそうとしている結末に対して納得がいかず憤っていた。

 

しかし外的要因が発端だったとしても、それが内的要因につながることだってある。

 

7ヶ月間で何があったかは明らかになっていない。でも、解散を選ぶにあたり彼らに心の動きがあったのは確かだ。もし外的なものが内的な原因へとつながり意見が行き違っていったのだとしたら、こんなに悲しいことはない。

 

心がそこに無い、本人的にはあったとしてもファンから見て「無いのかな?」と思えてしまう活動を追い続け、応援し続けるのはなかなかしんどいものである。

いや本当に、本当にしんどいものである。

グループだったりユニットだったりバンドを見ていると度々出くわす問題で、モチベーションが低い状態を見続けるのはキツイ。だがこればっかりは本人の心の問題であるのでどうにもできない。見ているほうもしんどいが、おそらく本人も相当しんどい。誰もハッピーにならない。

 

解散する、というのは結成された以上彼らにとって常に用意されている決断のひとつだ。だからSMAPだって当然解散する権利がある。

 

SMAPをやめることもSMAPを脱退することも、もっといえば事務所を辞める権利だって彼らにはあるだろう。そこばかりは誰がなんと言おうと無理矢理に続けさせることはできないし、決断するのは本人だ。

 

権利""ある。"選ぶのは本人"だ。

が、私はこうも思う。

選んだ答えは1つだとしても、選び方は1つではない。

 

以下はまた過去記事からになるが、1月の騒動の際に「独立」と「グループの存続」について書いたものである。

もし円満でなく無理やり独立した場合、何が起こるか。

まず「SMAP」を名乗れない。

「SMAP」はジャニーズ事務所の商品であり、事務所の許可なしでそれを名乗れるとは思えない。

つまり「"SMAP"の名前が使えない」→「SMAPの存続は不可能」、というバッドエンド。

 

それを強行突破できたとして、その後に彼らに待ち受けるのは何か。

想像に容易い。

ジャニーズ事務所からの猛烈な圧力。芸能界において干されるということだ。

強行突破し5人でSMAPを続けることになるとしても、これまでと同じ活動が維持できる環境が整えられるかといえばそれは難しい。

「"SMAP"をジャニーズの枠の外で展開する」→「圧力によりこれまでと同じ規模の活動ができない」→「SMAPの形がこれまでと変わり、思うような活動ができない」、というバッドエンド。

 

SMAPがSMAPらしい活動をするために、現時点で選ばざるをえなかった選択肢。

「SMAPは存在しなければいけない」。

そう判断し頭を下げてまで、あんな痛々しい姿を見せてまで選んだのが「事務所残留」という道だ。

視聴者がSMAPから一番欲しかったものは何だったのか - ループ ザ ループ。

 

事務所を円満ではない形で辞めたとしてその後も各メンバーが芸能界に残ったとする。

そこで立ちはだかるのはそれまで所属していた「ジャニーズ事務所」の壁ではないか。

悲しいながらもあえて書くがそうなった時「元SMAP」になった彼らは今以上にジャニーズアイドルと共演できなくなるかもしれない。

もし「彼を出すならうちのアイドルは出しませんよ」なんてジャニーズ事務所に言われてしまえばそれまでで、番組制作側は「ジャニーズのアイドル全員」対「元SMAP」でどちらかを選ばなければいけなくなる。

番組だけではない。もっといえば放送局単位でその選択をせまられるかもしれない。

 

その可能性を考えてまで軽々と事務所を辞められるのだろうか。オラこんな事務所いやだ〜で抜けられるような、そんな軽い問題ではけっして無い。ましてや彼らはアラフォーのいい大人であるのだから。

事務所が同じであれば再結成の可能性も考えられるが事務所を辞めてしまってはその可能性も消えるだろう。

 

芸能界で活動しながらも、方向性や活動内容、そして所属先だって選ぶ自由はある。確かにそうだが、そうでもないな、とも思う。

 

芸能界自体、へんてこな世界だ。

ブラックだといえばブラックだ。というかブラックだ。

でもそこから私はいろんな感情をもらうしそういう意味ではホワイトだ。

…言っていてよくわからなくなってきた。ホワイトって何よ?とにかく、純粋な感情を抱けるような夢をあたえてくれる世界でもあるということが言いたい。

 

芸があれば、ネームバリューがあれば、人気があれば、簡単に移籍して簡単にまた同じ活動ができる。

残念ながらそんな夢のようなお話だけで芸能界はできていないようだ。

圧力だってある。それは本来私のようなイチ視聴者にはわからないはずのものなのだが、不自然なまでにテレビには出演しないあの人や意欲はあってもテレビには出演させてもらえずにいるあの人を見ているとなんとなくわかってしまう。

ジャニーズ内でも共演するグループと共演しないグループがあったりと、派閥問題も圧力とはまた少し違うが根本にあるものは同じだろう。

 

報道だってそうだ。ジャニーズの熱愛報道は芸能ニュースでまったく取り上げられないこともある。ネット上では大にぎわいなのになぜかテレビでは不自然なまでに取り上げられず、なんで?と思った経験はないだろうか。

その妙なしがらみについて言及されている記事を読んだ。

これはあくまで可能性の話である。すべてが真実だと鵜呑みにするには危険かもしれないが、納得してしまう部分も数多い。

 

事務所に残ったからといって「事務所との確執はなく、解散はあくまでメンバー同士の問題」とするには必要な要素が欠けすぎている。「事務所と揉めながらも残留"させられている"」と判断するにも何かがおかしく、完全には納得できない。

ここまで来るときっと原因は1つだけではないのだろうなと思う。いろいろなことが複雑に絡み合って、そこにある感情もさまざまで、その中で選んだ選択肢が「解散」。

 

最終的にそれを選んだのは、メンバーなのだろう。

それが追い詰められた末の苦渋の決断だったのか、完全合意の上なのか、個人の活動としての発展性を求めたものなのか、その他もろもろの事情はわからない。

SMAPでいたくなくなったのか、SMAP的なことをやりたくなくなったのか、SMAPが嫌になってしまったのかも、わからない。

 

そもそも事務所を抜けようとして、SMAPを続けるために事務所に残って、最終的にはSMAPをやめて事務所には残ることになったのだから、最初の展開から考えると本当にだれも望んでいなかったバッドエンドだ。内情はよくわからないが、こじれにこじれた結末のようにも感じる。

事務所から離れることも叶わずSMAPを続けることさえ叶わなかったのだから、これは一体どういう展開なのかと頭を抱えたくもなる。どう展開したらこうなったのか。

 

こんなことあっていいのか、そう思ったところで決まってしまったものはもう覆らない。

本当にこれでいいのか、そんなことを思ってしまうけどそんなのは私の勝手な感情だ。

 

 

物事には常に白と黒がつきまとう。

だから私はジャニーズ事務所を「ハッピーでホワイト企業だぜ!」とは言えない。

でもそこに所属するグループたちに「そんな事務所さっさと放り出してよそへ行ったほうがいいよ!」とも言えない。

それはきっと「ジャニーさんを慕っているジャニーズアイドル」を愛でる方万人に共通する感情かと思うし、ジャニーズだから、ジャニーズだったからこそそのアイドルやグループが生まれた、という背景があるからだ。

そこに感謝しない人はいないだろう。

 

 

ワイドショーではすでにSMAPの歴史と90年代以降の世相をからめたVTRが流されていた。

バブルの崩壊、経済の悪化、大規模な被害を及ぼした天災におそろしい事件。暗い世相でもそんな世の中を明るく照らし励ましてくれるような、時代と共にあったアイドルだった、と。

平成の出来事と絡めながら流れてくるSMAPの楽曲は誰もがよく耳にしたヒット曲ばかりだ。

元気で明るくて時に背中を押し励ましてくれるような曲たち。それをバックに明るい声色で添えられるSMAPを讃えるようなナレーションを聞いていたら、涙が出てきた。

 

確かにその通りでSMAPは時代と共にあったアイドルだと思う。

でもそれを美談として「今までありがとう」と過去形にするには、私にはまだ早すぎる。明るい未来を願うけれど、時代を彩ってきたその功績に感謝はしているけれど、ありがとう!と明るく言えるほど気持ちの整理がつかない。

オリンピック中継で流れる「ありがとう」に、こんなに切ない感情を抱くことになるなんて思ってもみなかった。

 

今はまだ解散することがただかなしい。

その功績を振り返れば振り返るほど、噛み締めれば噛みしめるほど、凄さを思い知れば知るほど、かなしい。

SMAPの解散によってもたらされる後続アイドルの将来的なビジョンの変化を予測するより、今はSMAPがなくなるというその事実に目を向けていたい。

ただそれだけしかなく「SMAP」がいなくなることがショックなのだ。

 

「ジャニーズのSMAP」でいてほしかったわけでもなくて、「ジャニーズ」でいてほしかっただけでもなくて、でも「ジャニーズ」にいなければ国民がこれぞ「SMAP」だ!と言えるような活動は成り立たなくて。「SMAP」というものは「ジャニーズ」で。でも「SMAP」はなくなってしまって、でもメンバーは「ジャニーズ」のままこれからも活動していく。

そんなことをぐるぐる考えているとだんだん混乱してくる。まだ整理はついていないしうまくまとめられない。

ただ、私が求めていたのはこれまで通りSMAPらしいSMAPだった。

 

 

 

SMAPの解散についていろんな人がいろんな意見を持ち、思いを綴る。

それを見ているうちに「果たして私は"ジャニオタ"なのかな?」と改めて考えた。

 

ジャニオタの方々はよく「派閥が〜」にはじまる派閥にまつわるエトセトラを語る。いや、語っていた。

実際私が派閥について知ったのも大昔、こんな大騒動に発展するよりもずっと前にツイッター上でそれを語っているジャニオタの方々を見たからだ。

 

その当時の私は「ジャニオタ」という単語にかすりもしない暮らしをしていて、要するに卒業していたつもりになっていた時期だ。実際は卒業できていなかったようでこうして復学しているが、その「派閥」の話題は離れていた私のところにまで届いた。「ジャニーズの派閥」をおもしろがって拡散する一般の方によって。

 

そういう知り方をしたこともあり、派閥という大問題をどこか嬉々として語る方はいまだにやや苦手だ。

もはや一般層にまで周知の事実になってしまったわけだが、私はそれに触れるのが好きではないし意識的に避けている。

派閥があるからいけないんだ!と言いたくもないし、派閥があるからこそ云々〜と肯定したくもない。その問題に触れる度に、なんとなく幸せな気持ちが少し削られるような気になってしまう。

 

決して良い傾向とは言えない「それ」に、積極的に触りたくなかった。

こうして問題が表面化してもなお「それ」を独特の文化のように、当然だと言わんばかりに捉えたくはない。私が興味を持っているのはそこではない。

「それ」すらも楽しめる自分になれればもっともっとジャニーズ事情に詳しい人間になれるのかもしれないが、結局私が求めているのはそこではないのだなと最近つくづく思うのだ。

 

そういった意味で、私は「ジャニオタ」には一生なれないのかもしれない。

 

ジャニオタ、という言葉が「ジャニーズの某グループのことが大好きなオタク」を指し示すのであるなら、私はそこに胸を張って属することができる。が、「ジャニーズそのもの、ジャニーズが織りなすすべてを無条件に愛しているオタク」なのだとしたら全くピンとこない。ピンとこないものを自称するのはさすがに何かがズレている。

 

まあこれは私が内側から思うことなので、外側から見ていただいて「いや、お前ジャニオタやがな!!!!」と認定していただけるのであれば「あいつジャニオタやで!」と指差していただいて一向に構わないのだ。

あくまで「自称するには覚悟が足りないな」、という少し逸れたお話である。

 

そもそも「ジャニーズ」は多種多様なものが詰め込まれた夢のエンターテイメントではあるが、それは端から見ればものすごくものすごーーーく異様なものにも映る。

好きで好きでたまらないというファンなりオタクなりがいれば、嫌いで嫌いでたまらないアンチもいる。

 

残念ながら私はジャニーズ事務所のすべてを肯定する人間かといえばそうではない。

 

それは他の事務所に関しても同じだ。興味を持ったり持たなかったり同事務所の中でもこの人は好きだけどこの人は普通、この人はあまり得意ではないかな、といったように自分勝手に興味を持つ。

「この人」が好きだったとして、この人がやる「これ」は好きだけど「あれ」はあまり好みではないなあ、なんてこともある。

この人は好きだけど「この売り方」は好きではないなぁ、の場合もある。

 

五体投地のごとき精神で夢中になれていない自分は、なかなかの薄情者なのかもしれない…と思うことがある。でもそこで一呼吸おいて判断できる自分がいることにホッとすることがあるのも確かだ。

 

結局のところ、良いものが見たい。

ただそれだけだ。

 

良いものには打ち震える。

ベストなものを届けてくれるのであれば構わないし、本人たちが納得しある程度ファンも納得できるクオリティのものが届けられるのであれば上々だ。

でも、求めているものが届けられているからといって、一般的に見ておかしいものまで肯定しきる気にもなれない。

 

これはもしかしておかしいものではないか?私の感覚は世間とずれているのではないか?自分が好きで好きでたまらないからといって、それが世間一般すべての人から褒め称えられるべきものだ!と押し付けてはいないか?

立ち止まって考える。

 

だからこそ、一方でどこかに不幸を生み出す「それ」を万歳三唱で讃える気にはなれないのだ。

「派閥があったからこそ」なんて言えないし、「派閥がなくなった!新たな時代の幕開けじゃ!ヤッター!」とも手放しに喜べない……そもそも派閥があったこと自体がおかしく、大問題なのだが。

今回に関しては派閥の消滅と引き換えにSMAPの解散という事態に結びついている。

これが代償だというのならばあまりにも大きすぎる。それをふまえてもなお「派閥の消滅」だけにスポットを当ててジャニーズの歴史を語るなんて、私にはできない。

 

 

崇拝しきれない私は、とことん浅くて浅い浅はかな人間なのかもしれない。

「ジャニーズ事務所に所属するアイドルが好きだから事務所の一挙手一投足すべてを肯定し崇めなければならない」のだとしたら、私は一生ジャニオタにはなれない。

 

今回のこの結末を見ていてそんなことを考えた。

 

もう一度言うが、誰かに「ジャニオタだね!」と言っていただくのはそれはそれで全然かまわないのだ。

ただ「生粋のジャニオタです!」と簡単に自称することには違和感がある、というだけで。

 

ジャニーズアイドルを好きでいる私は、今回のSMAPの解散をどう受け止めるべきなのだろう。

結局のところ静観するしかなく、いまはその動向を見守るばかりである。

先ほどYahooのトップページを覗きざっとエンタメのトピックスに目を通したが、どうもここからどんどん不穏な記事が多く出てきそうである。しんどい。つらい。

 

できることなら12月31日のその日まで、今までどおりの国民的アイドルグループとしてやり遂げてほしい。少しでもファンの方との時間を大切にしてほしいなと思うし、少しでもお茶の間に不穏を感じさせない姿を届けてほしい。

こうもマスコミ報道ばかりが先行すると茶の間も誘導されてしまう。できればそれを払拭して、SMAPの姿をしっかりと刻み込んで最後までかっこよくいてほしい、それが幼い頃から当たり前のようにSMAPを見てきた私の勝手な願いである。

有終の美を飾ってほしいし「やっぱりSMAPってすごいな!」とずっと思っていたい。

 

1月のあの時、私は「世界に一つだけの花」のCDを購入した。

でもあの騒動以降、この曲をあまり聴けずにいた。

聴いてしまうと泣いてしまうからだ。元来この曲が持つ世界観とそのやさしさに加え、騒動のさなかで感じたいろんな人の思いを想像するとどうしても泣いてしまう。

 

解散が発表されてからも、聞いているのはこちらのベストだ。

Smap Vest

Smap Vest

  • アーティスト: SMAP,森浩美,戸沢暢美,相田毅,大倉浩平,野島伸司,ゆかり美和,スガシカオ,飯塚麻純,山崎まさよし,安田信二
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2001/03/23
  • メディア: CD
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私が中学生の頃に大ヒットしたベストアルバム。

「ベスト」がデザインされたキャッチーなジャケットは初回盤だけで12色ものカラフルなパターンが用意されていて、とても印象に残っている。

そんなにパターンを用意できるなんてさすがSMAPだな、と何を基準にそう思うのかよくわからないことを思った。

 

なにせもう10年以上前のアルバムだ。収録曲で最新のものは「らいおんハート」で、それ以前のシングルがすべて網羅されている。

 

改めて聴き返していると、スガシカオさんバージョンでも散々聴いている「夜空ノムコウ」の歌詞が突きささった。

 

夜空ノムコウ - SMAP - 歌詞 : 歌ネット

 

悲しみっていつかは消えてしまうものなのかなぁ

私は今こんなに悲しいけど、それもいつかは消えるのだろうか。

すべての感情はいつか消えてしまうのだろうか。夢見た未来も、続くと思っていた日々も、信じてきたものも、漠然と抱いていた自信も。

 

閉塞感の中での漠然とした不安や希望、寂しげで儚げで、むなしさをも抱え込んだこの曲は、今聴くには切なすぎる。

「あれから」や「あのころ」と過去を振り返る言葉たちは今は少し残酷だ。

 

きっと「マド」とも言える障壁を越えれば、「雲のない星空」が続いている。雲のない星空が マドのむこうにつづいてる

 

「夜空」とも言える暗い状況のむこうには、明るい「明日」が待っている。夜空のむこうには もう明日が待っている

 

待ちかまえている明日のために、自分を静かに奮い立たせるような曲だと解釈していた。でも今は、漠然とした不安のほうに押しつぶされる。

不安が際立てばこの曲もとても沈んだもののように聴こえてくるのだから、不思議なものである。

 

 

きっと2016年が終わろうとするその時も、明日は待っていていつもと同じように夜があける。

私はその時何を思っているのだろう。それまでにどんな状況に出くわすのだろう。

その行く末を、冷静に見つめていきたいなと思う。