私にとって、「アイドル」の「原体験」はV6だった。
初めて会いに行ったアイドルは彼らで、初めてCDを予約してまで購入したアイドルも彼らで、とにかく「初めて」を並べればきりがない。
「ファンをすること」の基礎はすべて彼らから学んだといっても過言ではない。
お恥ずかしいことに私のこれまでの人生で、彼らに影響を受けたことは数多い。
つい最近、「原体験」という言葉に触れる機会があった。
その言葉そのものについては前から知っていた。
ただあまりにも使う頻度が少なく、本当に久しぶりにその言葉に再会した。
久々に耳にしたその言葉がなんだかとても心に引っかかって、意味を調べた。
記憶の底にいつまでも残り,その人が何らかの形でこだわり続けることになる幼少期の体験。
(原体験とは - Weblio辞書より)
その人の思想が固まる前の経験で、以後の思想形成に大きな影響を与えたもの。
(国語辞書 - goo辞書より)
原体験という言葉の本来の意味は「幼少期の体験」なのだと思う。
でもきっと、自分の思想が形成される前、ベースが無い真っ白な状態で出会う新しい経験はすべて「原体験」だ。
右脳 左脳
無意識にそっと刻み込まれた記憶 体を流れてる
(「HELLO」歌詞より/SUPER Very best 収録)
重ねがさねお恥ずかしいことに、この歌詞のままだ。
「無意識にそっと刻み込まれた記憶」。
私の根本には、原体験として叩き込まれたV6ファンとしての自分がいる。
今この文章を読んでくださっている方はおいくつなのだろう?
ブログのテーマ的にも、アイドルファンの方がきっと大半のはずだ。
あなたが「原体験」として、はじめに出会ったアイドルは誰なのだろう。
あるいはまさに今、原体験の真っ最中だったりするのだろうか。
目次
- 目次
- 原体験としてのアイドルの影響力
- 離れていくファンの心理、私の場合
- アイドルを見ながら育つということ
- アイドルから得られるものって何なのか
- お茶の間ファンだった頃の見方
- 「HELLO」を体感して考えたこと
- 「HELLO」を作った方について
原体験としてのアイドルの影響力
一番影響を受けていた頃、私はまだ10代だった。
学生時代を思い返すと、その存在のおかげで変わった面も多々あった。
たぶん性格も今とは少し違っていただろう。
いや、少しどころか全然違っていたかもしれない。
もっとまともだったかもしれない…。
それは冗談として、「楽しもう」という精神は間違いなく彼らに影響されている。
どうせやるなら楽しんだもん勝ち。
ある時はやる気をもらい、ある時は「そうだよなあ」と思って態度を改めてみたり。
それまでだったら平々凡々と周りに流されて進んでいたであろう場面で「もう少し頑張ってみよう」「やってみよう」と背中を押されたり。
一瞬、ほんの少しの勇気だったとしても、それはその後の結果を大きく変える場合がある。
大げさに言ってしまえば、「居なかったら人生変わっていたかもしれないなぁ」と思う部分もあったりする。
イタイ話なのだが、残念ながらこれはわりと事実だ。
いろんなことを知って、いろんなことが楽しくて。
まあ地方在住の学生からすれば悔しい思いをすることもままあったのだが、それを差し引いても本当に楽しい青春時代だったと言える。
離れていくファンの心理、私の場合
私は彼らの活動を追うことから数年離れていた。
離れ始めた時、かなりモヤモヤしていて「なんでだろう?」とよく考えていた。
どれだけ好きでも、永遠に一定の熱量を保てるかといえばそれは難しい。
それまでに多大な影響を受けていたとしても、ずっと好きだ好きだと言っていたとしても。
月日の経過とともに変わっていくことがある。
それは自分の考え方の変化なのか、それともその「好き」の対象側の変化なのか。
私が「離れ始めた頃」「ファンであることに疑問を抱き始めた頃」、その理由を自分なりに考えていた。
誰に言うでもない。ただただ当時、日記とも言えない「感情をメモする用」に作っていたノートにだらだらと書き連ねていた。
今とはかなり考え方が違うのだが、あえてその2006年末の私のメモを引用する。
当時20歳。V6デビュー11周年の頃だ。
今も成長していない部分はあるのだが、今読み返すと本当に青すぎてこっぱずかしい。
状況を軽く説明すると、この頃の私は趣味が広がり始めていた。
アイドル以外のライブに行って音楽に触れる楽しさも知ったし、サッカー観戦にもはまり始めた。
「1つの道を極める」、そういう生き方がたまらなくかっこよく見えた。
そういう意味では「音楽だけ極めるアーティスト」や「ただただ技術を一心に磨き続けるサッカー選手」に憧れていた。
歳を重ねて、いざ自分が「職業として何を選ぶか」という場面にぶつかった時、大半の人は「1つの道を極める」類の職種になるのだと思う。
それは「音楽を作る」「サッカー技術を極める」ような、現実離れしたような話だけでない。一般業種だってそうだ。
事務員なら「事務」のプロで、先生なら「教育」のプロ、デザイナーなら「デザイン」のプロ。
どんな仕事だって細かく見ればいろんな作業がある。でも本筋は1つだ。
この当時の私は、自分自身がここから先何をしていけばいいのか、何をしていきたいのか、何をしていくべきなのか自問自答していた頃だったと思う。若い。青い。
最近私がV6離れしていっている理由って、言ってみたらこういう部分の違いにあると思っている。
「現実離れした世界」と「身近な現実感に近いものを感じられる世界」。
ジャニーズは、どれだけボケても、どれだけオーラの無さを主張しても、この壁を取っ払うことはできない。
いろんなことができるのは、確かに凄い。テレビ・歌・舞台、etc。
でも、今の自分には1つのことにかけている人に魅力を感じて、逆に色々やっていると軽く見えてしまう…。
こう綴ったあと、驚くことにあの頃の私はこう書いていた。
特に今のV6からは全部が中途半端なイメージしか持てない。
好きだけど、好きじゃない。
自分で書いておきながら、そんな感情すっかり忘れていた。
「おい何があった!?10周年を迎えた翌年、そこまで感情揺さぶられるような事、そんなにあったか!?」と20歳の自分の胸元をつかんで揺さぶり問い詰めたい。
その後、その理由についてはこんな風に書いている。
前より露出が減って、動きが不透明になっているから?
きっとジャニーズはジャニーズの枠でしか活動できなくて、それは重々承知している。その枠はきっとこれからも一生彼らについて回るし、一生そこからは出られないのだろう。良いイミで、悪いイミで。
非現実的なコンサートは、これからも行きたいとは思う。
実際楽しいから。おもしろいから。
やっぱりあの空気が好きだから。
でも6人すべての動きを完璧に把握していたいとは、今は思えない。
この文章を書いた張本人だからこそわかるのだが、この裏にあるのは相当な葛藤だ。
迷っている。
訪れた変化に対して怒りたいにも怒れず、突き放したいにも突き放せずにいる。
実際この頃にはグループ活動はだんだんと縮小し、個人の活動に力が入り始めている。
当時の私は「ジャニーズはジャニーズの枠でしか活動できない」事にモヤモヤしていた。
それは良い意味でもあるけれど、悪い意味でもある。
ジャニーズ至上主義の方からすれば「なんてこと言うんだ!」と思われるだろうが、私はそう思っていたようだ。
ジャニーズはすごい。
でもある意味異様で、不思議な世界でもある。
「アイドルが見せてくれる多面性」はキラキラしていて素敵だ。
ただ「ジャニーズアイドル」としてのV6が純粋に好きだった10代から、少し外を見ることを覚えた私はいろいろと疑問を抱いていた。
皮肉な事に私が「ジャニーズはジャニーズの枠でしか活動できない」と書いた頃、岡田さんは「ジャニーズの枠を広げたい」と思っていたことを2015年になって知った。
そんな考えを持ちながら俳優活動に力を入れる一方、グループとして活動する姿はなかなか不安定で、そんな岡田さんを見て私はモヤモヤしていた。
この2006年はシングルのリリースが1作「グッデイ!!」だけだった。それを引っさげて夏にはツアーも行われた。
でも、それだけだった。
そんな岡田さんを見ていた私の感想は「俳優という道を極める岡田准一」ではなかったのだと、今更ながら思う。
「岡田の反抗期」を体感して私が抱いていた感情は、きっと「アイドル業をおろそかにする岡田准一」、だった。
今だからこそそう解釈できるが、当時はそんな余裕は無かった。
というよりその感情を認めたくなかったのではないかと思う。
アイドルを見ながら育つということ
「好きだけど好きじゃなくて、完璧に把握していたいと思えない」ならば、即手放していてもおかしくない。
だが私はその後2年間、ファンクラブに入り続けていた。
その世界観に影響されて育ったからこそ、離れがたいし応援していたい。
それは自分が少し大人になり、好きなものの方向性がズレてきても同じだった。
なんというか、そこに「恩」のようなものを感じていたからだ。
別に彼らはそんなことを思っちゃいないだろうが、私は勝手に彼らを見て育った。
育ててもらった。一方的に。
いろんな感動をもらったし、いろんな体験をさせてもらった。
1つ1つの出来事に素直に感動していた。
CDがリリースされる度に聴き込んだ。
その頃の楽曲を聴くと「この時はこんなことがあった」と、彼らの活動だけでなく私の個人的な思い出も蘇る。
自分にとっての「ファンとしての原体験」をたくさんさせてもらった。
今でもそれにとても感謝している。
一旦離れていた間も、ファンであったことを後悔したことは一度もない。
振り返れば君が そばにいてくれた
あの日々が あったから 今の僕がある
( V6「Wait for you」歌詞より/SUPER Very best収録)
話が少し逸れるが「Wait for you」の歌詞には「君」と「僕」が多数登場する。
以前「Can do! Can go!」の歌詞を考察した時にも思ったが「君・僕」が多用された歌詞というのはとても曲者だ。
1曲を通して考えるとなんだか整理しづらく、『この「君」は誰で「僕」は誰?』などと考え始めるとだんだんよくわからなくなってくる。
しかし、断片的に「ファン」と「V6」を当てはめるとなんだかよくわからないが「ワー!!」となる。心を揺さぶられてしまう。
上記の歌詞も同様で、私にはとても響いた部分だった。
実際にはというと「Wait for you」に関しては、MVのテーマとして「過去の自分」「今の自分」「これからの未来」というワードが登場している。
20年という歴史を象徴する作品となっており、「過去の自分」に見守られながら「今の自分」が「これからの未来」に向かって歩みだすという構成で、V6がこれまでもこれからも「踊り続ける」ということを示したダンスミュージックビデオ。
(中略)
MVではV6という巨大な生命体をゴールドのトンネルで表現。そのトンネルのエンジン=心臓部がダンスであり、ダンスをする度にトンネルが力強く生命を帯びていくというストーリーに加え、更に過去からの解放、未来へ向かって更に進み続けるV6を表現している。
デビュー20周年のV6、ベストアルバム収録の新曲MVを2本同時に解禁! - T-SITEニュース エンタメ[T-SITE]
「過去の自分」から「今の自分」へ。
つまり「V6」から「V6」へ。
そんな楽曲に勝手に自分の感情を乗せてしまって申し訳ないのだが、とにもかくにも私の過去には「大好きなアイドル」として彼らの存在があった。
あの頃があったから、今の私がある。
あの頃を振り返った時にいつでもそばにあったのは、彼らの番組で、彼らの楽曲で、彼らの人柄だ。
なんて、そんな恥ずかしいこと誰に言えるわけもないのだがそう思い続けてきた。
ファンを離れた時グッズも少し処分してしまったのだが、半分も捨てられなかった。
なぜかと言えばそれはもう「グッズ」を通り越して「私の思い出の品」になってしまっていたからだ。
中でも雑誌の切り抜きはファイルにまとめて相当な数があり、1つたりとて捨てられなかった。
「もうこれネタでしかないやろ…」というくらいの量だ。一度に持てない。
一気に頭上から落ちてくることがあれば結構な怪我をする。
最悪、死ぬ。
アイドルから得られるものって何なのか
アイドルのファンをして、アイドルに影響されることって一般的に見れば滑稽なことなのかもしれない。
私は昔、特に「好きだけど好きじゃない」などとほざいていた頃は特に合理性を求めていたように思う。
「そんなことをして何になるのか?」
何かをする時、結果と見返りを求めていた気がする。
アイドルに費やした時間と労力とお金は、一体何になるのだろう。
そこから得られるものは、かたちがあるものではない。
自分自身の「感動」として。
何にも代えがたいその貴重な経験は、他者に説明するのはとても難しい。
外側から見れば意味がわからないかもしれない。
私が彼らから得た「原体験」は何にも代えがたいもので、確実に今の私を形成する大切な部分だ。
アイドルにのめり込みすぎて生活に支障をきたしているくらいならばそれはちょっと、さすがに肯定しがたい。
でも「少しの勇気」や「前に進む力」、「知らなかったことを知るきっかけ」としてのアイドルの持つ力はすごい。
結局、私は2009年冒頭でファンクラブ会員をやめることになった。
しかもファンクラブをやめたきっかけは大層なものではない。
単なる会費の振り込み忘れ。
仕事中に気づいて思わず頭を抱えた。実話である。
さすがに叫びはしなかったが、叫びそうにはなった。
その時「そんな重要なことを、忘れるか…?」という自分への失望と、頭を抱えるくらいには「やってしまった…」と思える感情がまだあった。
なんだかんだ言って継続したい気持ちはあったんだなーと気付いたりもしたのだが、私はそこで一旦離れることを選択した。
ちょうどいい機会なのかもしれない、と。
活動をしっかり追えていたかといえばそうではなく、この頃になると私の思い出としてはあまり残っていない。
手持ちの会報は2009年のその頃の分までで終わっていたことでやめた時期を思い出したくらいだ。2008年のトニコンまではチケットを取ってはいたのだが、結局それも仕事で行けなかった。
そんななんとも間抜けなミスをきっかけに私はファンクラブをやめた。
なので、担降り的な事情をはっきりと説明できるかと言えばそうでもなく、ふらーっといなくなってふらーっと帰ってきたような感じだ。当然降り先もない。
家を飛び出したような出ていき方ではなくて、ふと気付いたら家の外にいた、という感じだろうか。
余談にはなるのだが離れていた間にもまた私の感覚は変化した。
「アイドル」をしっかりエンターテイメントとして認識できるようになった。
「1つの道を極める」、そんな生き方も素敵だ。
でも「アイドルが『アイドル』を極める」ことの凄さも知った。
ようするにあの頃、私はアイドルをあまりよく理解できていなかったのだろうなと今なら思う。
「いろんなことをするタレント=アイドル」のように思っていた面があったのだろう。
彼らを好きになった時に要素として結構な割合を「おもしろさ」が占めていた私は、いまいち「アイドル」がよくわかっていなかったのかもしれない。
今だって本当に理解できているのかはわからないが。
お茶の間ファンだった頃の見方
そんな事情もあり、私の立ち位置はとても微妙だ。
「去って行ったファン」だったのに、今は「戻ってきたファン」。
その「去って行ったファン」の中に含まれていた期間もそれなりに長く、戻ってきた今でもその目線からたまに物事を考える時がある。
ほんとうに、たまたま奇跡的に戻ってこれたのかもしれない。運が良かっただけなのかもしれない。
戻ってこなかった、去ったままになっていた未来だって十分あり得た。
完璧にお茶の間ファンになっていたのだから。
グループとしてのレギュラー番組も見られなくなり、グループとしての姿を見かけるのは音楽番組くらいだった。
私はミュージックステーションを、見たいと思うアーティストがいる時だけ見る。
その見たいアーティストの中にはV6はずっといた。
2011年の「Sexy,Honey,Bunny!」を初めて聴いて、冒頭坂本くんの一言に正直赤面した。
照れなのか何なのか、お茶の間に「セクシー」が流れたと思うとなんともいやはや…みたいな、我ながら「なぜお前が赤面するのだ」と内心盛大につっこんだのでよく覚えている。
「え、いきなり!?いきなり坂本くんの『セクシー』から始まるん!?」
「そのセット何!?くちびる!?それはイケてるのか!?」
「これ9係の曲ちゃうん?!刑事ドラマで?!『セクシー』?!」
つっこみどころ満載、大混乱だ。
1曲聴き終わったら体温が上がって暑かった。
2012年の「バリバリBUDDY!」は見ていて爆笑した。笑いに笑った。
お腹が痛くなるほど笑った後で「どこへ向かってるんだろう…」と多少心配の念を抱いたのも確かだったのだが、「これはもしかしたら当たるかも」とも思った。
この方向転換はきっと注目される、当たれば大きいはず。
そんなことを考えた私はすぐさまネットの反響をチェックした。
そんな感じで、離れていた間の記憶はほぼMステによるものの気がする。
完全なるお茶の間ファンになっていた。
「ファンに戻る」その選択肢を選んでいなかったら、今こうしてブログを書いている自分はいない。
「HELLO」を体感して考えたこと
「HELLO」をコンサートで聴いた時は切なかった。
私はたまたま生で聴くことができたが、披露されなかった公演もあると聞く。
本当に運がよかったとつくづく思う。
この曲の持つ切なさは思わず黙り込んでしまうような、処理しがたいタイプのものだ。
楽曲の織りなす世界観に圧倒されるというところもあるが、その詞には考えさせられた。
サビ部分はひたすらに「HELLO」と呼びかける。
一番の歌詞は、「一時期去っていた私」に深く突き刺さる言葉のオンパレードだった。
右脳 左脳
無意識にそっと刻み込まれた記憶 体を流れてる
「原体験」として無意識の中にしっかりと存在するあの頃の記憶は、ファンとして過ごしていなくてもたまに顔を出す。
ファンクラブをやめ、コンサートに行くこともやめて数年後、ふとした時に私はあることに気付いた。
「もしかしたら私はもうV6のコンサートに行くことはないのかもしれない」と。
「あれが最後だったのかもしれない」、と。
そこでようやく「もう2度と会うことはないのかもしれない」と気付いた。
私はたまたま戻ってきたので、それが最後にはならなかった。
でも、その「いつの間にか『あれが最後』になっていた」過去があったからこそ、誰のどんなライブに行く時でも「これが最後かもしれない」と心のどこかで思い、覚悟して臨むようになった。
今それを見られることが当たり前だったとしても、次にまた見られる保証などない。
楽しかった時間を過ごして、「また絶対に見よう!」と思う自分がそこにいたとする。
でも次にまた開催される保証はない。
開催されたとして、その頃に自分の心が変わっていない保証もないのだ。
極論を言えばその時生きている保証だって無い。
あんなに大好きだったのに、「いつの間にか最後になっていた」。
その事実に気づいた時、私は自分でも驚くくらい複雑な気持ちになった。
儚さと、かなしさと。なんともいえない切ない気持ちになった。
2007年11月1日、12周年の日。
私は当時ほとんど機能していないようなブログを持っていた。
アニバーサリーや誕生日の時だけふらりと現れ、少し文章を書いてまた去る。
そんななんとも気ままなブログにこんなことを書いていた。
しかも結果的にそれが最後の更新になっていた。
そのままでいてくれればそれでいいので
これからもどうかそのままで頑張ってほしいなあと思います。
変わらないことのほうが難しいよ、たぶん。
変わらないでー、
岡田くんたまには大阪弁しゃべってー(笑)
「変わらないで」。
それは明らかに変わってきた「何か」に気づいているから出た言葉だ。
最後に大阪弁のことで軽く小ボケをかまそうとしているが、心象風景としてあの頃の私のファン心理を例えるなら「雨が止まない」時期だ。
私はこの頃発売された「way of life」があまり得意ではなかった。
もっと言うならMVを見ると泣きそうになる。
当時、手を握り合いながら輪になって歌う6人の姿は私の目にはなかなか悲痛に映った。
手を握ること。
普段なら見ることのないその不自然な光景に、「アイドル」を無理矢理やっているような、やらされているような印象を受けてしまった。
HELLO HELLO 届いていますか?
今も変わらないまま あなたはただ
HELLO HELLO 歩き続けていますか?
届いていますか?と問いかけているということは、このメッセージはきっと直接届く類のものではない。
面と向かって伝えるでもなく「今も変わらないまま あなたはただ 歩き続けていますか?」と問いかける。
その裏には「まだ前に進み続けていてほしい」という途方もない願いが込められているような気がして、切ない。
一方、2番のサビではそれに呼応するような言葉が並ぶ。
HELLO HELLO 気付いていますか?
今も変わらないまま 私はただ
HELLO HELLO 歌い続けていました
「歩き続けていますか?」の答えはきっと「歌い続けていました」なのだと思う。
「アイドルのファンで居続ける」ということも「アイドルであり続ける」ということも、それは不確かな約束でしかない。
1番冒頭では「覚えていられそう」という歌詞があるのに、ラストサビで「覚えていますか?」という言葉があるのもまた切ない。
「覚えていられそう」と言ったところでそれが未来まで続く保証はない。
そこを「覚えていますか?」と突かれたようで、なんとも言えない衝撃があった。
きっとアイドル側からしてもファンの存在というのは「不確かな確か」なのだと思う。
確かにそこにいたとしても、その存在は不確かなものに過ぎない。
でもアイドルはその「不確かな確か」で成り立っている。
アイドルとしてのエンターテイメントを作り上げるのは本人達だが、その存在をアイドルにするのは「不確かな確か」、ファンだ。
その不安定で心もとない部分がこの曲には色濃く出ているように感じる。
またこの歌詞の絶妙なところは、絶妙に相対する言葉や呼応する言葉で構成されているところ。
「覚えていられそう/忘れてしまいそう」
「刻み込まれた記憶/不確かな確かを確かめに行く旅」
「変わらないまま/変わりゆく」
「変わらないでほしい」という願いはファンである以上、心のどこかでみんな持っている感情なのではないかと思う。
好きになったものが好きになった時のまま存在してほしい。
変わらずに活動し続けてほしい。
時間の経過は感情の変化だけではなく、状況の変化も生む。
景色は変わりゆく。それは止められない。
「今も変わらないまま 歌い続けていました」
8年ぶりに目にした彼らにそんな言葉を歌われてしまっては、切なくなるほかない。
歌詞そのままに受け取るしかない。この曲の主人公は彼らなのだと思ってしまった。
ああ、この人たちは私が見ていない間にも変わらずに歌い続けていたんだなと思った。
取り巻く景色も変わったし、状況も変わった。
外見だって変わった。ほとんど変わらない人もいるけれど。
内面のことは私にははっきり把握できないが、きっとゆるやかに変化してきただろう。
それでもグループとして歌うことはやめていなかった。
ずっとファンでいる人もいれば離れていく人もいる。
新しくファンになる人もいれば戻ってくる人もいる。
ずっと変わらなく続いてきたようでその中にはめまぐるしい変化があり、出会いと別れは繰り返されていく。
アイドルが持つ切なくて、はかない部分。
それがこの曲には目一杯つまっているような気がした。
先日発売になったDVDで「HELLO」を見て、やっぱり涙が出た。
「今」のファンに囲まれながら全公演を駆け抜け、その最後の1曲。
笑顔で声援に応える姿は、この楽曲の持つ世界観とはまるで真逆のようだ。
でもあの空間の尊さの象徴として、ラスト1曲がこの曲だったというのはきっと意味合いが大きい。
不確かな中でたどり着いた未来。
思いを馳せようにも途方もないような、経過した時間の長さ。
「これまで」を支えてきた人たちの存在。
離れていった人もいる。
でもその人達がこれまでを支えてきたのも事実で、その延長線上に「今」がある。
きっと2015年のV6の姿は、過去にファンだった人達が夢見ていた「アイドルとして変わらないV6」だったにちがいない。
いなくなった人たちがもしファンだった当時に、未来の彼らに質問を投げるのだとしたら何と言うだろう。
ましてや「20周年」なんて想像もできないような未来にいる彼らに何か一言投げかけるとしたら。
きっとこうなるのではないかなと想像してしまう。
「今も変わらないまま あなたはただ 歩き続けていますか?」
現在と過去と未来が交錯するような不思議な空気があの11月1日の代々木にはあったんだなーと、私は映像として見ただけなのだが、そう感じた。
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「HELLO」を作った方について
この「HELLO」の作詞・作曲を手掛けたのはChemical Volumeさん。
プロフィールはというと、なんと地方都市でサラリーマンをしている方々だというから驚いた。
会社勤めをしながら、アフター5と土日祝で音楽を作る。
モットーは「自分たちの力量、環境、機材で、出来ることしかやらない!」だそうで、宅録…自宅でレコーディングしたものをYoutubeにアップする。それが主な活動状況らしい。
本名も顔も出さないし、ライブもしない。
そんな方々がどういった経緯で楽曲提供をしてくださることになったのか気になる。表立った活動はしてらっしゃらないようなので、Youtube経由なのだろうか…。
「HELLO」を聴いて印象的だったのはAメロ・Bメロの穏やかであたたかな、リズムを刻むギター。
一定のリズムとその歌詞になんだか1番では「長く降り続く雨」、2番では「静かな夜」のイメージを抱いた。
それに対して間奏で入ってくるのは感情的な、いわゆる「泣きのギター」。
静かに一定のリズムで心地よく響きあうメロディが心地よく、綺麗な1番。
そこから徐々に音に厚みが出て、感情的になっていく2番。
物語のようなメロディ展開に、感動しないわけがない。
他にどんな楽曲があるのかと公式サイトを見てみた。
ご本人のボーカルはとても柔らかく甘い。
そしてやっぱりギターに注目してしまう。この楽曲のギターも素敵だ。
聴けば聴くほど引き込まれるような、どこか懐かしいような楽曲。
はっきり言ってどストライクだ。
久しぶりに素敵なアーティストを発見した。これはぜひとも購入しなければいけない。
ーーーーーーーー
後日、ご本人様のツイッターでV6ライブDVDを見ての感想をお見かけしたので貼らせていただく。
V6さんの20周年ライブDVDを拝見させて頂き、アンコールラストでリボンシャワーの中ケミボが提供させて頂いた「HELLO」を歌う姿。感動して涙が出ました。音楽の力は今も昔も変わらず伝わると改めて感じました。20年という時を突き進んできたV6さんとファンの方々に感謝と敬意をこめて
— ケミカルボリューム (@ChemicalVolume) February 22, 2016
さらにこの後、三宅さんがラジオにてHELLOについて言及した。
この曲はもともと、ケミカルボリュームさんがバンド仲間の方を亡くされた時にその方に向けて書かれた曲なのだそうだ。
「音楽の力は今も昔も変わらず伝わると改めて感じました」というケミカルボリュームさんのツイートは、そういった背景があるからこその言葉なのだろう。
ケミカルボリュームが提供させて頂いた、V6さんの「HELLO」についてV6三宅さんがラジオで話してくれました。亡くなった大切な友人を想って書いた曲。V6さんに歌って頂いた事で亡くなった彼にも届いているといいな。HELLO。いつかまた。https://t.co/xxtcQZ1lEl
— ケミカルボリューム (@ChemicalVolume) 2016年3月7日
「その方」が音楽を奏でる時間は「昔」で止まってしまったけれど、音楽の持つ力はその頃と決して変っていない。
今も昔も、音楽を通して私たちはいろんなことを伝えられ、受け止めて、つながるのだ。
音楽が制作される時、その裏には制作者の明確な想いが込められていたりする。
でもそれが私たちに届く時、その想いは必ずしも情報として添えられない。
多くの音楽は「解釈を受け手に任せる」状態で届けられる。
余白を残されたその楽曲に、リスナーである私たちは幅広くいろんな想いをそこにのせる。
私はこの曲の儚い世界観に「ファン心理・アイドルの切なさ」をのせた。
きっと心に響く音楽というものは、多くを語らずとも解釈が違おうとも、そこに感動を生むのだ。
あらためて音楽の持つちからの凄さと、それによってつながることの奇跡を感じさせられた。
数年後、もしかしたら数十年後。
私は「HELLO」を聴くたびに今抱いているこの感覚を思い出すことだろう。
昔だって今だって、きっと未来だって、音楽の持つ力はずっと変わらない。