まずは私がV6にはまったきっかけから綴ってみます。
あれは2000年6月29日のこと。
この日、私は私をV6のファンなんだと認定しました。当時中学2年生。
なぜこの日と断定できるのかは後述。
ここにいたるまでにいろいろとニアミス的な出来事を繰り返してはいるのですが、決定打になった出来事がありました。
V6にはまる大きなきっかけになったのは"ラジオ"。
当時、彼らは毎週火曜日に生放送のラジオに出演していました。*1
19時から伊東家の食卓、20時からは学校へ行こう!、そして22時からは生放送のラジオというフルコース。
ああなんという良い時代。
この"夢のフルコース火曜日"のおかげで何度嫌なことを乗り越えられたことか。
このラジオ、グループとしての出演でしたが毎週3人ずつの変則的な出演でした。
大体はトニカミ混合で、組み合わせの妙もあり当時の私には衝撃的なほどおもしろかった。
共演の久本朋子さん*2にもバンバン暴言を吐くけどとても仲が良さそうでほほえましい。
下ネタもバンバン言うし、アイドルってこんな発言してもいいんだという衝撃。
今思えばこの頃の井ノ原さんは当時火曜9時から放送していたTOKIO出演の「ガチンコ」が大好きだったらしく、よく話をしていた。
生放送のラジオでついさっきまで見ていた番組の内容を嬉々としてネタにする、
これってよく話題になっている「あさイチ」での「朝ドラ受け」にも通じるところがあるのではないでしょうか。
このラジオがおもしろすぎて毎週聞くのはもちろんのこと、録音して何度も聞く日々が続く。
さらに当時最新シングルだった「IN THE WIND」が毎週かかっていたため大好きになりついに購入する。
ここまででもう相当はまっていたことが見てとれるわけですが、このタイミングで完全なる「好き」を自覚する作品が放送されます。それが2000年6月29日。
6人でドラマに出演(それも本人役)"マッハブイロク「big」大作戦"
バラエティ色の強いものばかりをチェックしていたところに、不意打ちで現れたスペシャルドラマ。
マッハブイロク*3「big」大作戦。
あまり解説されているのを見たことがないので軽く解説します。
リーダーの金子義成(萩原流行)率いる窃盗グループが、「世界の宝飾展」の会場から「世界最大のルビー」bigを盗み出すが、その後、ルビーはどこかに消えてしまう。そんな中、アイドルグループ「V6」は、のどかに「マッハブイロク」の収録に臨んでいた。*4
上記はこのドラマの説明文冒頭です。
この短い中にも読み取れるのではないでしょうか。
なんともいえない、どことなく漂うおもしろくなさそう感。*5
タイトルにもなっている「big」というのは当時上演していたミュージカル。*6
この「ミュージカルのbig」と「世界最大のルビーbig」、二つのキーワードを主軸として事件が起こり、そこにV6が巻き込まれていく。
ミュージカルのbigの出演者はもちろん、その他にもフジテレビで放送していた番組から多数のゲストが登場するという豪華な話題作であり、今考えると問題作。
ドラマですが宣伝要素がふんだんに盛り込まれていました。
というか、絵面重視で突拍子なかろうがおかまいなしといった感じ。
今見るとふかわりょう氏が血だらけになり「ビッグ…ビッグ…」と呻く場面でもれなく笑いが止まらなくなってしまう。
他にも笑いが止まらなくなるポイントが点在しています。
しかし若さって怖い。
このドラマのダンスシーンと、ラストシーンの6人それぞれのカメラ目線がかっこよすぎて私は完全に落ちました。
か、か、か、かっこいい…!!!
*7
これに背中を押され…いや突き飛ばされ、私はV6が好きなんだ!と自覚。
当時は現在ほどネットが普及してなく、中学生で携帯を持っている人など周りには皆無。*8
知識は主にテレビと雑誌から得ていきました。
無駄に雑誌に載っていた身長体重靴のサイズとか覚えてみたり。データを頭に入れるのが楽しくて仕方ない年頃。
なんとまあ、中学生の発想だなーと今考えればかわいい。そしてきもい。
このブログを始めるにあたり、当時情報をまとめていたノートを見返してみたんですが相当ひどい。
おもしろいけど、熱だけは感じるけども
あまりにも痛すぎて直視できないページがかなりあるのでそっと閉じました。
「私がもし突然死したら誰の目にも触れずにこの世から消え去ってほしいものトップ5」に確実にランクインする出来。
そういう痛いものを生み出してしまうほど、溢れんばかりの情熱を胸にかかえ歩き始めた中2の私。*9
今ならWikipediaで一発で出るであろう情報を一つ一つ丁寧に積み重ね、純正のオタクが出来上がっていったのでした。