SMAPの解散報道が世間を賑わせている。
まだ正式に「解散します」という発表が出たわけではない。
だが各メディアで大きく報道され、ジャニーズ事務所も協議・交渉が行われている事実を認めた。もはや「単なる噂話」の域では無くなってきている。
その協議・交渉次第では「SMAP」は消えるかもしれない。
きっと今、SMAPのファンだけでなく日本中の人間が一度は「SMAP」について考えているに違いない。
「私」とSMAP
私は、これといってSMAPファンだった時期があるわけではない。
だがその楽曲と、その番組と、触れ合う場面は今まで生きてきて数えきれないほどにあった。
意識しなくてもそこにある。SMAPの存在はそういうものだった。
私が初めてSMAPの楽曲と出会ったのは、アニメのテーマ曲としてだった。
「姫ちゃんのリボン*1」の「笑顔のゲンキ」。
そして「赤ずきんチャチャ*2」の「君色思い」。
誰が歌っているか、またそれがどういう人たちなのかは知らなかった。
若い男性たちがハツラツと歌っているその楽曲は、活発な少女が主人公である両アニメとうまくマッチしていて、とても大好きな2曲だった。
調べてみると、当時は知る由もなかったがこの頃の彼らのCDはあまりチャート順位が良くない。
それぞれ8位と5位。チャート的には埋もれてはいた。
でもそんな事実はまったく関係なく、私の中では間違いなくあの頃を彩る思い出の曲だ。
私が小学校高学年になった90年代後半頃には、すでに周りでSMAPを知らない者はいなかった。
あれは確か小5の頃。林間学校のお楽しみ会でクラスごとの出し物があり、SMAPの楽曲を使って謎のコントをした。
「青いイナズマ」が流れはじめるとみんなが暴れ出し、それが止むと大人しくなる、という流れを何度か繰り返すというよくわからないコントだ。実に小学生の発想らしい。
私はやらされていた側だったので誰がどう企画してそうなったのかはわからない。
とにかくその、暴れるシーンで青いイナズマが採用されていたことだけはしっかりと覚えている。
察するに、当時知らない者はいないほどのその有名曲をクラスの誰かが推したのだろう。
しょうもない記憶ではあるのだがいまだに忘れられない。
贔屓目に見たとしても多分、いや、確実にすべっていたと思う。
訳も分からず謎のコントに参加した私は、いまだに青いイナズマを聴くとその時のことを思い出す。
そして苦いような、なんとも居たたまれない気持ちになるのだ。
それから成長して大人になり、自ら音楽と触れ合う機会が増えてからももちろん私の周りにはSMAPの音楽が存在した。
しかし小さい頃から、意識しなくても触れるような距離にSMAPの音楽はあった。
あって当然だった。
物心ついた頃にはすでにSMAPはジャニーズの中でも別格で、スーパーアイドルだった。
次に印象深い出来事として残っているのは、キムタクが結婚した時のことだろうか。
2000年11月、その頃私はV6ファンになりたてだった。
当時彼らのレギュラー番組が木曜23時から放送されておりその直後はニュース番組だったのだが、ある日ちょうどそのタイミングで結婚発表をするキムタクの姿が報道された。
結婚は世間一般的に考えればおめでたい話だ。
だが当時の私の目には、彼が「とても罪深いことをした人」のように映った。
多くの報道陣からマイクを向けられ神妙な面持ちで結婚発表をするその姿には、あまりおめでたい雰囲気は感じられない。
スーパーアイドルが結婚するとはこういうことなのか、ということを初めて深く考えた出来事だった。
それからまた時は経ち、改めて彼らの人気を感じさせられた出来事があった。
以前、お向かいの家にご夫婦が住んでいた。
私が生まれた時からとてもお世話になっているおっちゃんとおばちゃん。
長い付き合いのあるそのおばちゃん…この頃にはもう70歳くらいだったのでもうおばあちゃんなのだが、ある日家の前で出くわした時、唐突にこんなことを聞かれた。
「SMAPのコンサートに行きたいんやけど、どうしたらいいんかなぁ?」
なぜその考えに行き着いたのかわからなかった私は戸惑った。
長年付き合いのあるおばちゃんが、それまでに若い芸能人に熱を上げていた事などなかった。そんなおばちゃんの口から「SMAP」という言葉が出たことに驚いた。
私が度々コンサートに出かけていくのを知っていたので相談してきたらしい。
誰が好きなのかを尋ねると、嬉しそうに「キムタク!」と答えた。
結局、おばちゃんがコンサートに行くことは実現しなかった。
SMAPのコンサートはドーム規模での開催で、座席によってはものすごく小さくしか本人たちを視界に捉えられない。
そのことをおばちゃんに伝えると、あくまでキムタクを近くで見たいのであって遠いかもしれないんだったらやめておく、とのことだった。
近くで見たいが見れない、それでも会いたいと現場に赴くファンが多い中、「近くで見たい、近くで見れないのならいい」とキッパリ言い放ったおばちゃんの言動は新鮮でなかなかおもしろかった。
とりあえず私は「そんなに近くで見たいんやったら、いっそナイトスクープに依頼したほうが早いかもよ(笑)」とアドバイスしておいた。
さすがのナイトスクープ様でもキムタクに会わせてという依頼はさすがに厳しいと思う。
キムタクのモノマネをするホリを連れてこられるのが関の山だ。
それはさておき、ジャニオタだった私はおばちゃんが急にキムタクファンとして目覚めたのが嬉しかったし、とてもワクワクしたのを覚えている。
70歳のおばあちゃんとだって「ジャニーズ」という共通項で一緒に盛り上がれるのだ。
その様子はすっかりキムタクに恋する少女のようだったし、その傍らでは旦那であるおっちゃんが「こんなおばあちゃんのファンなんかおらんで、なぁ?」と呆れていた。
その様子がまたなんとも言えず可愛らしかった。
この件で私は改めてSMAPの凄さを感じたのだった。
70歳の心をも鷲掴みにし、コンサートに行ってみたいという気持ちにさせてしまう。
改めて彼らがお茶の間、それもいろんな層に影響力を持っているのだと感じた出来事だった。
その存在について考えた時、何が浮かぶのか。
今、日本でSMAPを知らない者はいないだろう。
意識的に見ようとしなくてもテレビをつければそこにいて、望まなくても私たちの日常の1シーンにさりげなく「SMAP」は登場する。
好きだと言う人も、その逆という人もいるだろう。
だがその存在を知らない者はいない。
私は以前、グループの解散について考えてみた記事でこう綴った。
ふと考えたのだが、グループの解散のメリットって何なのだろう?
「グループ活動は必要ない」と感じるタイミングとはどういった時なのだろうか。
例えば、メンバーが不仲で居心地が悪いと感じた時。
例えば、グループ活動のせいで個人活動に集中できない時。
例えば、「アイドル」という肩書が邪魔になった時。
例えば、やりたいことをやれない時。場合によっては"恋愛""結婚"もこれに含まれるだろう。
様々なものがあると思うがぱっと浮かぶあたりでこの辺だろうか。
私がこの時考えたことはあくまで「内的要因」だ。
グループの内側、つまりその本質であるメンバーが精神的な面で「グループ」としての活動を続けるのが困難になった場合を想定した。
ところが今回の報道を見ると、今の所は「外的要因」が主な原因として挙げられている。
もし活動に問題が生じたわけでもなく、メンバーの不仲があるのでもなく、理由がその「外的要因」のみしかないのだったら。
そんな理由で、こんなに長く愛されてきた国民的アイドルグループを失ってもいいのだろうか。
私はSMAPの「ファン」ではない。
ただお茶の間で彼らを見ているだけの人間だ。
四六時中彼らの曲を聴きこんで過ごしてきたわけでもない。
だが私の中に確実に彼らの曲は存在して、それはあらゆるシーンで思い出を彩ってきた。
その活動を、特に追いかけているわけではない。
でも、そこにはずっとSMAPがいた。
それが当たり前だった。
今ネット上では「世界に一つだけの花」のCDを買おうという動きが活発になっている。
1人1人がアクションを起こすことでSMAPが解散してほしくないということを伝えよう、そういう動きだ。
賛否はある。
確かに「CDを買う」という行動以外にも気持ちを伝える方法はあるのかもしれない。
「あえて買わない」というような、何もしないことで反対姿勢を見せる手もあるのかもしれない。
CDを買ったから何かが起こるわけではないのかもしれない。
世界は何も変わらないかもしれない。
だが大事なものが失われるかもしれないと考えた時、きっと人は何かをせずにはいられないのだ。
今CDを買おうとしている人々を突き動かしているのは、SMAPの解散を阻止したいという純粋な思いだ。
そこには何か少しでも自分から動くことで不安を和らげたいという悲痛な思いも詰まっているはずだ。
やっておけばよかった。少しでも伝えればよかった。
たとえ伝わらなくても、悔いが残らないように行動しておけばよかった。
一番後悔するのは、何もしないまま「それ」が失われた時だ。
ジャニオタの気質自体がそういうものなのかもしれない。
しかし、自分が愛してやまない大好きな芸能人がそういう事態に陥ったとしたら…と想像した時、「動く」を選択する人は多いのではないだろうか。
もし本人たちが望んで解散をするというならば、仕方がない。
これまでの功績を称え労をねぎらい新たな門出を応援しなければと、悲しくても無理やりにでも前を向くしかない。
今あちこちで「解散を阻止したい」という動きが見られているのは、現時点での報道が「外的要因によって解散させられそうになっている」という内容だからだ。
今回の報道を受け、日本中でいろんな人が「SMAP」について考えたことだろう。
その時何が浮かんだか、その内容が重要なのではない。
おそらく全員の脳裏にSMAPに関する何かしらの記憶がよぎり、思うところがあったはずだ。
それは、自分の過去を振り返った時に蘇る思い出。
それは、テレビで彼らを見ていて受けた感想。
それは、好き・嫌いという感情。
きっと様々で、100人いれば100通りあるに違いない。
でも確実に何かが浮かぶはずだ。
それこそが彼らがスターである証なのだと思う。
私達の生活のどこかに自然と紛れ込んでいる。意識しなくてもそこにいる。
これほどまでの存在が、果たして他にどれくらいいるのだろうか。
普段から「SMAPはスターだ!」と持ち上げている人はあまり見たことがない。
だがその当たり前の存在が失われるかもしれないという事態に直面した時、私たちはその存在の大きさと事の重大性にはじめて気付く。
「SMAP」は間違いなく国民的スターだ。
もし彼らの長い歴史が終わることがあるとするならば、せめて本人たちが望んだ形であってほしい。
日本中が寂しく思おうがそれならば納得せざるを得ない。いつだってスターらしく、堂々とあってほしい。
だがもしそれが本人たちが望んだ形で無く、執行されようとしているのだとしたら。
SMAPというスーパースターが消えてほしくない、これからも見ていたい私達が発するべき声は決まっているのではないか。
出来ることは、届けるべき声は、あるのではないか。
ここまでの大ごとになってしまった以上、きっといずれ何かしらの正式なコメントが出されるだろう。
否定か、肯定か。
私はとりあえずCDを買って、それを待つ。
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